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「他者貢献」で、心は勝手に治る

引きこもりから卒業しようと、27歳の頃に飲食店でアルバイトを始めました。和食店のキッチンをしてました。

そこには、いろんな年代の人が働いていました。大学生、主婦、フリーター、社員。

控え室に入る前の緊張感。自分が入ったあとの一瞬の沈黙。あいさつだけして、黙々と準備をする。

いつもいつも「どう見られているか」を考えていた。


それから、何とかその仕事を続けていき、少しずつだけど慣れてきた頃、大学生の女の子がアルバイトに入ってきました。

ものすごく気弱そうな子で、声も小さくいつも不安そうでした。

その子に仕事を教えていたのが、よくアルバイトともめる、30代前半くらいの社員さんでした。一言一言が威圧的で見ていて不安でした。

その子はすぐ辞めてしまいそうに見えました。仕事終わりに、何か一声かけてあげようとして、何も言えませんでした。結局その子は二度と来ませんでした。


自分のことばかりだったから、何も言ってあげられなかった。「何か言って、無視されたら」とか、「逆に嫌われるかも」とか。

後悔しました。「あの人、誰に対してもああなんですよ笑」とかでもよかった。そんな一言でも、その子の気持ちは楽になっていたかもしれない。


ただ、その出来事がきっかけで、少しずつ自分の中で「目の前の人の為に何か出来ないかな」と考えることが増えた気がします。


「僕の一言でどう思ったか」「影口を言われていないか」とかを、本当にいつも考えていました。
「目の前の人の為に何が出来るだろうか」。こう考える時だけ、そういったネガティブな考えから自由になれました。

まず自分の不安を取り除かなければ、周囲の人の不安を取り除くことは出来ない。

自分の不安の取り除き方は、僕は「人の幸せとか平穏に貢献する」ことが最もよい方法だと思う。

忙しくしている人の仕事を手伝う、落ち込んでいる人に一声かける、ボランティアする、オンラインで誰かの話を聞いてあげる。なんでもいい。なんなら「助けたい」「貢献したい」と思ってなくてもいい。
「こうすればこの人は楽になるんじゃないかな」ということを、躊躇せずやってみる。

人に貢献する→自分自身の不安が減る→心の余裕ができる→誰か助けたいと思う→人に貢献する

こういう良い循環が生まれれば、心は勝手に治っていく。


結局、僕がnoteを書いている理由も自分の為なんだな、と改めて実感しました。

「誰かに貢献している」という実感は、自分自身の幸せのために必須です。

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