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巡りのバトンは手渡されている

部屋を掃除すると天然石たちが喜ぶ。キラキラしてささやいている。ブレスレットの順番も、相性もはっきりこうだと思う。そこに思考はなく、身体の反応に注視する感じだ。ここ数日、藤井風のまつりをよく聞く。お盆だということでいとこの姉ちゃんが来ている。そのおかげで掃除できた。良かった。8/9に大切な友人の子供が生まれた。良かった。その日からハートチャクラが開いていて世界と連動を実感している。豊かさを感じれば日が照り、欠落を創造すれば誰かから連絡が来る。本当に素晴らしくて黙っている。周りにあるもの、人工物から自然現象、私という個体、細胞から宇宙の星々。存在している、そばに感じられる、これほど豊かなことがあるのだろうか。いったいどうなっているんだと全面に浴びて目を閉じている。最近、天然水の触感を変えることができるようになっていることに気づいた。とろみをつけたり、さらっとさせたりできるようになっていた。面白いなーとウキウキしている。肩が痛いという職場のおばちゃんに手を翳してみると、楽になったと言われた。またやってと予約が入っている。

今ハマっているのはMayumi's Healing roomというチャンネル。大体のヒーラーさんは身体の局所的に体感があるのだけれど、この方のは身体全体にある。包まれているような、血管や経絡、気の流れを意識できる。緊張がゆるんでぐっすり眠れる。瞑想にぴったりだし、編集も音楽も僕好み。眼鏡かけていらっしゃるときだとキリっとまた感覚が変わったりして面白い。とっても助かってます。ありがとうございます。

いとこの姉ちゃんにオラクルカードで遊んでもらった。すると2極化、二元論の話がめっちゃ出てきた。なので、ジャッジとコントロールについて説明した。とても簡単にだけど、物事を白黒と判断すること、他者を自分の思い通りに動かそうとすること、この二つを使うと「情けは人の為ならず」「エネルギー循環の法則」みたいな感じで巡り巡って自分に返ってくる。誰かからジャッジされ、コントロールしようとしてくる人に出会うよって。そして盲点なのは「ジャッジ、コントロールは良くない」というものもジャッジでコントロールになるってことだ。好きにしていい、ただ放てば同じものが返ってきますよということ、それだけなんだ。僕は気持ちのいいものを循環させようと思っている。不満も喜びもあるだけ、一瞬であっただけになるよ。感情は風、願いは意図を存在に打ち付ける。光は祈りに近く、全体で1だとはよく言ったものだ。

ふと湧く「愛している」と言いたい欲求。そんな時は自分に目いっぱい、飽きるくらい言うのだ。自分に愛されたら第三チャクラに気が溜まりそこから周りへエネルギーが放たれる。巡りのバトンは手渡されている。

常識や伝統は解体分析され、最適化されていく。今までの当然が再考され、アップデートが始まる。そこでは個々の人々が自分の執着を手放していく。「こうでなければならない」を捨て軽く柔らかくなる。経験の分配、平均化。それはメディア改革、命の危機で行われる。SNSやパンデミック。忘れたくないのはすべての生き物が一生懸命で存在という愛をベースに持っているということ。僕はこれを軸に大いに遊び、大いに旅する。あなたが大切にしているなら僕もそうする。持っているものは分け合うよ。

あなたの素直な振る舞いが世界に暖かな巡りを与える。価値などない、意味などない、私さえいない。ここから何をどう捉え、生み出すのか。いつもどこでも自由なのだ。ただただ自由なのだ。

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