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それはそれは、グッ!とくる言葉たち
テンプル・グランディンという人がいる。動物学者、非虐待的な家畜施設の設計者、そして自閉症の診断を受けている。彼女は言う「時に自然は残酷だが、人はそうある必要がない」。同名の自伝的な映画がある。ぜひ機会があれば見てほしい。彼女が挑戦するときに色とりどり、様々な種類の扉が目の前に現れ意を決して開いていく、知らない世界へ飛び込む、「私という存在」を使いに行く。本当に勇気をもらえるたくさんの人にお勧めした
もっとみる「見る」から始まる旅
例えば好きなアーティストのよく聞く音楽が自分の好みであったり、本を読んでいて、引用されるのが自分の好きな作家であったり、つながりを意識できなくとも僕は無数のネットワークの一部となっている。川端康成の雪国は、ただのどうしようもない男がワンネス、仏教的に言うなら空を体感しているのを「見る」話だ。見ている側はその事象の中には入れない。渦中の人にはなれない。情けは人のためならずという。誰かにかけた情はめぐ
もっとみるカーテンをしめた食器乾燥機が去った部屋で
滝の裏からリゾートビーチを見ている、不規則で規則的な鳥の群れが過ぎていく、滝はごうごうとしているが音は聞こえない。確実な安心を感じる。いつか押し出されあの混沌の中でも無と有で遊びながら。
目まぐるしい。次から次へとイベントが起きる。ふと思い出したのが「私は私に必要なすべてを受け入れる」通勤の車の中で口に出して呟いた。それはそう思ったからで出来る気がしたからだ。
ツイッターを見ていてい想う。統計
アイスコーヒーと山椒あられ
台風の日だ。気圧がすごく低く頭部の圧がすごい。腸も胃も膨らむので内臓が張っている。人と自然のつながりを感じる。満月の日には交通事故が増えるという、満月だと身体が興奮しやすく疲労や睡眠不足になりやすい。見てわかるほどではなく本当に些細な変化なのだ。そこから意識散漫となり不注意や誤操作が生まれやすいらしい。
僕は造園土木会社で働いている。市から公園街路の管理を委託され年3度ほど草刈りをし年1回高低木
主にピンドラあついって話。
プロメアというアニメ映画を見た。アニメクリエーターというのは見ているところが違うのだな。この映画はロボット、変身、消防、アクションと男の子が大好きな設定が盛りだくさん。しかし、ストーリーは正義と悪は表裏一体で立場によって違う。だからこそ、思ったならやりきってしまえ!という一つのテーマから答えまで用意されている。きっとヒーローごっこをするだろう子供と親が見るのだろう。どちらでも楽しめるようにチューニ
もっとみる徒然。つれづれにもほどがある。
瞼の裏にオーロラが揺れる。さっき食べたチョコの香りがする。肩から背中、鳩尾のあたりが緊張している。僕の持っている物語から外れると恐怖が発生する。次はちゃんと演じきれるように楔を打つ。この一連の流れはプログラムされている。ほかでもない、自分自身で。
D.A.N./NO MOONを聴いている。彼らのルーツは僕の聞いてきた音楽だとはっきりわかる。めちゃくちゃ好きだ。あなたの好きなもので好きなものを作り
脱ぐときに踏むステップ
肉体を脱ぎ捨てる手段を「死」と呼んだ。依存からの喪失感を避けるために禁忌とした。結果としてそれはより強固に「生」の拠り所となった。この世にあり続けるために。重なり合ったハミングからどれを啄もうか。波が無限だと私の延長も無限で。つながりは絶てない。繊維の上で跳ねるカタチ。変化の再現などありもせず、意識が作り変える需要と作用。あまりも曖昧なために考えるのをやめてしまった。浴びた。虹を浴びた。そうやって
もっとみる気づくとは何であろうか。
日々、気づく。小さなものから大きなものまで、見つけ、感じて、「私」にはあったんだと腑に落ちる。この現象を気づきと呼んでいる。その「気づき」はいつも暫定的で道半ばだ。私とはどうであろうか、それを一つずつ見つける。人は一つ、人は全体の流れの一つ、歯車ではない、川を流れる泡のように、海ではねた飛沫のように、自由でしかない。自由以外ありえない。
あらゆるコンテンツをぼーっと眺めていて、「愛」の使い方はこ