記事一覧
この3年間の写真をふりかえると
令和のはじまりは、平成のさいごの年だった。
年が明けると、それまでの「どこにでも・気軽に行ける・誰にでも逢える」が突如止まった。
そして、それはかたちを緩く変えながら、いまも続いている。
一年目、
息の詰まりそうな毎日を過ごしたそのころは
縛られてしまった自由のなかで、それでもどうにか出来ることを模索していた。
それは写真にも現れていた。
初めのころは、それまで自分のなかにあった記憶や想いの貯
2019年2月に和歌山大阪へ行って以来の旅。
瀬戸内・倉敷へ。
旅のしかたを忘れていたよね。
日常を離れているはずなのに
日程とスケジュールはいつものリズム
行って
船に乗れなかったり
現地のお店がわからなくて迷ったり
それも込みで「旅」だから
そう思って動くんだったね
物を伝える・事を伝える
さんざん、ずーっと教えられてもらっていたのに
「そうなんだな」と思えていなかったことって言うことはある。
知ってはいるけれど、他人事。みたいな。
写真って、「真」を「写」すって書いてて、まんま何も手を加えずに写してるのがそうだという定義がある。
アプリで加工したものは「ほんとうの写真」じゃないなんて意見もある。
近頃はスマートフォンのカメラ機能がものすごく良くなってきて、「カメラ」そのものを
表現には階層(レベル)や種類(バリエーション)がある
そう、いっこじゃないんだよね。
商品や料理や風景を撮るにしても、知識と経験と技術と熱量から得られる絵と、ただパシャっとしただけの写真だと感動打率が違ってくる。
感動打率の条件 それは(モノ)写真でも(コト)写真でもそうなんだと思う。
打率の上がる条件がいくつもそろえば、いい写真撮れるようになると思いますよ。プロじゃなくてもいい写真が撮れることがあるのは、そう時があるからなんじゃないかしら。