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人に優しくなるにはどうすれば良いのか?




■本当の優しさ


優しさの定義とは?自分が優しい人だと感じればその人は優しい!というも優しさですが、コレには落とし穴があります。

それは、どんな独裁者や凶悪犯やサイコパスだろうが、人は誰でも優しい一面を持っているからです

自分の子供や両親などの血縁者に無償の愛情を向ける人もいれば、恋人や奥さん旦那さん命のような人もいる。

人間には厳しいのに、又は無関心なのに特定の動物に凄く優しい人もいる (私です)

偏った優しさでも、自分がその人から優しさを向けられる対象である間は、相手がどんなに冷酷非情な人間でも

心根はやさしい人なんだと思いたくなるかもしれませんが…

しかし優しいと思ってた人の優しさを向ける対象から外れた瞬間、深く傷つくなんて事態に陥る可能性もあります。

優しさに偏りがある人ほど、その対象外には冷たかったり、敵味方で人を判断している…なんてことがあったりします。

なので、ここで指す優しい人というのは、他人身内関係なく、分け隔てなく情けや憐れみを持てて、愛情にあふれる、そしてそれを表現できる人です。

なぜ表現できる人か?というと思うだけでも優しさですが、それでは不完全であり

自分なりに相手に優しい言動を起こしてようやく優しさが完成するからです。

いじめられている同級生や同僚がいて、可哀想だなと思うだけでは優しさではありません。

その人の話しを聞き、時には周囲を止める為に第三者に強力を仰いであげるのが優しさです。

階段でおばあさんが荷物を重そうに持っていて、大変そうだなと思うだけではなく、荷物をお持ちしましょうか?と声をかけるのも優しさであり

しかし、優しさというのは自然と誰でも沸き起こる感情ではありません。

人によっては境遇や自分の今の状態で優しさが枯渇してしまう場合があるというのを次に説明します↓




◇他人に優しくなれなくなって行く




自分がどんなに困窮してようが、酷い仕打ちを受けようが、それでも他人に優しく出来る強い人も世の中にはいますが…

多くの人はそんなに強くはありません。

むしろ人は河に流れる笹船のように不安定で流さやすく、か弱い生き物だと私は考えます。

自分が生活に余裕がなかったり、誰からも愛されない愛に飢えた状態だとすれば、自分よりも良い生活をし

恋人や家族に囲まれて幸せそうに暮らしている人を見て、良かったね~と優しい気持ちになれるでしょうか?

ハッキリ言ってほとんどの人には不可能ではないでしょうか?

渇いた心を加速させる、人の幸福を素直に喜べないと想います。

そして人は集団で生きる生き物です。

集団の中で相対的に物事を考えやすく、平たく言えば集団の中で比べることをしてしまうのが本能的に備わっています

自分が一般的な同世代の人と比べ、収入や資産が劣っていると考えれば劣等感や焦燥感、将来への不安が強まります

猿は弱い個体を探し、自分の力を他のサルたちに誇示して集団の中での自分の立場を守りますが

ほとんどの人はそこまでは行かなくとも、弱い立場にいる者ほど自分よりも下(境遇や能力等)を探し、安心感を得ようとし

精神を保つ為に社会的に成功している者を良い目で見えなくなって来るのではないか?と

これは貧乏で孤独な人ほど優しくない!ということを書いている訳ではなく、どんな人でも

みんなが自分同様に困窮していればそれが普通と捉えますが、集団の中で自分だけ明らかに不足している部分があれば、それが普通だと思えませんよね。

普通じゃない、異常だと捉えるとどうなるか?というと脳へ危険信号が送られ、理性を司る前頭皮質の活動よりも

本能を司る大脳辺縁系の原始的な脳の部分が活性化され、本能的に自分を守ろうとする。

そうなると動物的に目の前のエサをくれる人には良い顔が出来ますが、そうでない人には防衛本能的に拒絶したり、攻撃的になりやすくなり

それを他人が見ると、優しくない人と映ってしまう

しかし、その人は毎日生きるのに必死なので、自分に矢印を向ける余裕もなく次第に我執、我欲がきつくなってしまう

もちろん、人によって優しくなれなくなって行く過程や速度は違いますが、自分が何かしら不足を感じ、脳に危険信号が送られ続けている人が

論理的思考をしたり、愛のような無防備な感情を持ち続け優しくなるのは、原始的に備わっている自己防衛本能から逸脱している行為であり

窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、瞬発的に自分の心身を第一に守ろうとするが故に感情的になりやすく

他人への優しさを忘れてしまうのではないでしょうか。





◆人に優しくなる為には?




人に優しくなる為には自分を2つの方法があります。

これは誰でも出来ますし、ごく当たり前のことに感じるかもしれませんが、人に優しくなるには

①自分がある程度満たされている状態を作る

②自分を許す

自分がある程度満たされている状態と聞いて、まず金銭的や生活環境を浮かべる人もいると想います

もちろん、金銭的に満たされている状態というのも人に優しくなるにはある程度は大切です。しかし、人の欲は良い意味でも悪い意味でも果てしなく

それが向上心に繋がることもありますが、あまりに欲をかいたらキリがないのも確かです。

金銭はお金が全然ない方には必要ですが、普通に働いて稼いでる人にとっては一番に重要視することではありません (でも世の中何をするにもお金はかかりますが…)

むしろ、マズローの五段階説のような、人が幸せに生きる為の欲求を全体的に満たすことが先決であり

何か1つが原因を探すというより、様々な要因の複合体が満たされた状態を完成するものだと考えます。

まず、マズローの五段階説ですが、食べる、寝る、性欲などの生理的欲求、危険に晒されず、雨露凌げるプライバシーの守られた部屋に住むなどの安全欲求

この2つを基礎に、会社、家族、友人たちなどの集団に属する所属と愛の欲求、お馴染みの自分が価値のあるモノだと思われたい承認欲求

出世、特定の事柄での能力の自己最大化し、自分の可能性を高めたい自己実現欲求

人によってどの欲求が強いか?バラつきがありますが、これらを満たす行動をする。

日本に生きていれば生理的、安全欲求は独裁国家や治安の悪い国よりは満たされていますが、人は自分の身の回りと比べるので

友達がオートロックのある新しいマンションに住んでるのに、自分は風呂無しアパートだと悲しくなりますよね。

かと言って人それぞれ事情があると思うので

自分の収入に見合った範疇で、近所の治安や風紀が悪くないなど精神衛生を保てる住み心地の良い部屋と

食事(栄養)を朝食~夕食までしっかりと摂り、毎日7時間以上寝る(色欲はXビデオやポルノパブ辺りをご利用ください)

その上で所属と愛、承認、自己実現欲求が欠落しているならば、会社でみんなで飲みに行くとか、嫌なら趣味仲間を作る、家族の時間を増やす

恋人や友人を作るでも良いので、自分が求めているものと一致する心地の良い集団に属する。(なかなか難しいかもしれませんが)

承認欲求も他人を介して自分を満たす行為なので、なかなかうまく行く事ばかりではありませんが、人の役に立つこと(善行など)

や希少性の高い能力をつけることで他人から認められやすくなります。

ちなみに希少性が高い能力というのは、ベンチプレス150キロ以上挙がるや橋本環奈と本田翼を割ったような美貌を持つや(努力でどうにかなる問題じゃないかも)

5か国語話せるなど、、、そこまでそこまで特化しなくとも、人があまりやらない競争の少ないことで尚且つ、馬鹿馬鹿しいと思われづらい事柄で承認欲求を満たす方法もあります

例えば全く大したことないですが、私のようにブログやnoteを何百と書き続けるでも良いと想います。

何千人と認めてもらうことは難しいですが、知り合いや知らない方が読んでいいねしてくれたり、続ければ読んでくれる人も数を少しずつ増えてきて

自分の記事が少しは役に立っているかな?なんて承認欲求を満たすことが出来るかもしれません。

そして自己実現欲求というのは一番高度な欲求であり、平たくいうと自分の能力、可能性を拡げたいという欲求です。

甲子園に出た高校生がプロを目指し、プロ野球選手がメジャーリーグを目指すように、自分の可能性を拡げて行きたいと思う気持ちなのですが

これが私たちに置き換えれば資格をとり、より専門的な仕事に就くや自衛隊に入隊して自分の根性を試すでも

ベンチプレス100キロ目指すでも何でも良いです。

今自分が出来ないことを出来るようにしたり、更なる高みを目指すという欲求です。


あと1つ、自分を許すですが、そろそろ文字数が多くなってきたのでダラダラ長くならないよう簡単書きます。

自分に厳しいと他人にも厳しくなりやすくなります。

先ほどの自分が困窮していると気持ちに余裕がなくなるではありませんが、人は矛盾を嫌う生き物なので、自分が厳しい中で生きているのに

他人がそこから乖離した生活をしていると自分ばっかり苦しいのが許せなくなり、他人に腹がたったりします。

例えば自分が毎日朝5時に起きて働いて生活を維持しているのに、実家が太いニートが昼過ぎに起きて良い家、食事をしてたら『なんだかなぁ…』と思う人も少なくないと想います。

しかし人は皆、生まれた時に自分の配られたカードで勝負するしかありませんので、そんなことでストレスを溜めるのはエネルギーのムダです。

あとは法律では決められていないが、自分が守っていることも他人が守らない場合にムカつくのが人です。

例えばエスカレーターに乗る際、右側を必ず空ける派の人は

自分急いでがエスカレーターに乗る際に右側が空いていないと、エスカレーターを歩いて先に行けないので

右側空けない人にムカつきます。

それに反してエスカレーターの上は歩いてはいけないと思っている人の場合、エスカレーターを歩いて昇ってくる上に右側空けろよ!という無言の圧をかける人に対してムカついたりします。

どちらが正しいか?は置いといて、もう一度書きますが、人は自分の守っていることを他人が破るとムカつくのです。

ではどうすれば良いのか?自分が守っていることを意識的に破ってみるのが良いと想います。

体調不良と言って仕事の有給休暇を取るとか、エスカレーターの右側を少し歩いて見るとか (歩かないで下さいと書いてある場合は止めた方が良い)

最初は罪悪感や不快感でストレスになるかもしれませんが、自分が守っていることを守らなかった際、まぁ良いか!と自分を許す練習がてらにたまに破って見ると

他人が外れたことをしても、まぁ自分も人の事言えないかな!と思え、そこまで腹がたったりしなくなります。

要は時には自分に甘い部分を作ってあげると、自分も自分を許しているのだし、他人も許そうか?となる訳です。

しかし例外的に自分に甘く、他人に厳しい人の場合は、自己弁護や理由を一切書かず

自分で自分を許したことと、他人を許せなかったことを文字として書き残すと良いでしょう。

そうすると、同じ事柄でも自分と他人に対しての見方に差があることが可視化されて行きます。

自分は外的要因(アクシデントや誰かのせいなど)を原因として他責思考になりがちなのに

他人は内的要因(その人の性質、能力など)を原因に自己責任的に考えてしまう思考のゆがみに気づくと想います



■最後に


ここまで長々と書いてしまいましたが、人に優しくなるというのは他人に好かれやすくなるというメリットも存在する一方で

誰でも構わず無尽蔵に優しくすると、優しさに付け込まれるデメリットもあり、物事には長所があるだけでなく、必ず短所もあります

しかし、優しい人の方が相手にイライラしたり衝突したりして、敵を作ったり、ストレスを受ける確率が減るので、精神衛生も健康面でもメリットが上回っていますので

皆さんはもうすでに優しいかもしれませんが、私も含め世界中の人が少しででも寛容的で優しくなれば、更に生きやすい世の中になるのかな?なんて思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね! ('ω')ノ







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