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目が覚めたら

月や太陽と同じだと感じる。この呼吸を名付けることなかれと揺れる。意味づけの必要性を失いつつ、あるバランスでそれは成っている。わたしという集合になんの座標もなく波が砕ける、音が散っていく、火が霞む。曖昧で持続性のない夢だということ。

目が覚めたら、身体を見る。意識を奪われるような不調がないか、食事の消化はどうだろうかとか。肉体があるということで意識はそちらに引っ張られる。身体という物質を保つことで朝は眩しく、夜は優しく、驚き、楽しく、大きな渦を愛しく思う。

目が覚めたら、心に触れる。引っかかり、重心はどこにあるか、何か一つの感情場でじっとしていないか、ゆっくり撫でていく。意識を外せばそこにエネルギーは向かず、現実として認識されない。車のナンバーからぞろ目を探そうと決めれば、すぐに見つけ出せる。空から鳥を探すことも容易い。それはもうある。決めたということは成したということだ。

目が覚めたら、エネルギーの道を整える。宇宙を想い、地球の核と寄り添う。「わたし」という何かがここにいようがいまいが、意識を広げる。するとあらゆるすべてが愛おしくなる。愛が溢れ、感謝がこぼれる。

おはよう、ありがとう。

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