見出し画像

逢うことと書くこと―池田澄子句集『月と書く』を読む

新型コロナウイルスのパンデミックの始まりからもうすぐ丸四年が経とうとしている。自粛されていた人と人との対面も解かれ、それ以前の日常が戻りつつあるように見える。しかし、その間に起きたロシアのウクライナ侵攻、さらにイスラエル・ガザ戦争も進行中で、地球上に暗い霧がかかっているような時代の空気は今も続いているように思われる。

二〇二三年六月の奥付で刊行された池田澄子氏の第八句集『月と書く』(朔出版)は、このコロナ禍中での俳句を纏められた。後記には次のような心情が吐露されている。

前句集『此処』を纏めたあとのコロナウイルス出現以来、人が人に逢えなくなった。更に信じがたい戦争。他の動物は爆撃などしない。戦争は駄目、と、嘆く日々が続いている。
その心の飢えを抱えながら、逢いたい逢いたいと書いていた日々を、過去のことにして出直したい気持ちが体内に満ち溢れてしまったらしい。
逢いたい人に逢えて、あぁ世の中に戦争などない暮らしに戻らないことには、人心地がしない。その口惜しさが飽和状態になったらしい。
などと、他人を見るように自分を眺めながら更に、第一句集を纏めた頃の自分、見守ってくださる先生のいらした、あの、ひたすら未来に向いていた日々に戻りたくなった。そして今、錯覚にしろ私は、確かに第一句集以前に戻っている。

池田澄子句集『月と書く』後記

この後記で私が注目したのは、次の三点である。
一つ。これは当然と言えば当然なのだが、池田氏の俳句作品は、疫病や戦争という平和な日常を脅かす社会情勢の影響を受けている。
二つ。本句集には、コロナ禍の期間の池田氏の「心の飢え」と「逢いたい」という気持ちが書かれている。
三つ。俳句を纏めて句集を刊行するということは、単なる句集というモノ作りではなく、作者が「未来に向」いて生まれ変わろうとする行為である。そこまで池田氏が積み上げてきたものを一度真っさらにして「第一句集以前」という過去に戻って「出直す」という内面的な時間をめぐる動機が語られている。ここには、未来とは過去に戻りつつ創られていくものであるという逆説的な真理もうかがえる。

さて、句集は「朋」「露」「光」「水」「星」「霧」「蝶」の七章に分かれている。句集題が取られた次の句には「逢いたい」という言葉がそのまま使われている。 

逢いたいと書いてはならぬ月と書く

「霧」

「書く」は手紙だろうか。恋文かもしれないし、家族や大切な友人宛かもしれない。私自身、「コロナが収まったら、またお会いできるのを楽しみにしています」など、メールや手紙で幾度も書いたことを思い起こした。「書いてはならぬ」は感染症蔓延を抑えこもうとする社会的な制約と自粛の思いによる〝禁止〟の「ならぬ」であろう。コロナ禍中では相手に積極的に逢いたいと伝えることがはばかられた。掲句ではその代わりに、隠語のように「月」と書き、その一語に「逢いたい」気持ちを込めた。

夏目漱石が、英語の「I love you」は日本語では直訳せずに「月がきれいですね」とでも訳しておけ、などと言ったというエピソードが頭によぎった。
また、単なる「会」ではなく「逢」という漢字が選ばれていることも、一句の詩情に深みと広がりを与えている。「会う」は、基本的に既知の人と人との面会である。一方の「逢う」は、「めぐり逢い」であり、いまだ見ぬ新たな人との邂逅も含む。既知の人同士であっても、この世に生まれ落ちて、同じ時間と空間を共有できた一つの奇跡の感がこもる。

〈此の世から花の便りをどう出すか 「露」〉という句もあるが、今は亡き故人と再びどこかでめぐり逢いたいという、叶わなくとも切なる願望、という読みもできそうだ。宛先は、池田氏の俳句の師・三橋敏雄であろうか。

もうひとつ、掲句において特徴的だと思うのは「言う」ではなく「書く」が選ばれているところだ。〈逢いたいと言ってはならぬ月と言う〉ならば、先ほどの漱石の逸話に近く、ドラマや小説のワンシーンのように、相手の耳へとその話し言葉が直接に伝わっていく。

しかし「書く」であると、書かれた時点ではその言葉はまだ作者の手元にとどまったままだ。しかも書かれた言葉は、テクストとしてどのように読まれるか、何が伝わるかは保証されない。「月」の一語を読んで「逢いたい」と感じてもらえるとは限らない。たとえそうだとしても、今宵の空に見上げているそれと同じ月を、「逢いたい」人も眺めていることを願い、「月」と書き付ける。

このような「書く」ことの強調は、池田氏が書き言葉の俳句を表現手段として自覚的に選び取っていることの証しだと思われる。また掲句から、「書く」という行為自体、「いまここ」にはいない(いまだ出逢わぬ)読者への、孤独にも思える呼び掛けであり、祈りであることも感じられた。

水澄むと書くとワタクシ澄んでしまう

「水」

ここでも「言う」ではなく「書く」だ。秋になって池や川の水が透明に澄んでいく現象があり、それを季語として一般化した言葉が「水澄む」である。その語を「書く」と、おのずから、「私」や「わたくし」だった我が「ワタクシ」へと「澄んでしまう」。池田氏にとって俳句を書くという行為は、人や自然物を含む森羅万象と出逢って、それらと共に澄んでいくことではないだろうか。〈健やかなれ我を朋とす夜の蜘蛛 「星」〉。人に限らず蜘蛛や虫に向かっても「朋」と言い、共に健やかであろうと呼びかける。「友」ではなく月が二つ寄り添う「朋」は、この世界における異質な存在と共存していく姿を天体の「月」が見守っているようでもある。池田氏は「書く」ことによって、自らの身体や世界の認識を更新していく。

早春と言うたび唇がとがる
はるかぜと声にだしたりして体
ハツユキと言葉にだして寝てしまう
ひめむかしよもぎと言ってみてしあわせ
明けましてあぁ唇が荒れている

「朋」「朋」「露」「光」「水」

ここであえて「言う」「声」「言葉にだ」す句を抜いてみた。これらの句で声に出された言葉は、誰か特定の相手へ意味を伝達するように発せられたのではないようだ。「唇」が動き、声帯が振動し、自分の体と空気を伝って音を耳が聞く。自らの身体を確認する営為であり、意味伝達性とは離れた言葉の使用である。そのような話し言葉が発せられたとき、身体は心地の良い眠りを得、「しあわせ」を感じる。

つづれさせこおろぎと言いながら書く

「水」

「つーづーれーさーせ・こーおーろーぎ!」というような声が聞こえてきそうだ。「つづれさせ」は「綴れさせ」と漢字を当てれば、声に出すことが文字を書くことを手助けしているように思えてくる。「言いながら書く」は、もしかしたら、池田氏の俳句の極意なのかもしれない。池田氏の多くの俳句に愛唱性が高いのは、言うように書いているからではないだろうか。池田氏にとって言うことは自分の体を確かめる「しあわせ」な行為であるならば、言うように書くとは、体を通して、体を喜ばせながら書くということである。

お久しぶり!と手を握ったわ過去の秋

「朋」

「お久しぶり!」も「握ったわ」も、話し言葉の再現である。だが下五句の「過去の秋」を読むやいなや、「手を握った」のは比喩であることがわかる。過去の秋を思い返して、その時に旧友と再会したとも読めなくはないが、コロナ禍以前の「過去の秋」を擬人化して、まるで旧友に対してするかのように「過去の秋」と手を握ったと読みたい。もしくは、平穏な秋を楽しむ、コロナ禍以前の自分との再会なのかもしれない。

またさらに作者は、「握ったわ」と、その感動を書かれた俳句の前の読者とも共有しようとする。池田氏の俳句は常に読者に開かれている。掲句を読むことで、何となく池田氏と手を握ったように感じてしまったのは私だけだろうか。

蝶よ川の向こうの蝶は邪魔ですか

「蝶」

人は蝶とは違うだろうか。確かに、政治や宗教の区別によって、人と人は殺し合う。一方、蝶は戦争をしない。川向こうの蝶を「邪魔」とみなして攻撃したりない。人間から見れば、ただ本能のままに舞っている蝶は平和で美しい。掲句は人間である作者が「蝶」に呼びかけている。しかし、それと共に、反語的に人間にも呼びかけている。「人よ、川の向こうの人は邪魔ですか」と。この世界に一つの命として共に生きている人間と蝶に、いったい何の違いがあるだろうか。

よい月夜よい知恵の出ぬ者同士

「水」

今もウクライナやパレスチナのガザ地区で止むことのない戦争。それを解決する実行的な「よい知恵」は、この人類中で誰も思いついていないようである。日々インターネットやテレビや新聞から届けられてくる戦地のニュースに、地球上の多くの人々が愕然と佇むしかない思いでいるだろう。「よい知恵の出ぬ者同士」は、未だ出逢わぬ人間の同胞たちかもしれない。「川の向こうの蝶」かもしれない。一人一人としては弱くて無知な存在だとしても、同じく美しい「蝶」であり、共存可能であるはずだと、同じ月に祈る。「よい月夜」は人間たちが主体的に創り上げることができるはずだ。

逢いたいという恥ずかしき言葉若葉
日々彼を思うとはかぎらねど涼し
通りすがりという佳い言葉月見草
とどくとはかぎらぬことば夏百夜

「露」「露」「星」「霧」

「逢いたい」という言葉を発することは「恥ずかし」い。相手から望ましい応答はなく、ひとりよがりの願望に終わるかもしれないから。また、常に「彼」を思っているつもりでも自分の気持ちがそれを裏切って途切れることもある。この世界におけるもっとも身近な他者は自分自身である。「逢いたい」などと言葉で伝えずに「通りすがり」で逢いたい人に出逢えたら、なんて素敵なんだろう。恥ずかしい思いもせずに済んでスマートだ。特に書き言葉は「とどくとはかぎらぬ」。それでも俳句の言葉を書き続ける。
池田氏の俳句の深奥には、書き言葉によって他者と出逢い結びつくことの困難を自覚しつつ、それでも言葉によって他者を志向していこうとするポジティブな運動性に満ちている。それは、身体を通過して外界に発信される話し言葉のように書かれる。書かれた俳句は読者と出逢い、その読者の身体を活性化するように働きかけてくる。

「私は」と書き恥ずかしや月は何処

「蝶」

俳句は基本的に「私」を書かずに事物や季語に私の思いや感情を託す。ゆえに、「私は」と直接的に自分自身を書き言葉に表すことに「恥ずかし」さを感じる。掲句で「月」は、俳句という詩型のありようであり、その題材としての風物との出逢いであろう。コロナ禍によって制限されていた出逢いを求めて、「月は何処」と好奇心旺盛に探しに出る、池田氏の俳人としての姿勢が表れているようだ。

俳人・池田澄子は、困難な社会的状況下であっても、人と逢うことを諦めない。恥ずかしくても「逢いたい」と言い、書くことをやめない。現実に絶望せず、未来を志向しようとする俳人の、軽やかな書き言葉が綴られた一集である。

「コールサック116号」より転載
※同誌には〈特集1 関悦史が聞く俳人の証言シリーズ(4)インタビュー
池田澄子 ―俳句の熱い日々〉も掲載されているのでぜひご覧ください。

文芸誌「コールサック116号」

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?