私、会社員シングルマザー 「ミサキさん」
はじめまして。
旅、イチゴ、牛乳、温泉、夜景、飛行機が好き(⋈◍>◡<◍)。✧♡
同じくイチゴと牛乳が大好きな娘を育てる、会社員シングルマザー
「ミサキさん」と申します。
PROFILE
シングルになる
ー「離婚」ー
戸籍に傷がつくこと。
子どもから父親という存在を無くしてしまうこと。
最初のころは、上記からなかなか決断できずにおりました。
最終的にタイミングの決め手となったのは、子どもの1歳のお誕生日
でした。
なぜならば、皆さんご存知のように、子どもが1歳の誕生日を迎えると
①小児用肺炎球菌、②五種混合、③MR、④水疱瘡、⑤おたふくかぜの予防接種が同時にできるからです。
そして、このタイミングを越えると予防接種のスケジュールの間隔にゆとりが生まれるため、慣れない土地の小児科でお世話になるよりもこの接種の
タイミングを終えてから、が良いだろうと結論付けたのでした。
姓と戸籍
離婚をする際には、離婚後に名乗る姓について、旧姓に戻すか、婚姻時の
姓を名乗るか選択をしなければなりません。
私は、もちろんですが婚姻時の姓を名乗るなんて考えられず、旧姓に戻す
選択をしました。こうして晴れて復氏を果たした私ですが、この時点では
娘の姓は婚姻していた当時の姓のままとなってしまうことを知るのです。
子どもが元夫の姓を名乗らねばならないことにとても我慢できなかった
私は、家庭裁判所に「子の氏の変更許可申立」を行いました。
1か月かからなかったでしょうか、今思えば短かったのでしょうが、当時はとても長く感じた1か月でした。
無事に、子どもと私の姓が異なる妙な状況から脱し、晴れて一緒の姓を
名乗れるようになったのでした。
※ご参考までに、申立に必要な書類や記載方法が載っている裁判所のURLを添付いたします。
次に、行ったのは娘の戸籍を私の戸籍に入れることです。
それにしても、名乗る姓の変更をしてもなお、子どもの戸籍は元配偶者の
戸籍に入ったままなのですね...。
とても複雑な【戸籍制度】に疑問がいくつか浮かびましたが、元夫に私たちの住所地を特定されてしまう危険性があったため、早期に子どもを私の戸籍に入れるべく、私を筆頭者とする新戸籍を作る必要がありました。
ちなみに、私こと「ミサキさん」は娘を私の戸籍に入れる選択しましたが、子どもが元夫の戸籍に入り続けるメリットもあるようですので、もしリコ活をされている方が今この記事をご覧になっているようでしたら、メリット
デメリットをよく検討されてからご決断ください。
※ご参考までに、子どもが元配偶者の戸籍に残るメリットデメリットが記載されているURLを添付いたします。
養育費のこと
あの頃は、離婚することに必死すぎて【養育費】を元夫から受け取ることを諦めてしまっていたように思います。というよりも、離婚当初に養育費の
取り決めをすることができず時間が経ってしまっており、『もう今更争う
のは難しいのではないか』、『元夫と再び調停で顔を会わせないとならないのではないか』、という先入観から諦めが大きかったのだと思います。
そんな時にたまたま<法テラス>というサービスの存在を知り、電話相談では過去のことを振り返るあまり、言葉に詰まってしまう心配があった
「ミサキさん」はとりあえずメール相談をしてみることにしたのでした。
実は、当時就業していた航空会社より育児休業をいただいており、育児休業給付金を支えにひとまず実家に身を寄せて生活をしていた私は、お恥ずかしながらとても弁護士費用を用意できる余裕がありませんでした。
最終的に、経済的に余裕がない状況と元夫と会わずに養育費を受け取りたいという希望を叶えてくださる素敵な弁護士事務所さんをご紹介いただくことができ、下記の文言を契約書面で確認したうえで正式にご依頼をさせていただきました。
おかげさまで、無事に養育費の支払いは今も滞ることなく続いております。
ふたりぐらしデビュー
児童扶養手当
ひとり親家庭には、通常の児童手当とは別に【児童扶養手当】の支給が
あります。しかしながら、実家に身を寄せていた私こと「ミサキさん」は、実家に住む両親や家族の世帯収入の関係で受け取ることができないと知り
ました。
「いつまでも実家に身を寄せて生活していてはいけないな」と丁度考え
始めていた私は、この手当を受け取れることを前提に自分自身が世帯主と
なって愛娘との2人暮らしを検討し始めるのです。
ちなみに、余談ですが会社員として勤めを再開するとともに所得制限を超え支給が停止してしまうようになり、所得制限内で勤めるという賢い働き方ができなかったのは後の祭り。
気が付けば、あっという間に児童扶養手当の支給対象外となってしまうのですが、このお話はまた後日触れることにしましょう。
おうち探し
今振り返ってみると、まだ2歳にならない愛娘とのふたり暮らしを快く受け入れてくださる物件はとても少なかったです。夜泣きなどを懸念されたようでしたが、今思えば無理もありません。
幸いに、大型スーパーとコンビニが至近、駅まで徒歩5分圏内の好立地の
少し広めの間取りの1Kと出会います。既に、何連敗していたでしょうか。「こんなに良い物件もう見つからない!」と確信した私は、即決でこの物件に決めたのでした。
好立地でしたから、正直なところ家賃は結構高めでした。ですが、家賃以外は問題がなさそうでしたので、ついに実家を離れ、子どもとふたり暮らしをスタートしたのでした。
さて、現在も「ミサキさん」親子が住まうこちらの物件、実は、ベランダがありません。よって、浴室乾燥がフル稼働になることから、その後の生活で電気代が予想以上に家計を圧迫するのでした。
また、こちらの物件。
とても好立地なので未だに住み続けておるのですが、もうひとつ問題がありました。実は、時々天井から雨が降ってきてしまうのですが、これは利便性の観点から許容範囲としておりまして、現在に至るのであります。
ママとしての再就職
職場復帰か転職か
まだ、当時就業していた航空会社からいただいていた育児休業を延長して
いたのですが、当時の給与水準とシフト勤務を考慮したときにひとり親
として航空会社に再度復帰する道は極めて薄いと確信した私は、あまり
よろしい方法ではありませんが育児休業が満了するまでに転職を視野に
入れ始めるのです。
保育園探しもまだでしたから、子どもを連れての再就職先探し。正直、面接や面談に呼んでいただけるようなPRとなりえる資格や要素、経験が十分ではなかったうえに、日勤のフルタイム勤務を希望していたために、なかなか
難航したのでした。
結果的に、ママや女性向けの転職支援サービスのサイトをいくつか使った
のち、ご縁があって乳幼児向けの英語教育事業のベンチャー企業へジョインすることにしたのでした。
保育園か幼稚園か
ついに再就職先も見つけることができたので、子どもの預け先を検討する
ことにしたのです。
私たち親子が住む地域には、小規模保育園がたくさん増えたので、預け先の選択肢はいくつもあり、さほど困ることはありませんでした。
しかし、3歳の年にもう一度保活をするならば最初から5年保育の保育園を
選択するべきではないか?いやはや、いっその事、3歳児の年から幼稚園に通わせることを視野に動こうか?
こんなことを考えているうちにさらなる発見がありました。
住所地の保育園ではなく、内定をいただいた職場がある都内の保育園に預けなければ、保育園の終わりの時刻までに迎えに来る必要があるわけなので、結果として早く職場を出発せねばならず、もしかしたら勤務時間を短縮する必要性が出てきてしまうかもしれないぞ、と思ったのです。
時短ではなく、フルタイムでの勤務を希望していた「ミサキさん」、再び
頭を抱えることになりました。
そこで、検討したのは都内にある企業主導型保育園ー
企業主導型保育園と言っても、誰でも入所できるパターンと提携企業で勤務している方のみ入所できるパターンがありますが、内定をいただいた職場
には提携の保育園はありませんでしたので、必然的に前者の企業主導型保育園を検討することになりました。
最終的に、ターミナル駅からひと駅離れた駅至近の企業主導型保育園さんにご縁があって入所が叶い、愛娘は保育園に、私は新しい職場に、それぞれ
デビューしたのでした。
その後、およそ1年半後、再び保活をして保育園にいくのか、それとも幼稚園にいくのか選択を迫られることになりますが、私たち親子は幼稚園に入園する道を進んでいきます。
航空会社を退職、ベンチャー企業で正社員に
依然として、航空会社に籍を残したままではありましたが、乳幼児向けの英語教育ベンチャー企業での就業を始めた「ミサキさん」。
しばらくの間、2つの会社に籍がある妙な状態が続いていました。
悩んだ末に、新しい会社の業務に慣れるころ、つまりその年の年末に航空
会社から完全に退職することを決断しました。
退職が近づくにつれ、退職前に航空会社の福利厚生を活用し、アンパンマンLOVEで小鉄ちゃんだった娘をアンパンマン列車に乗せるために高松や高知、松山を巡る旅行を計画し始めました。
もちろん、育児休業中に他社で就労しているうえに、退職前に復帰予定も
ない会社の福利厚生を使用して旅行に行くだなんて、賛否あることだと思います。当然ながら、私も複雑な心境でした。一方、せっかく福利厚生が充実しているにもかかわらず、十分に活用しないで退職することほどもったい
ないことはないのではないか、とも思えたのです。
最終的に、航空会社の福利厚生に感謝するとともに、新しい会社の方々のご理解もあり、無事に愛娘の2歳のお誕生日を四国でお祝いするバースデートリップが実現しました。
往路は高松空港を利用し、JRホテルクレメント高松さんのアンパンマンルームに宿泊。
翌日は、高松駅から高知駅へアンパンマン列車に乗り込み、高知駅で
お誕生日をお祝いし、そしてアンパンマンミュージアム。復路は、高知龍馬空港を利用して羽田へ。
とっても思い出に残るアンパンマン尽くしの旅を親子で満喫させていただいたのでした。
その年の年末ー
心残りがありましたが、お世話になった航空会社に別れを告げ、翌年1月1日より正式にベンチャー企業で正社員として勤務を始めたのでした。
順風満帆と思いきや予期せぬ失職?!
コロナのせいで会社の将来が不安になる
ベンチャー企業での勤務にも慣れ、ありがたいことに裁量をもって働かせていただいておりました。
そんな矢先に、新型コロナウイルスー
お客様先の保育園さん、幼稚園さんも休園になったり、外部講師の派遣を
見送られたりすることが出てきて、少なからず会社のビジネスにも影響が
ありました。一時はこの会社はどうなってしまうだろうか、なんて一従業員の私が心配してもどうにもならなかったかもしれませんが、とても会社の
将来に不安を覚えたのでした。
保育園と幼稚園を併用
さて、保育園の卒園をその年の年度末に控えていた私たち親子は、2度目の保活をすることを避け、幼稚園への入園を視野に入れ、幼稚園の見学に行き始めます。
最終的には、自宅の方面に幼稚園バスの運行があり、園庭が大きく、そして預かり保育が最長の18:30迄という好条件であった、とある幼稚園さんに
心を決め、プレ保育に申し込み。
その後、そちらの幼稚園では<満3歳児保育>という制度があることを
知り、魅力に感じた「ミサキさん」は、保育園と併用する形式で愛娘を
<満3歳児保育>に入園させます。
当時、リモートワークが大半を占めていた私としては、電車で保育園に送迎するよりも自宅の近くから幼稚園バスに乗車させられる快適さがありました。そのうえ、やはり小規模保育園で過ごす1日よりも、幼稚園で過ごす
半日のほうが子どもにとって充実しているように感じられたのです。
異年齢で小さな赤ちゃんと過ごすことでお姉さんとしての振る舞いを保育園では学ぶことができた一方、同じ学年のお友だちが2人しかいなかった娘にとっては、同じ年齢の大勢のお友だちと過ごす幼稚園はとても刺激的だったのではないかと思います。
とはいえ、<満3歳児保育>のうちは夕方の預かり保育を利用することが
できませんでした。ゆえに、仕事がリモートワークではなく外回りを伴う
日は夕方から保育園を利用する必要があり、保育料を二重に支払いながら
年度末まで保育園と幼稚園を併用する生活を続けた、私たち親子でございます。
保育園卒園と3年間の幼稚園生活
ついに年度末ー
およそ2年間通った企業主導型保育園、初めての卒園児として晴れて卒園し、既に満3歳児クラスの園児として通園していた幼稚園の年少さんとして
4月から幼稚園生活をスタートしました。
年少の頃は、少しぶかぶかの園服に袖を通し、満3歳児クラスでは経験していない、たくさんの新しい園行事に緊張する様子もありましたが、行事に足を運んだときにはたくさんの保護者の中から私の姿を見つけると安心する
のか、微笑んでくれるそんな娘でした。きっと、子どもながら、シングル
マザーである私が必ずしも全ての行事に来れるわけではない、と分っていたのだと思います。
唯一、父の日の製作の時は気がかりではありましたが、まだ4歳。周りの
お友だちから「いいな~、僕も(私も)おじいちゃん描きたいな~」と
チヤホヤされるだけ。そして、大きなケガや病気どころか、風邪での欠席もなく元気に皆勤賞で最初の年を終えました。
年中になると、鬼滅の刃やプリキュアが流行り始めましたが、「ミサキ
さん」の娘はというと、大好きだったアンパンマンを卒業し、絶賛サンリオブームでした。そんなサンリオブームの娘の5歳のお誕生日には、那覇と
石垣島のバースデートリップをプレゼント、那覇ではホテル沖縄with
サンリオキャラクターズさんの大好きなマイメロディルームに宿泊し、
国際通りでステーキを食べ、石垣島ではゆったりと流れる時間に和み、
真っ白なビーチで海水浴を楽しみました。
年中では、自分だけではなく周りのお友だちのことも気遣えるようになり、協調性が求められる運動会のパラバルーンや音楽発表会では人一倍周りを
よく見ていたように思います。
年長になると、リーダーシップをとることに興味が出てきたようで、行事
のたびに決めるキャプテンやリーダーには果敢に挑戦する様子が印象的でした。
一方、周りと違うことに違和感を感じるようにもなり、この年の父の日の製作では架空の父親を描くことで彼女だけが違っているという状況を回避していました。
この父の日の製作に関しては、基本的に彼女の意向を都度尊重してあげる
ようにしておりましたが、確かに1つのクラスのなかで「あの子だけ特別」が孤立を生んだり時に虐めのきっかけにも成り得たりすると気づき、子どもの成長と共に担任の先生と子どもの心の配慮をしてあげなければいけないな、と切に感じたのでした。
幼稚園卒園間近に、まさかの失職
年少、年中、そして今年最年長の年長児としてあっという間の3年間。
もちろん、コロナウイルスが終息に向かい私自身の仕事が多忙になったと
いうこともあったでしょうが、幼稚園にはたくさんの園行事がありますし、シングルマザーの私は少しでも給食費を節約しようとお弁当を作っていた
ので、3年間飛ぶように過ぎ去っていったように思います。
こうして、卒園を間近に控えた今、3年間の娘の成長をとてもとても感じています。そんな大切な時期にも関わらず、私は予期していなかった失職
という壁に今まさに頭を悩ませているのでありますが、他方で、久しぶりに子どもとゆっくりと夕食の食卓を囲む幸せを嚙みしめているこの頃です。
色々訳あって急遽転職活動をしなければならなくなり、迫ってくる小学校入学というライフイベントに間に合わせるべく、奮闘する会社員シングルマザー「ミサキさん」の2度目の転職活動の詳細や奮闘ぶりについては後日綴ることにいたしましょう。