Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち 第3話『“ハリー” “フジオ” “カワカミ” 若き日の思い出』
取材・文◎カスヤトシアキ
話/ジョージ(野月譲治)
協力・資料/音源/文◎高八(高橋清次)
協力◎石黒耕一郎(ワインバー店主)
協力◎中村俊彦(フリーデザイナー)
協力◎古岩井公啓(Good Lovin’)
V T R◎Andy Shiono(フリー映像クリエイター)
三軒茶屋のワインバー/ペロハレ『Wine Perohale Music』
三軒茶屋にある石黒(※1)のワインバーに向かっていた。彼に会うのは実に30年振りである。
人間、30年も会わなかったらどうなるのだろう? 僕は同窓会なるものに出たことがないから、人間の変貌には疎い方だと思う。それに、人の顔を覚えるのが苦手なのだ。名前の認識もおぼつかない。(単なる記憶力の問題なのかも知れないのだが…)しかし、特徴のある顔は決して忘れない自信がある。だから、百年振りに出会っても石黒のことはわかるだろう。なんてね、中村俊彦(※2)を伴ってワインバーに向かった。
中村俊彦という人物は古い友人で、簡単に紹介すれば、『TEARDROPS』のCDジャケットをデザインしていた男といえば良いのだろうか。もともとはフールズの紹介で知り合ったのだが、縁があり、かつてのウチの事務所に居ついたのである。
今回のnoteを始めた一件で、この中村当人が(『自殺』の)川上を東京に呼び寄せた張本人だったことが判明した。なんて、ちょっと大袈裟な言い方なのかも知れないが…。
●中村「ダサい格好をして富山から出て来たばかりの川上と渋谷で待ち合わせたのはオレよ。奴は『Player』誌に載せたメンバー募集に喰いついて来たんだ。数回スタジオでセッションしたりしてから、東京・ショックを与えるがごとく、渋谷の屋根裏で『ルージュ』を見せたら、めちゃ気に入ってさ、タコ(※3ルージュのヴォーカル)に心酔した。オレが渡した(ルージュのLIVE)テ-プのMCまでコピーする入れ込み様で、ちょっと引いたくらい。いきなりで刺激が強すぎたのかもね」
まぁ、繋がる人間ってものは、出会うべくして出会っているのかも知れない。近くにいる輩が回りまわってアッチのアイツともつながっていたのか、とかね。
そんなことを想いながら石黒の店に到着した。
なかなかにコギレイな外観である。
階段を上がり扉を開けると、「よぉ〜、久しぶり!元気かよ!」
とカウンター越しに声をかけてくる石黒と対峙して、30年間の空白に対する想いは全くの徒労だと知った。唖然とするほど、昔と何の変わりもない石黒がそこに居たのだ。少年がそのまま歳を喰ったような風貌は今も健在である。つい最近も会って悪ふざけをしていたような錯覚におちいる。突然にツケを払わなければならない強迫観念に駆られながらも、山ほどの想いをかき分けて、“石黒耕一郎の『自殺』”について訊いてみることにした。
石黒が川上と同居して一緒に『自殺』をやるわけ
●石黒 「川上と住んでいたのは都立家政(とりつかせい)にある3L D Kのマンション。西武新宿線にある野方駅の一つ先って言えば分かりやすいかなぁ。ワンボックスのアンプとか、デカい機材を持っていたからさ、狭い部屋じゃ無理だったんだ。ジョージや高八が最初に訪ねて来たのはこの部屋なんだよね。健全な住民が住んでいるような生活圏だったからさ、ベランダ越しに両隣の奥さんたちが、干した布団をパンパンパンと叩きながらながらデカい声で会話しているようなところ。『今日の天気はどう?』なんてさ。俺たちは不良だから昼間は寝ているっていうのに、世間話してんのよ。まぁ、そっちが当たり前なのに、『ウルセェ〜!』って、川上なんか叫んじゃったりしてね、『やっぱ、俺たちこーゆーところ向かないんじゃない?』なんてさ、完全にこっちが悪いんだけど、気づかないんだね、馬鹿な上に若いときている。そんなところに3年くらい居た気がするなぁ。『自殺』ね。俺はソコで3年くらいギターを弾いていたよ。」
「でも、川上と誰よりも早く会っているのは中村か!?」と石黒は中村に話を振る。
●中村 「そうだよ。俺は全身レザーフェイクのジャンプスーツっていでたちで、富山から東京に出て来た川上と、誰よりも最初に会ってるんだ。しかも下がパンタロンなんだ。生まれて初めて見たよ、あんなスタイルは。奴は18歳だったな。
その時の俺は21歳かそこらで東京は3年目くらい。`76年くらいだったと思う。立教(大学)がつまらなくて、『東京デザイナー学院』に入り直したんだ。そうしたら、1級上にクリ(栗原正明)とコウ(伊藤耕)が居て、まだ『フールズ』とかの前だよね、『スピード』とか『サイズ』とかの時代かも知れない。
(ということは、中村俊彦、伊藤耕、栗原正明は、『東京デザイナー学院』で、ジョージの先輩ということになる)
その少し後に川上とバンドを組んだんだよね。俺はギター。奴はヴォーカル。『セカンド・スーサイド』ってバンド名にした。アメリカに『スーサイド』ってバンドがあったからさ、そこから取ったんだけど、川上はその後バンド名を日本語にして『自殺』にしたんだと思うよ、単純な奴だよ、全く(笑)」
Surrender ('88 Version) (2023 Remaster)
※スーサイドは、アラン・ベガ(ボーカル)とマーティン・レヴ(シンセサイザー、ドラムマシン)の2人によって、1970年にニューヨークで結成されたアメリカのロック・バンド。
中村は半年ほど『セカンド・スーサイド』で川上と活動を共にし、お終いにしたという。その時に一緒に活動していた地味なギタリスト(ほしくん)の紹介で、石黒は川上と知り合った。これは全くの偶然なのだ。やはり、繋がる人間ってものは、出会うべくして出会っている。ちなみに(ほしくん)は、その後、伊藤耕と一緒に『SEX』というバンドを作っている。
●石黒 「俺は川上にスカウトされたってわけだ。きっかけは(ほしくん)と一緒に行った高円寺の『ブラックプール』という店。カウンターしかない狭い店なんだけどさ、鳥井賀句(※4)がやっていて、どうしようもないロック好きが集まっているようなところだった。そこに初めて行った時、そのカウンター横の狭いスペースで、誰かがもう1人の誰かをヘッドロックして『これでもか!』って締め上げているんだよね。“こりゃあ、とんでもないところに来たぞ!”って思ったさ。その締め上げ男はその後も若い奴を見つけては手当たり次第にヘッドロックをかましているわけだ。それが初めて見た良(川田良)だったんだよね。良はあの頃荒れていたね。とんでもない奴だった。
Jungle's / Break Bottle
※川田良率いるJUNGLE'S
HALLUCIONZ( 鳥井賀句)「AGE OF RHYTHM:リズムの時代」
川上もその店の常連で、そこで知り合って一緒に都立家政に移住したんだ。そこにジョージたちが来るっていう流れになるわけなんだよね。川上が言うには、ちゃんとした音楽をやりたいっていう理由で、(『自殺』にいた)クリやカズとオサラバしたらしい。彼らはパンク好きだからとか言ってたな。ドアーズがどう違うのかわからないけど、そっち方面に行きたいみたいだった。
川上ってのはさぁ、ある意味商売人っていうか、とにかくセコイんだよ。パーティ開いてニッカの安いウィスキーをしこたま仕入れて、高いウィスキーボトルに詰め替えて客に飲ませるとかさ、小学生が考えるようなことを平気でするわけよ。富山の実家はそれなりに裕福そうなんだけど帰れねぇんだよな。俺なんか、盆暮は千葉の実家に帰郷するんだけど、奴は何故か帰らないわけ。それでも貢いでくれるグルーピー嬢なんかがいて、あれこれと世話を焼いてくれるんだけど、ある年の瀬に川上とその“貢ぎ嬢”が言い争いをしているわけ。その娘の実家はスーパーなんだけどさ、正月のハムを丸ごと貢いでくれるはずが、切った薄っぺらい奴を持ってきたらしくて、川上が猛烈な勢いで怒っているのさ。『これで俺に正月を過ごせっていうのか!』なんてね。ほんと、呆れちゃったよ。かまぼこなんかもあったけど、どうやら暮れの売れ残りをかき集めて持ってきた感じだったなぁ。なんか切羽詰まった場面を見せられて、奴に新年は来ないのかも?!って思ったくらいだった(笑)。
『自殺』が解散した理由? ……解らないし、覚えていない。俺は、その後に『フールズ』に参加して、’82年には『WC?』という店を始めちゃったからさ。そこからしばらくはバンドの世界では無くなったんだ。川上は『WC?』にも来ていたよ。しばらくは『フールズ』の連中や仲間たちと楽しくやっていたんだけど、ある時、奴がぐだぐだと他の客に絡んだ時があってさ、そのとき殴って追い出しちゃったんだよね。それ以来、店には一度も来なくなった。来づらくなったんだろうなぁ。アレが最後になるとは思ってなかったけど、川上とはそれ以来会ってないんだ」
●石黒 「でもさ、こんな噂話をしていていると、また川上が現れるんじゃねぇの?面倒なことを言ってくるぜ。俺たちも覚悟しておいた方がいいかもな(笑)」
●中村 「いや、奴はもう亡くなったらしい。」
●石黒 「えっ!?そう…、か。本当にあの時が最後になっちまったのか」
人生は割と早く過ぎていく。若い頃は足元を確かめるのに一生懸命で、先の風景もろくに確認しちゃいないのだが、気がつくと周りを見回したまま途方に暮れる時が来る。まぁ、それもまた仕方がないのかも知れない。今の想いは、遠い昔に見た風景に繋がっているのだから、ね。
くたびれて/1980/02/16自殺・渋谷屋根裏LIVE
石黒はその後、10年間ほど『WC?』を経営した後、千葉の実家に戻り、親の介護などを経験しながら山口富士夫率いる『カウンターカルチャーバンド』に参加するのだが、ソレらの想像を絶するエピソードはまたそのうち、ゆっくりとお話ししようと思う。
それでは、改めまして、ジョージの登場です。
『自殺』、『コックサッカーズ』を経て、次はいよいよ『ウィスキーズ』へと展開していくのだけど、その前にちょっと寄り道を。
知っている人には当たり前な話だが、知らない人には意外に思えるエピソードとして、今回はジョージのプライベートなシーンに寄ってみようと思う。
藻の月/2021/07/24 Release New Album『Casualismus』/Owl Song PV
ジョージ/談『ハリー(ストリート・スライダーズ)とは仲が良いんだ』
●ジョージ 「ハリー(※5)と初めて会ったのは、19歳の頃だった。明星大学に通っているダチがいて、そいつは大学の軽音楽部に入っていたんだが、ある日、何かの用事で奴と会ったら、『ジョージと同じオープン・チューニングでギターを弾く奴が(軽音楽部に)いるぜ!』って言うのさ。すかさず『面白ぇから会わせろよ』って話になったんだけど、そいつがハリーだったんだよ。俺たちはハナっから気が合って、スタジオにも一緒に入ったりしていたんだけど、何故か、何かを一緒にやるところまではいかなかったんだな。そこら辺の理由は今でもわかんねぇ。まぁ、奴はスライダーズ(ストリート・スライダーズ)を作って、俺は『自殺』ってわけだ。それが自然だったんだと思よ(笑)」
ハリーとジョージの出会いについて、高八にもう少し詳しく解説してもらうことにする。
●高八 「野月(ジョージ)とバンドを始めたばかりの頃、“並木”という奴がもう一本のギターだったんですが、彼が明星大学に通っていたんです。その頃の僕らは相変わらずヴォーカルを探していました。そんなある日、並木が、“大学の軽音の先輩に上手いヴォーカリストがいる”というので、早速にリハで録ったテープを持って行ってその人物に聴かせたんです。すると、向こうも興味を持ったみたいで、取り敢えずセッションをしてみようかという話になりました。“その上手いヴォーカリスト”っていうのが村越(ハリー)でした」
高八が言うにはジョージとハリーの音楽的・アート的嗜好性はとてもよく似ていて、ZUZU(ストリートスライダース/路傍の石/Dr)曰く、「2人は、音楽的には双生児みたいだ」と言っていたとか。
●高八 「野月(ジョージ)のリクエストで音源を野月に送ると、“これを村越(ハリー)にも送ってくれ”と頼まれるし、村越のリクエストでシャツを特注すると、“これをジョージにも送ってくれ”と言うことになる。終いにはハナっから両方に送るようになりました(笑)。」
他にも、ジョージがやっていたバイトを“ジョージがやっているのだったら、俺も!”と、ハリーが一緒にやったこともあったのだとか。怪獣のフィギアも二人の共通の趣味で、ジョージは手先が器用なので、粘土細工でリアルな怪獣を作ってハリーにプレゼントしたりしていたのだとか。ハリーは喜んでソレを部屋に飾っていたという。
超現実主義(シュール・レアリスム)やダダイズムの絵画も2人のお気に入りの分野だ。“イヴ・タンギー”の絶版本を手に入れた時、つい嬉しくなったハリーは、思わずジョージに連絡してしまったらしい。高八が絵画をあしらったT シャツを製作すると、2人はこれをそろって愛用している。
●ジョージ 「ハリーと俺は同じ世代だし(ハリーはジョージの1学年上だが、早生まれなので4月生まれのジョージとほとんど同じである)、好みが似ているんだよ。スライダーズが売れて、武道館とかをやる時期までは、よく一緒に遊んでいたんだけどさ、そのうち忙しくなって会えなくなった。忙しいのは俺じゃないよ、ハリーだよ(笑)。でも、最近また会っているよ。今でも会って、呑んで、定期的に楽しんでいるんだからさ、仲が良いんだろうな、俺たち。親友だと思っているよ、俺はね」
時々、ジョージとハリーのデートに呼ばれることがある。たいがいは中野ブロードウェイ帰りの少年のような目をした2人が、怪獣のフィギアを抱えて「ホクホクと一杯やろうか!」と言うシーンに呼ばれるのだが。寡黙な2人が黙々と呑んでいる間で、その空間を埋めるように何かを喋ったり、話題を作ったりして、ソレなりに気を使うのだが、ソレはソレで愉しい時間でもある。今回のエピソードを聞いて、高八はずっとそうして来たんだろうな、と想った。
酒の席ではコチラがヘベレケになって“もうダメだ”と言う頃、ハリーはやっとエンジンがかかってくる。無表情に赤みが差し、笑顔になって来ているのがわかる。ジョージが「そろそろ帰るか」というと、「何で?」とハリーが返す。僕とジョージは顔を見合わせる、と言うわけだ。
そんな夜が格別に愉しいと思うのだ。彼らは少年時代のままのお互いを認めている。お互いの音楽を讃え、お互いの身体を気遣い、子供の頃好きだったことを今でも大切にする時間を共有しているように見える。
そんな友人は滅多にいないだろう。
これからもずっと変わらずにいて欲しいと思うのである。
The Street Sliders「Boys Jump The Midnight」Music Video
D2 / 2021/03/27 ShowBoat
余談だが、15年ほど前になるだろうか、福生『UZU※6』のエリコさんの手引きで、冨士夫とハリーが対面したことがある。当時、冨士夫は体調が悪く、なんとか音を繋いでいるような状態だった。見兼ねたエリコさんがハリーを呼んで、冨士夫にとって何らかの活性化になればと思ったのかも知れない。或いは、僕の方からリクエストしたのかも知れないが、目論見どおりにはいかなかった気がする。2人は店の中で対峙し、音を出すでもなく、会話が弾むでもなく、なんとも言えない静かな時間だけが流れて行った。
最近になって、ジョージと共にハリーと呑んだとき、
「アレはいったい何だったんだろうね?」と問うたら、
「何だったんだろう」というハリーからの返しであった。
人間の出会いというものは、そのときの状況やお互いを思う価値観で変わるものだ。同じように、ジョージが川上と出会い、『自殺』を通じて、『村八分』や冨士夫のことを知ったとき、ジョージはいったいどういう気持ちだったのだろうか。もちろん、冨士夫の存在自体は知っていただろうが、“実際に冨士夫に会ってみよう″と思ったのは、どういう心境だったのだろう?
ジョージ/談 「山口冨士夫に会いに″ほら貝″に行ったんだ」
●ジョージ 「国分寺にある『ほら貝※7』という店に行けば冨士夫に会えるって言うからさ、行ってみたんだ。しばらく1人で呑んでたら、ホントに本人がバタバタと入って来た。右手にはギプスをしていた。何でも、頭にきたから電車をぶん殴ったら腕のほうが折れたんだって。当たり前だろ!っていうか、そこまで電車をぶん殴る奴を初めて見たよ。いや、電車をぶん殴ること自体がおかしいって(笑)」
ほら貝は日本最古のロック喫茶だといわれている。ヒッピーコミューンや部族(解放同盟)の人たちが起業した聖地のような店である。僕の場合も、「冨士夫のマネージメントをやるんだったら、とにかく来い!」って、店長のサタン言われて、恐る恐る行ったことがある。まだ僕が20代の会社員の頃だ。夕暮れ時に行ったのだが、翌朝まで帰れなかった(帰してもらえなかったのだが……笑)。次々と現・社会や世の中に関するレクチャーを受け、僕らが常識的に生きている社会の他に、幾つもの違った社会が存在することを教わった。物事の考え方は決して一つではないのだ。そして、多数決は決して正義ではない。よって、マイノリティを差別してはいけない。など、今でも生きる上で、心の指針になっている事柄は多い。
●ジョージ 「コウ(伊藤耕)や良(川田良)の時もそうだけど、インパクトのある奴と出会った時のことは忘れない。同じ意味で冨士夫の時もそうだったよ。『ほら貝』に来た冨士夫に話しかけたら、“お前は詩人か?”っていきなり訊いてくるんだ。何のことかわからないでいたら、どうやら俺がしているでっかいダイヤモンドみたいな指輪を見てイメージしているみたいなんだ。ソレが何で詩人なのかは別にして、そこら辺がハナっから印象的だったな。
携帯がない時代だったから、『ほら貝』の電話を冨士夫の連絡先にしているみたいで、冨士夫宛に電話がかかってくるんだ。そうすると、“フジオさ〜ん、電話で〜す”って店の人から声がかかる。すると冨士夫は、“女なら出るぜ!”って答えたまま、男の場合は決して出なかった(笑)。仕事の電話なんかもあっただろうに、可笑しかったな。“わざわざ俺に会いに来たのかぁ、そこまで俺に会いてぇのかぁ!”って、けっこう悦に行ってくれて、“今度、俺ン家に遊びに来いよ”ってことになったんだよね」
その頃の冨士夫は西国分寺に住んでいた。北鎌倉にあった僕の家にもよく遊びに来ていたが、西国分寺の家と北鎌倉を行ったり来たりしていたのだと思う。
●ジョージ 「それでさ、その時に約束した日時に冨士夫の家に遊びに行ったんだけど、運の悪いことにその日は集中豪雨だったんだよ。だから車が途中で立ち往生しちまったんだ(ちなみに冨士夫は見事な雨男である)。仕方ないから車を捨てて、途中から電車で行ったんだ。それで、西国分寺駅の公衆電話から連絡したら、“お前はおもしれー奴だな! そこまでして俺に会いてーか”なんて言いながら迎えに来てくれて、“ちょっと、旨い店があるから紹介するよ”とか言って、近所の居酒屋に入って乾杯さ。その頃の俺は今とは大違いで酒が弱かったんだけど、“良いからこれをちょっと呑んでみろよ、目がシャキっとするぞ!“とか何とか言われて、わけのわかんねぇ日本酒を飲まされて、グデングデンのドロドロになって冨士夫の家に着いたんだ。
そこからは泥酔状態のことでもあり、よく覚えてないんだけど、気がついたら冨士夫がギターをぶっ壊しているところだった。“俺はこのギターが大っ嫌いなんだ!”とか叫びながら、フェンダーのギターをコンクリートの塀やアスファルトに叩きつけているんだよね。ソレはどうやら『裸のラリーズの水谷※8』から譲り受けたギターらしいんだけど、バキバキに壊しているわけ。ソレが終わると冨士夫は、“ああ、スッキリしたぜ!”とか言っちゃって、風呂に入りに行ったんだよ。気持ちがスッキリしたから、体まで洗いたかったのかな? そこらへんは本人じゃないとわからないんだけどね。俺はまだグデングデンさ。次に気がついた時は何故か玄関に警察官が立っていて、その前で風呂から出た冨士夫がスッポンポンになって向かい合っているシーンだった。そこにこれまた何故か俺が水鉄砲を持っていて、ピュッッッ! って、オマワリに向かって撃っていたのを覚えている。警察官が来たのは、きっと近所の人が通報したんだな、あれだけ騒いでいたら誰だって110番するだろう、って話なんだよ。ほんと、ヤバいよな。だけどその後は何事も起こらなかった。ソレでも俺はまだ、泥酔状態だったからよく覚えてないんだけどさ(笑)」
もしかすると、たまたま物分かりの良い警察官にあたったのかも知れない。あるいは冨士夫のことを知っていたのかもね?いずれにしても何事もなくて良かったのだ。
●ジョージ 「酔いが覚めたら冨士夫が言うんだ。“俺はコレから横浜に行くんだけど、お前も一緒に行かねぇか?“って。“一緒に音を出そうぜ!“ってさ。そう言われて少し考えたけど、“今度にしておくよ“って断っちまった。つくづく俺って小心者なんだって思ったよ。ちょっとビビったのもあるな。だけど、あの時に冨士夫と一緒に行っていたら、俺はどうなっていたんだろ? って考える時があるよ。良いか悪いかは別にしても、間違いなく違う人生があったような気がするんだ」
この頃の冨士夫は音楽を辞めていた。実際にこの後、横浜に引っ越して『焼き芋屋』を始めるのだが、ジョージが一緒に行っていれば音楽を続けていたのかも知れない。いや、新たなるバンドを作って違うシーンが生まれていたかも知れない。だけど、ソレが成功の一歩か、破滅の落とし穴かは神のみぞ知る、である。
くたびれて (from 山口冨士夫 GROOVY NIGHT IN KYOTO 2002 完全生産限定盤)
高円寺に帰ったジョージを出迎えたのは、コウと良だったとか。「冨士夫はどんな奴だった?」と、興味津々だったらしい。青ちゃんはすでに『フールズ』を作っていたから、仲間であったが、山口富士夫はこの頃はまだ“Over There”の存在だったのだ。
今回のジョージの(冨士夫)エピソードが1981年頃だとすれば、青ちゃんと一緒に『ウィスキーズ』やるのは6年後の1987年である。21歳の青年は27歳に成長しているというわけだ。そんなジョージの次回はいよいよ『ウィスキーズ』結成。多方面からの証言で構成してみようと思う。お楽しみに!
(第3話『“ハリー” “フジオ” “カワカミ” 若き日の思い出』終わり▶︎第4話に続く)
【WHISKIES/CD】 2023年7月12日発売!
※青木眞一(TEARDROPS)、ジョージ(自殺)、マーチン(フールズ)、宮岡(コックサッカーズ)による、ウィスキーズ唯一の音源であるシングルリマスターを初復刻!山口冨士夫のカバーを含む未発表ライブを2CDに収録!
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●ジョージ(野月譲治)プロフィール
■藻の月/Vo・Gu
1959年生まれ。青森県三沢の出身。ドイツ人の父と青森県人の母を持つ。1979年頃、ヴォーカリスト川上浄と出会い、メンバーが流動的だった後期の『自殺』に参加。その後『コックサッカーズ』に改名してからは、ジョージのオリジナル作品でファンの心を掴んだ。そこで得た人脈とメンバーは、青木眞一(村八分・TEARDROPS)と組んだ『ウィスキーズ』、尾塩雅一(ルージュ)との『Canon』へと発展し、ロックンロールの伝説を生んだ。以前からのメンバーに加え、新たなメンバーと『藻の月』を結成。新メンバーの“若い魂”を注入し、過去と未来を繋ぐ“月の夜“を描いている。
●カスヤトシアキ(粕谷利昭)プロフィール
1955年東京生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。イラストレーターとして社会に出たとたんに子供が生まれ、就職して広告デザイナーになる。デザイナーとして頑張ろうとした矢先に、山口冨士夫と知り合いマネージャーとなった。なりふり構わず出版も経験し、友人と出版会社を設立したが、デジタルの津波にのみこまれ、流れ着いた島で再び冨士夫と再会した。冨士夫亡き後、小さくクリエイティブしているところにジョージとの縁ができる。『藻の月』を眺めると落ち着く自分を知ったのが最近のこと。一緒に眺めてはどうかと世間に問いかけているところである。
●高橋清次 プロフィール
通称/高八(たかっぱち)は、ジョージの立川時代からの幼馴染みであり親友である。中学時代からバンドを組み、『自殺』『コックサッカーズ』でも良きパートナーであったが、高八自身はミュージシャンに専念することはなかった。現在もジョージの適切なアドバイザーとして仲が良い。
※1●石黒耕一郎 プロフィール
1956年千葉生まれ。『自殺』にギタリストとして参加。ヴォーカルの川上と同居する。82年から92年までの10年間、神宮前で『WC?』というBarを経営していた。『フールズ』をはじめとするあらゆる怪しい輩が常連となったが、出世したのはキャンドルジュンだけである。後に山口富士夫率いる『カウンターカルチャーバンド』にギタリストとして参加。極甘と極苦を経験する。現在は三軒茶屋で『ペロハレ』というワインバーを営んでいる。気が向いた方は気の利いた音楽とワインを堪能してほしい。ただし、マリファナをはじめとするドラッグ全般は禁止である。
※2●中村俊彦 プロフィール
1956年熊本生まれ。立教大学に入るために上京したが、すぐに東京でデザイナー学院に入り直し、『セカンドスーサイド』というバンドを川上と組む。フールズの周へんで飛びながら、TEARDROPSのデザイン・スタッフとして落ち着き、その後も雑誌等のデザインをしていたが、いったん、生まれ故郷の熊本に帰郷した。去年、再び上京し、楽しんであるところである。
※3タコ(ルージュのヴォーカル)
阿部 卓也(あべたくや)FEI Recordの前身“リップスティック”がプロデュースし、メンバーの他界などで伝説となってしまったバンド『ルージュ』のヴォーカル
※4鳥井賀句
1980年代よりロック評論家としてさまざまな音楽誌等に寄稿。ローリング・ストーンズ、イギー・ポップ、他の独占インタビューを敢行。東京ロッカーズのムーブメントに自らのTHE PAINで参加。その後レコード・プロデューサーとしても活動し、ジョニー・サンダース等のアルバム・プロデュースを手掛ける。現在はミュージシャンとしてPEACOCK BABIES、HALLUCIONZ等で活動する傍ら、中国算命占星学師範として、占い師としても活動している。ブラックプールのオーナーでもあった。
※5●HARRY(村越 弘明) プロフィール
1959年東京生まれ。THE STREET SLIDERSの創立者でメイン・ボーカルを担当。アコースティック・ユニットのJOY-POPSでも活動している。ジョージと大の仲良しである。
※6 UZU
基地の街、福生にある老舗ライブハウス。The Street Sliders、JUN SKY WALKER(S)、ZIGGYを輩出した伝説のライブハウス。
※7ほら貝
国分寺にある、ヒッピーカルチャーが創った日本初のロック喫茶。2008年に惜しまれながらも閉店した。
※8裸のラリーズ
裸のラリーズ(はだかのラリーズ)は、ヴォーカル、ギターの水谷孝を中心に、1960年代から1990年代にかけて活躍した日本のバンド。山口冨士夫、久保田麻琴、高橋ヨーカイ、三浦真樹などが一時在籍。結成時のメンバーには、後によど号ハイジャック事件に加わった若林盛亮もいた。
■藻の月/LIVE告知■
●6月29日(木曜) 新大久保 EARTHDOM (アースダム)
“WILD PARTY Presents”
出演:●WILD PARTY●藻の月●スケルトンクルー●浅井永久グループ
Open/18:00 start/18:30
前売り2,500yen 当日2,800yen
●7月8日(土曜) 東高円寺UFO club
【青いジャングル】
出演:●藻の月●K.SHARPS BAND●高田拓実(Vo/Ag)+ケイジロンソン(Eg)…& mores
OPEN 18:30~START 19:00~
ADV.¥2500(D別) DOOR.¥3000(D別)
●7月28日(金曜) 高円寺ShowBoat
【ウィスキーズCD発売記念】
出演:●藻の月●The Ding-A-Lings●まのけばJET
OPEN 18:30 START 19:00
ADV.¥2300 DOOR.¥2800
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