あまりよいにんげんではない暖冬 自虐の句に見える。 しかし、「わたしは正しい、あんたは間違っている(なぜなら、わたしはよいにんげんで、あんたはわるいにんげんだか…
「俳壇無風」時代の「新興俳句」論争 昨年十二月十七日、現代俳句協会青年部勉強会〈「新興俳句」の現在と未来〉の司会を務める機会を頂いた。事前に公表された勉強会の概…
狐火を使ひ古して狐です 柿本多映 狐火の由来は、一説には狐が口から吐く火からだそうだ。 掲句は発想を逆転させ、あたかも、あなたが普段見ている狐はそのように成立…
新型コロナウイルスのパンデミックの始まりからもうすぐ丸四年が経とうとしている。自粛されていた人と人との対面も解かれ、それ以前の日常が戻りつつあるように見える。し…
1 はじめに野ざらし延男氏は、戦後沖縄における「俳句革新」の実践家であり、伝統と前衛の枠を超えた戦後沖縄俳句の「生き証人」である。「俳句革新」の内実については後…
「第15回こもろ日盛俳句祭」が、今年の七月二十八日から三十日、三日間にかけて長野県小諸市で開催された。私は二日目の午後から三日目にかけて初めて参加してきた。この俳…
帯に記されている「日本経済新聞と毎日新聞連載のエッセイ集」と聞けば多少おカタい印象も与えようが、そんなことはない。すべて見開き二ページで完結、気軽に開いた頁から…
日時 二〇二三年五月十三日(日)10時15分~11時30分 場所 福島県須賀川市民交流センター(tette)たいまつホール 皆さんこんにちは、鈴木光影です。昨日昼頃に須賀川に…
俳人・深夜叢書社社主の齋藤愼爾氏が、3月28日に亡くなった。 齋藤氏は今年初頭、第23回現代俳句大賞を受賞されていた。 俳句実作、俳句批評、俳句関連書の企画編集など…
石井露月の「365日」 今年二〇二三年は、秋田県の俳人・石井露月(1873~1928)生誕一五〇年の節目の年である。文学を志し秋田から上京した露月は明治二十七(一八九四…
2022年10月29日 沖縄10名の合同出版記念の集い 那覇市八汐荘にて 鈴木光影です。私はこの平敷武蕉さんの句集『島中の修羅』の巻末解説も書かせていただきましたが、今日…
( )の俳句 雪の降りしきる夜。戸外はしんと静まり返り、凍てつく寒さに身を硬くしたような家屋。雪国の冬の暮らしが匂う。何日も降り続ける雪のように繰り返す日常に、…
本稿を執筆している二〇二二年の夏、東京では連日三〇度を超える猛暑が続いている。灼熱の太陽光を吸い込んだコンクリートの地面やビル群。少しでも涼を求めて、先日都内で…
アンソロジー詩歌集『闘病・介護・看取り・再生詩歌集―パンデミック時代の記憶を伝える』の作品を公募中だ。 俳句の歴史において、「闘病」中の床から詠まれた俳句につい…
(1)俳句は分からなくてもいいまず、俳句は、作者と読者という2人の間の「共通感覚」を土台にして成り立っています。 この土台が地続きになっていると「分かる」、繋が…
寺山の言葉から約六〇年を経た二〇二二年。SNS全盛、誰もが(それを望めば)自分の言葉を直接インターネット上に書き込み、世界中に発信できる時代である。しかしSNS…
鈴木光影
2024年4月14日 22:17
あまりよいにんげんではない暖冬自虐の句に見える。しかし、「わたしは正しい、あんたは間違っている(なぜなら、わたしはよいにんげんで、あんたはわるいにんげんだから)」と、意見の異なる他者を攻撃する人より、はるかに謙虚で誠実な態度だと思う。思えば、人は皆、「あまりよいにんげんではない」のかもしれない。「薄志弱行」でも、時に自虐的でも、己自身や「暖冬」の現実をそのまま受け入れて生きてゆく。
2024年3月6日 09:33
「俳壇無風」時代の「新興俳句」論争昨年十二月十七日、現代俳句協会青年部勉強会〈「新興俳句」の現在と未来〉の司会を務める機会を頂いた。事前に公表された勉強会の概要は次のようであった。なお、勉強会の企画立案と運営には青年部部長の黒岩徳将と、同じく委員の加藤右馬が関わった。発端となった『新興俳句アンソロジー』(ふらんす堂)の序で、当時の現代俳句協会青年部部長の神野紗希氏は「……このアンソロジ
2024年2月2日 19:08
狐火を使ひ古して狐です 柿本多映狐火の由来は、一説には狐が口から吐く火からだそうだ。掲句は発想を逆転させ、あたかも、あなたが普段見ている狐はそのように成立しているんですよ…、と言われているようだ。黄泉路の案内人が教えてくれる豆知識のような口調。そもそも狐火は「使」うものなのだろうか?私はいつのまにか多映ワールドに引き込まれている。模糊とした虚をどこまでも使い古していくと、
2023年12月4日 11:48
新型コロナウイルスのパンデミックの始まりからもうすぐ丸四年が経とうとしている。自粛されていた人と人との対面も解かれ、それ以前の日常が戻りつつあるように見える。しかし、その間に起きたロシアのウクライナ侵攻、さらにイスラエル・ガザ戦争も進行中で、地球上に暗い霧がかかっているような時代の空気は今も続いているように思われる。二〇二三年六月の奥付で刊行された池田澄子氏の第八句集『月と書く』(朔出版)は、
2023年11月14日 10:54
1 はじめに野ざらし延男氏は、戦後沖縄における「俳句革新」の実践家であり、伝統と前衛の枠を超えた戦後沖縄俳句の「生き証人」である。「俳句革新」の内実については後で詳述するが、野ざらし氏は長年沖縄の地で、前衛的な俳句実作・俳句評論・俳句教育の分野の第一線で活動してこられた。これまで、四冊の個人句集や複数のアンソロジー句集の出版に加え、沖縄俳句史にとって貴重な資料である『沖縄俳句総集』(1981)の編
2023年9月6日 09:16
「第15回こもろ日盛俳句祭」が、今年の七月二十八日から三十日、三日間にかけて長野県小諸市で開催された。私は二日目の午後から三日目にかけて初めて参加してきた。この俳句祭は、二〇〇九年、俳人の本井英氏(「夏潮」主宰)らが中心となり立ち上げ、小諸市の主催により続いている。新型コロナの影響で、対面での開催は四年ぶりという。名称の「日盛」の由来は、第二次大戦末期の一九四四年に鎌倉から小諸に疎開していた高
2023年9月4日 14:26
帯に記されている「日本経済新聞と毎日新聞連載のエッセイ集」と聞けば多少おカタい印象も与えようが、そんなことはない。すべて見開き二ページで完結、気軽に開いた頁から読み始められる。どのエッセイにもかならず一つ以上の俳句と季語が引かれる。季語といっても、分厚い歳時記の中で眠っている言葉ではない。近隣の散歩や庭の手入れ、家族との屈託のない会話など、髙田さんの日常生活の中で生きた言葉として綴られる。髙田
2023年6月13日 08:01
日時 二〇二三年五月十三日(日)10時15分~11時30分場所 福島県須賀川市民交流センター(tette)たいまつホール皆さんこんにちは、鈴木光影です。昨日昼頃に須賀川に着きまして、永瀬十悟さんに牡丹園をご案内いただきました(地球温暖化の影響もあってか年々開花時期が早くなっているようです)。その後「桔槹」有志の皆さんと街中吟行をして市役所の展望台からウルトラマン(*須賀川は特撮映画監督の円谷
2023年4月3日 09:14
俳人・深夜叢書社社主の齋藤愼爾氏が、3月28日に亡くなった。齋藤氏は今年初頭、第23回現代俳句大賞を受賞されていた。俳句実作、俳句批評、俳句関連書の企画編集など、長年にわたる俳句界への多面的な貢献が高く評価されての授賞だった。3月18日に開かれた現代俳句協会年度総会内で行われた授賞式にご本人が出席できるか否か、齋藤氏と周りの方々は最後まで検討されていた。しかし体調が整わずに当日は欠席さ
2023年3月3日 07:57
石井露月の「365日」今年二〇二三年は、秋田県の俳人・石井露月(1873~1928)生誕一五〇年の節目の年である。文学を志し秋田から上京した露月は明治二十七(一八九四)年に正岡子規を訪ね、新聞「小日本」の編集に加わる。のちに高浜虚子、河東碧梧桐、佐藤紅緑と並んで「子規門下の四天王」と呼ばれるようになる。子規には「碧、虚の外にありて、昨年の俳壇に異彩を放ちたる者を露月とす」とまで賞された。元々患
2022年12月5日 07:43
2022年10月29日 沖縄10名の合同出版記念の集い 那覇市八汐荘にて鈴木光影です。私はこの平敷武蕉さんの句集『島中の修羅』の巻末解説も書かせていただきましたが、今日はその中から五句を選んでお話しをさせていただきます。太陽からイデオロギーが消えていくこの句は、全世界的な脱イデオロギー状態が描かれています。私は今三十六歳なのですが、同世代を眺めても、少しでも政治的な事象にはタッチしたく
2022年12月4日 22:05
( )の俳句雪の降りしきる夜。戸外はしんと静まり返り、凍てつく寒さに身を硬くしたような家屋。雪国の冬の暮らしが匂う。何日も降り続ける雪のように繰り返す日常に、亀裂を走らせる何ものかが潜む。「その」と指し示されるからには、夜が明けた明日には、何か特別な(破滅的な?)出来事が起る……起ったのだ。掲句は、作者が句を詠んでいる現在から、ある特定の過去の「その前夜」を回想している。その回想の最中に、突
2022年9月3日 07:44
本稿を執筆している二〇二二年の夏、東京では連日三〇度を超える猛暑が続いている。灼熱の太陽光を吸い込んだコンクリートの地面やビル群。少しでも涼を求めて、先日都内で開催中のある展覧会に赴いた。大田区立龍子記念館の「涼風を語る 龍子の描いた風景画を中心に」(会期 二〇二二年七月十六日~十月十日)である。この龍子記念館、日本初の作家の手による個人美術館という。川端龍子という画家の、絵を観せることへのは
2022年6月11日 08:18
アンソロジー詩歌集『闘病・介護・看取り・再生詩歌集―パンデミック時代の記憶を伝える』の作品を公募中だ。俳句の歴史において、「闘病」中の床から詠まれた俳句については、老いや死のテーマとも絡み合いながら、多くの例があるだろう。そのような病人の世話をする看病や生活補助をする「介護」はいつの時代も当然あったことであろうが、俳句のテーマとしてより前景化してくるとしたら、現代の高齢化社会で「介護」が一般化さ
2022年5月30日 12:58
(1)俳句は分からなくてもいいまず、俳句は、作者と読者という2人の間の「共通感覚」を土台にして成り立っています。この土台が地続きになっていると「分かる」、繋がっていないと「分からない」、になります。ちなみに「季語」は土台の1つです。この土台のことが省略されて、隠されているから、俳句は「分かりにくい」と印象されがちなのです。なお1句1句によって、土台が変わります。だから、1冊の句
2022年3月5日 09:35
寺山の言葉から約六〇年を経た二〇二二年。SNS全盛、誰もが(それを望めば)自分の言葉を直接インターネット上に書き込み、世界中に発信できる時代である。しかしSNS特有の類型的な文体、それによる類型的思考や、匿名による憎悪・中傷・揚げ足取りの言葉も溢れ、個人の内面の「直接の伝達」表現ができる場ではないことは明らかであろう。さて多くの俳句作者にとって、俳句は「われ」を詠むもので、一句の主体は作者自身