見出し画像

本能寺の変1582 その一因 一、武田効果 小113 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、武田効果 小113 

はじめに ←目次 ← 
重要 ◎目次 重要 ◎目次小 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
その一因 目次 
見えてきたもの 目次 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
*加筆修正 

その一因 一、武田効果 第113話

 【参照】その一因 一、武田効果
 【参照】信長の甲斐侵攻 4勝頼の首
     ◎第113話 ◎小113   ◎P113  通し  第113話

 越中で、一揆が蜂起した。         ◎第113話『信長公記』
 
柴田勝家が富山城を包囲した。       ◎第113話『信長公記』

 同、三月十三日。
 信長は、岩村から国境を越えて信濃に入った。
◎第113話『信長公記』 
 この日は、禰羽根泊(長野県下伊那郡根羽村)。
 信忠から信長へ、吉報アリ。
 「勝頼死す」
 「武田滅亡」
 
この時、「勝頼の首」は、まだ、届いていない。
 
信長は、そのことを、柴田勝家へ知らせた。 ◎第113話『信長公記』

 瞬く間に、全軍に広まった。
 織田の陣中は、「その話」で沸き返った。

 光秀は、「早すぎる」と思った。
 
出陣したのが、三月五日。
 まだ、十日と経っていないではないか。

 信長に、大きな時間的な余裕が生まれた。
 武田の滅亡が、余りにも早すぎた。

 結論として、
 信長は、中国出陣の時期を早めた。
 その皺(しわ)寄せが、光秀へ。
 
結果、石谷頼辰の帰還が間に合わぬ、→「万事休す」、ということにな
 る。

 信長の武名は、いよいよ、天下に、鳴り響く。
 その勢威は、止まるところを知らず。
 「戦わずして勝つ」
 「百万の味方を得たに同じ」
 これすなわち、「武田効果」。

 信長、恐るべし。
 光秀は、そこに、何か得体の知れぬ末恐ろしさを感じた。
 これまでとは、明らかに、違う、何か、が、・・・・・。

 「間に合わぬやもしれぬ」
 光秀は、そう、直感した。
 土佐への使者。
 石谷頼辰の一件。
 そもそも、中国出陣は、「来たる秋」に予定されていた。
 光秀は、それに合わせて、頼辰を派していたのである。

 となれば、・・・・・。
 光秀の不安。

 ならば、・・・・・。
 打つべき手立て。

 光秀は、典型的な戦国武将。
 猜疑心が強く、用心深い。
 「一寸先は闇」
 
強かで、抜け目のない男。
 肚の据わった典型的な戦国武将なのである。
 全ては、子らのため、我が家のため。
 常に、最悪の事態に備えていた。
 二の手、三の手を、心の内に秘めて。 

 信長には、絶大な自信があった。
 
次は、「毛利」。
 
そして、確信した。
 「天下布武は、成る」



 同、四月二十一日。
 信長、帰陣。
 光秀、同。

 信長は、夢の中にいた。
  
安土。
  
大遠征の直後である。
  まるで、雲の上を歩くが如し。
  夢か、現実(うつつ)か、・・・・・。
  おそらく、その様な感覚の中にあったのではないか。

 信長は、目的意識の強い男。
 「人間五十年」
 そして、「さらなる夢」へ。

 光秀は、焦燥していた。
  
坂本。
  使者の出発が、正月十一日。
  以来、すでに、四ヶ月が経過し、五ヶ月目に入っていた。

  一、土佐の長宗我部は、・・・・・。
  一、石谷頼辰の帰還は、・・・・・。
  一、最悪の場合は、・・・・・。

 事態急変。
 時代は、急激に変化していた。
 ① 五月七日、四国出陣命令。
 ② 〃十七日、中国出陣命令。

 その発動日が六月一日だった。

 ここに、「間に合わぬやもしれぬ」という問題が、急浮上する。
 そして、その可能性が、次第に、色濃くなっていった。

 この頃である。
 「足蹴事件」 (フロイスの『日本史』) 。
  
①②に関連して、起きた事件と思う。

  おそらく、①について。
  光秀は、信長に、出陣の延期を懇請した。
  しかし、信長は、これを容れず・・・・・。

 五月十七日。
 光秀、安土より坂本に帰城。

 同二十六日。
 光秀、坂本から亀山へ。

 同二十七日。
 光秀、愛宕山へ参詣。
 同二十八日。
 西坊にて、連歌興行。
 「時は今、あめか下なる五月哉」

 石谷頼辰、未だ、帰らず。
 
結局、間に合わなかった。
 
斯くなれば、「万事休す」
 最早、打つ手はない。

 同二十九日。
 
五月は小の月、この日が月末である。
 信長、上洛。

 信長の油断。

 光秀は、四囲を見渡した。
 
柴田勝家、・・・・・。
 滝川一益、・・・・・。
 羽柴秀吉、・・・・・。

 六月一日。
 光秀は、軍勢の一部を、中国へ向けて出発させた。

 光秀の決断。

 同二日未明、「本能寺の変」。



 ⇒ 次へつづく

NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

テーマ別 目次 が更新されました。

 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?