鈴木光影

俳句と、その外側と、そのあいだ。 鯛焼の少し笑つてゐるらしく

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俳句と、その外側と、そのあいだ。 鯛焼の少し笑つてゐるらしく

    最近の記事

    病と俳句の系譜―芭蕉、一茶、子規 『闘病・介護・看取り・再生詩歌集』への参加を呼び掛ける

    アンソロジー詩歌集『闘病・介護・看取り・再生詩歌集―パンデミック時代の記憶を伝える』の作品を公募中だ。 俳句の歴史において、「闘病」中の床から詠まれた俳句については、老いや死のテーマとも絡み合いながら、多くの例があるだろう。そのような病人の世話をする看病や生活補助をする「介護」はいつの時代も当然あったことであろうが、俳句のテーマとしてより前景化してくるとしたら、現代の高齢化社会で「介護」が一般化された以後であろう。その担い手(歴史的には多くが女性)が俳句を詠める時間的余裕があ

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      • 初めて読む句集が『青水草』な人へ

        (1)俳句は分からなくてもいいまず、俳句は、作者と読者という2人の間の「共通感覚」を土台にして成り立っています。 この土台が地続きになっていると「分かる」、繋がっていないと「分からない」、になります。 ちなみに「季語」は土台の1つです。 この土台のことが省略されて、隠されているから、俳句は「分かりにくい」と印象されがちなのです。 なお1句1句によって、土台が変わります。 だから、1冊の句集の中でも、そっちの句は分からないけど、こっちの句は分かる、ということが起こりま

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        • 現代俳句・短歌の「代理人」と「われ」  ―堀田季何、木下龍也の著作から

          寺山の言葉から約六〇年を経た二〇二二年。SNS全盛、誰もが(それを望めば)自分の言葉を直接インターネット上に書き込み、世界中に発信できる時代である。しかしSNS特有の類型的な文体、それによる類型的思考や、匿名による憎悪・中傷・揚げ足取りの言葉も溢れ、個人の内面の「直接の伝達」表現ができる場ではないことは明らかであろう。 さて多くの俳句作者にとって、俳句は「われ」を詠むもので、一句の主体は作者自身であるという俳句観は一般的である。またその句が纏められた句集は、基本的に「われ」

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          • 尾野寛明・中村香菜子・大美光代著『わたしをつくるまちづくり 地域をマジメに遊ぶ実践者たち』に寄せて ~わたしを大切にまちと共に生きる、小さな希望の書

            1、共著のよさ「まちづくり」と一言でいっても、行政や建物計画など大きなものから、ゴミひろいなどそのまちに暮らす人々の小さな活動まで幅の広い意味を含んでいます。この本は、その中で最も小さな単位、「わたし」という個人にスポットライトを当てたまちづくりをテーマにしています。 全国各地を旅しながらまちづくりの担い手育成塾を開催している専門家の尾野寛明さん。尾野さんが香川で出会い、まちづくりの実践者として共に成長した中村香菜子さんと大美光代さん。三名による「共著」です。読者の皆さんに

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            • 初めて読む句集が『青水草』な人へ

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              2か月前
              • 現代俳句・短歌の「代理人」と「われ」  ―堀田季何、木下龍也の著作から

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                5か月前
                • 尾野寛明・中村香菜子・大美光代著『わたしをつくるまちづくり 地域をマジメに遊ぶ実践者たち』に寄せて ~わたしを大切にまちと共に生きる、小さな希望の書

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                  5か月前
                  • 『評伝 赤城さかえ』刊行と「第二芸術論」論争

                    赤城さかえと闇の俳句史俳人・ノンフィクション作家の日野百草氏により、新著『評伝 赤城さかえ―楸邨・波郷・兜太に愛された魂の俳人』が刊行された。赤城さかえは、戦中コミュニズム活動をしていたがその後転向し、結核に罹患するも、評論「草田男の犬」や主著『戦後俳句論争史』などを残した。齋藤愼爾氏は帯文に、「近現代俳句史の闇に久しく埋もれていた赤城の全的復活に与って力のあった日野氏に満腔の祝意を表したい」と推薦の辞を寄せている。副題の「楸邨・波郷・兜太」らが現在陽の光が当たる正統な俳句史

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                    • 大河原真青句集『無音の火』一句鑑賞と十句選

                      黙禱のまなうら星の流れけり  大河原真青 黙禱は、静止。 黙禱は、無音。 黙禱は、暗闇。 黙禱の「無」を横切る、一筋の流星。 流れ星が流れて消える前に願い事をすると叶うという。 黙禱は、願いではなく、祈り。 祈りは、届くか。 祈りは、祈る行為そのものに尊さがあるのだろう。 行為の純粋さが生んだ、一瞬の流れ星なのかもしれない。 作者は、3.11の被災地、福島の俳人である。 空蟬をあふれてけふの波の音 坑道を転げるトロや草の花 湯気立てて泥のスクラム崩れけり

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                      • 批評基準で俳句と芸術を考える  ―正岡子規「俳諧大要」と高浜虚子〈「玉藻」研究座談会〉

                        正岡子規「俳諧大要」を読む機会を得て、正岡子規「俳諧大要」を再読した。日清戦争の従軍記者として中国大陸に渡ったものの喀血して帰って来た子規が、故郷松山で養痾中に執筆し、明治二十八年(一八九五)から新聞「日本」に連載されたものだ。前半は俳句本質論が、後半は俳句修学術が、子規の残した評論中、最もまとまった形で書かれている。冒頭に次の有名な一文がある。 一、俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。  故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。即ち絵画も彫刻も音

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                        • コールサック句会要綱

                          ○「読みと詠みの相互作用による座の文学としての俳句を楽しむ」句会です。 ○超結社、越境型句会です。詩人や歌人や小説家、そのほかの表現者、初心者の方も大歓迎です。どなたでも参加できます。 ○「有季定型」に固執せず、有季(季語有り)/無季(季語無し)、定型/破調、旧かな/新かな、文語/口語などが競演する多様な俳句の場です。 ○「詠み」と、「読み」と、「句会」の実験場です。 ○参加費、投句費などはありません。 ○ネット句会を二か月に一度開催します。インターネットとメールを使用できる

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                          • 東京オリンピックの開催可否は、カードで決めればいい  ~中村文則『カード師』を読んで

                            東京オリンピック開幕式の予定日まで残り約1カ月半。 開催するか否か、この際「カード」で決めてみたらどうだろうか? 中村文則の小説『カード師』を読み終えてからふと、そんな妄想が湧いた。 以下、戯言と思われても仕方のない思考実験によろしければお付き合いください。 まず現代において、何ごとかを判断する際に一番の基準とするのは、科学技術を基礎とした数字だ。 ならば、AIやスーパーコンピューターがオリンピックを開催した場合としない場合のメリットとデメリットを数値化したもの(感

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                            • 照井翠句集『泥天使』を読む  龍宮からの使者と、二つの「時」

                              十年前のあの日、照井翠氏は岩手県沿岸の町、釜石で被災した。照井氏が教師として勤めていた高校の体育館は、避難所となった。被災者たちが身を寄せたその場所は、多様な「被災」の集積地であったと想像される。 ロングセラーになっている前句集『龍宮』は、照井氏個人の直接の被災体験に加え、避難所で様々な被災者から過酷な体験を聞き、その息遣いや体の震えを通して伝わったものが、俳句の源になったのではないだろうか。その意味で、照井氏の震災に関する俳句とは、表現する言葉を持たぬ被災者たちの声が、俳

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                              • 「真実を貫く」俳句教育に向けて   野ざらし延男と夏井いつきの実践から

                                俳句教育実践の書沖縄の俳人、野ざらし延男編『俳句の弦を鳴らす―俳句教育実践録』(発売元 沖縄学販)が、昨年九月に刊行された。一般的に行われている学校俳句教育の問題点、氏の教え子たちの俳句、また授業実践の模様や自主作成俳句教材等が掲載され、初心者への俳句入門としても、また教員たちに向けた俳句教育入門でもある重厚な書となっている。その発刊の言には、高校教師として野ざらし氏が約五十年間に渡って積み重ねてきた戦後教育と俳句教育の現場経験からの直言がなされている。そのなかで、大きく次の

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                                • コーヒーゼリー誰にも触れず終わった日 木田智美

                                  コーヒーゼリー誰にも触れず終わった日  木田智美 木田智美さんの第一句集『パーティは明日にして』より。 コロナ禍になってから、「ソーシャルディスタンス」の名のもとに、家族などの親しい間柄でなければ、人と人の体が接触することは避けられる時代になりました。 この俳句、「触(ふ)れずに」とありますが、「触(さわ)らずに」ではないですね。 伊藤亜紗『手の倫理』に、「ふれる」と「さわる」の違いについて次の様に書かれていました。 「ふれる」が相互的であるのに対し、「さわる」は一

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                                  • 俳句や詩歌にとって持続可能性とは  『地球の生物多様性詩歌集』公募に寄せて

                                    ◆地球・ウイルス・人間新型コロナウイルス感染症の流行が続いている。本誌が刊行される約一年前の三月二十四日、安倍前総理は、二〇二〇年夏に開催予定だった東京五輪の一年延期を発表し、「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京オリンピック・パラリンピックを開催する」と宣言した。またその後を受けた菅総理もほぼ同じ言葉を繰り返した。 ウイルスから人類に仕掛けられた戦争のように、それに「打ち勝つ」という人の意識は、自分達だけがただ生き延びることを今生の目的とする

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                                    • 小池康生句集『奎星』を読む

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                                      • 2020年須賀川俳句の集い 特選・入選句選評

                                        《選評 鈴木光影「特選」三句》夏の日の放課後の匂いいつまでか  橋本和花奈暑い日差しが校庭や校舎に照り付け、それに負けないように賑やかに生徒たちが活動している昼間の学校。その後、生徒たちが帰った夏の放課後の校舎はひっそりとして、夕焼けの光が差しこんだりしています。作者はそんな「放課後の匂い」が、なぜだか好きだったのでしょう。この句を作ったとき、夏が終わりに近づいていたかもしれません。作者は、高校三年生、人生最後の「夏の日の放課後の匂い」を俳句に焼き付けました。のちのちこの俳句

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                                        • 2020年須賀川俳句の集い 総評

                                          福島県須賀川市で、高校生向けの『須賀川俳句の集い』を主導している俳人・永瀬十悟氏(「桔槹」同人)からの依頼で、俳句大会の特別選者を務めさせていただいた。当初は本年六月に講演会・吟行会を予定していたが、新型コロナウイルス流行の為、投句による俳句大会となった。選考は本年十月末に行った。今回の俳句時評は、その総評と選評の模様を転載させていただく。 《須賀川俳句の集い 総評》はじめまして。この度俳句の選者を務めさせていただいた鈴木光影と申します。選考経過としては、今回皆さんから合計

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