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不登校だった僕

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中1の9月〜中学卒業まで不登校。 高校も1年はきちんと行きましたが、その後2年間はあまり通わず、最終的には通信制に行き21歳で卒業しました。 そんな僕の経験を伝えられたらと思い、…
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#日常

不登校だった僕が行き着く場所

東京に行って友人と話した時、不登校をしている子達の支援について話した。
2人が合致したのは、やはり家庭・親御さんの支援もしていかないといけないということだ。

大概の場合、家庭で親がうまくいっていない子供が不登校であったり、または違う形でSOSを求めている場合が多い。
今後は、親御さんにもスポットを当ててこのnoteを書いていきたいと思う。

閑話休題。

僕の高校の後輩が、ブランド高知という会社

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不登校だった僕〜不登校時に必要なものは、熱中できるものかも知れない

不登校だった僕〜不登校時に必要なものは、熱中できるものかも知れない

僕が不登校をしていた期間熱中できたものは、音楽でした。

①音楽を聴く
②ギターを弾き、好きな歌を歌う

この2つに熱中する事ができ救われ、また自信もついた。
あと大切なことは、辛い時間をどう誤魔化せられるかという事だと思う。
それを、音楽というもので乗り越えられたことは、本当によかった。

学校から逃げ出したくて、家にこもって何もすることがないと、考えて考えて、社会から孤立してしまう。
それを防

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不登校だった僕〜上京からの人生リスタート編

不登校だった僕〜上京からの人生リスタート編

不登校だった僕は、高校を6年通い卒業した。
その後半年間お金を貯め、上京した。
練馬区の石神井公園から徒歩5分の駅前にアパートを借りた。
家賃が安くそこそこ綺麗だった。
隣がラブホテルだったけどね。

音楽をやりたくて、上京したんだけれどお金は必要だということで普通に就活をし、5社中3社が採ってくれた。
そのうちの1社に就職するが、仕事が朝4時半〜22時とか(笑)
2ヶ月でリタイヤしました。
そこ

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僕の住んでいた街

人生で3つの街で暮らした。
①地元の高知県須崎市(引っ越し3回)
②東京都練馬区石神井
③現在住んでいる香川県高松市

もちろん皆さんと同じように、自ら選んで過ごしたのは後者2つになる。
東京では自らが適応しきれず、1度は地元に戻り転勤という形で高松に来て早3年半になる。

それぞれの街で思い出はもちろんあるが、今は高松で心地のいい生活を送れている。

環境と生活。それはある意味政治的で、かつ個人

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不登校になってからの話〜フリースクールから高校受験

不登校になってからの話〜フリースクールから高校受験

フリースクールに通い出してから、少し前向きな生活が送れるようになった。
中学3年の時、同級生がバンドをやろうとフリースクールにやってきた。
不登校になる前からギターをやっていた僕の事を知っていたらしく、中3の文化祭で演奏しようというのだ。
中1の9月から登校していない自分にはかなりハードルの高いお誘いだったと思うが、当時の教頭(吹奏楽部の顧問もしていた)が、PAやなんやかんやの段取りはするからやっ

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不登校になってからの話〜中学校・フリースクール編

不登校になってからの話〜中学校・フリースクール編

前回までは、不登校になるまでを書いてきましたが、今回からは不登校になってからのお話をしたいと思います。
過去シリーズはこちらから。

不登校になってから。始まり始まり。

中1の9月。遂に僕は不登校になる。最初の3ヶ月は引きこもって、スペシャで音楽聞いて、BSでイチローがマリナーズでバリバリだった頃だったので、中継を見ていたような気がする。
あと、とにかく寝てた。

そんな日々も少し落ち着いてきた

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不登校になるまでの話〜中学校編

不登校になるまでの話〜中学校編

前回の小学校編はこちらから。
たくさんの人に見て頂きました。ありがとうございます。
今回は、中学校編を書きます。

不登校になるまで。中学校編。

中学校は、小学3年の時にいじめられていた子と同じクラスになった。
最初はあまり気にする事もなく、まあ大丈夫かなと過ごしていた。

その考えが甘かったとわかるまでには、そんなに時間がかからなかった。

5月になると、お弁当を女子トイレに捨てられたり、メガ

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不登校になるまでの話〜小学校編

不登校になるまでの話〜小学校編

こんにちは。
今日は、不登校になってからの話ではなく、不登校になるまでのお話をしたいと思います。

何度か書きましたが、高知県の田舎に生まれ、保育園〜小学2年までは普通に楽しい生活を送っていた。

小学2年の時、他のクラスでは学級崩壊が起きていた。
授業放棄しグランドで遊んだり、担任の先生に向かって暴言を吐いたり。
少し離れたクラスだった事もありあまり詳しくはわからなかったが、自分たちのクラスとは

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僕は社会に何度でも戻っていく

僕は社会に何度でも戻っていく

不登校生活が終わって、10年程が経つ。
前にも書きましたが、本質的にはまだまだ不登校を脱してはいないので、今でも社会に戻るのが、いくらか臆病になってしまう。

僕は、分かりやすく不登校をしていたが、そう言う感情が誰にでもあるのは理解ができる。
ただ、僕達のような社会不適合な奴らは、どうしてもそこから抜け出せなくなり、不登校マインドが時々顔を出しては消え、消しては現れ、それをどうにかすり抜けようとし

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それがあなたへのメッセージ

今回タイトルに選ばせていただいたのは、友人である岡山の音楽ユニット『UNBRANFORD』のハルという曲の一節からだ。

下記にリンクを貼っておくので、ぜひ聴いてみて頂きたい。

さて本題に移ろう。

今、皆さんはどういった気持ちでこの世の中で生活をしているだろうか。
そしてなんらかの理由により、学校に行っていない君は、どういう生活を送っていますか?
こちらはと言うと、変わらずに仕事をして、ビール

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