あなたにあげる。
愛している。積み上げられたそれを。作り上げた「私」を演じ切るために懸命に覚えた「物語」。ちゃんと添うように辻褄合わせの行動とセリフを放つ。ギターを弾いているとルノワールの描く水辺のような色彩を感じる。誰しもが「新しい物語」収集していて、塗り替えている。別に答えを求めているわけではないのだ。この空間の根源が「私は何か」という問いに始まったのなら「私を知るための他者」である。「私がどうありたいか」それを教えてくる外側だ。
韓国のカムジャ麺が好きで、時々冷凍のアサリと余った野菜を入れ、そこに少量の味噌をとき食べる。梅肉エキスを足すこともある。麺がもちもちして美味しい。野菜を買うときにエネルギーを見てる。表情の豊ものを選ぶ。家にかえってオリーブオイルで炒める。オムレツにはチーズと胡椒を入れる。食べながら思う。愛せるうちに愛そう。運命とはわたしが居てあなたが居る、「そう感じている今」にしか対応できないのだから。ただそれだけなのだから。
ヒーラーのmayumiさんとインスタライブをした。二回目はエレキギターを使った。演奏に夢中で時より熱くなる第3、4、背骨。湧き上がる熱が心地よく、後半で、ふと全部認めようと思った、1つ1つの感情に正直であろうと思った。その瞬間、配信が乱れた。二人がハイタッチしたように面白い瞬間だった。膨らみデータ容量を超えたような感覚。楽しかった。不定期、月に1度やります。ぜひ遊びに来てください。多分、どんどん音が変わっていきます。アーカイブにはあるけれど、二度と同じ演奏はできないから、そういうのが本当に好き。貴重な経験をさせてくれてmayumiさんありがとう。次は前もって色々録音しようかなー。
感情を覚えているということは細やかな執着だ。自然と流れ去り、我々は管になれるが一つひとつしっかり味わい、蓋をして、同化しようとする。それが苦しいのならやめてしまえる。過去の自分と約束した「幸せにならない」も「オリジナルの自分ではない人格を作る」ことも。いつだって契約破棄できる。自由だ。約束はたかが約束なのだ。ことあるごとに契約を思い出し、捨てると唱える。自覚した瞬間に癒しは始まる。自由の豊かさの上に網で覆う遊びに飽きたならいくらでも外せばいい。わからないなら専門家に任せるといい。自分でできる、誰かに手伝ってもらうも結局同じことだ。自分で選んでそこを進むことに変わりはない。あなたが選んで、手にして、また捨てて。無理に何かをする必要はない。あなたは感じて動くことだけでいい。
そして結局、私はいてもいなくても気にならない、に帰ってくる。水面の粒子のような、観測した瞬間、もうそこにはいない、同じ状態ではない。そういうものなのだ。いつでも変われるよ人は。大丈夫、ちゃんと変わってるよ。
この花束をあなたへ。D.A.N. - Orange (Live)を聴きながら。