自由と責任、どちらを取りますか?〜自由よりも大切なものって何だろう〜
私たちは、責任と引き換えに、肩書きや報酬を得る。
責任を背負うと、多かれ少なかれ、自由は失われる。
迂闊な発言もできなくなる。
私は私でありたい。だけども、自分の身勝手な発言で組織の名誉を下げるわけにはいかなくなる。きっと、社会的地位が高い人ほど、自由な言論が許されなくなる。
世界史、特にフランス革命などの革命史をを振り返ると、人間は自由を求めて戦ってきたのではないか、そう思う時がある。
数多くの争いは、自由への渇望から生まれたのではないか。勿論、権力を追い求めた人たちもいるだろう。
だが本来、「権力」は「自由」の象徴だった。庶民はパンすらまともに手に入れることができず、日々の生活に困窮してるにも関わらず、
権力者は、大衆からの評判を気にすることもなく、貴族としての自由な生活を謳歌した。
だからこそ、血を流してでも、人々は自由を追い求めてきた。
だが、現在の権力者はどうだ。
ITが普及して、権力者が好き勝手しようものなら、世間から瞬く間に弾かれてしまう。私には、今の権力者、例えば経営者、政治家、芸能人に「自由」を感じない。最近増えている起業家もそうだ。
自由を求めて起業、そんな人もいるようだ。だが、「自由」を得る手段として、果たして起業は最適なのだろうか。
むしろ、起業に縛られてしまっているのではないか。
例えば、外部から資金調達を考えるスタートアップ型の起業の話。
資金調達をしたが最後、投資家からの圧力でもはや自由などはなくなる。あまりの重圧に、精神を追い詰めてしまう人は実は多い。表には煌びやかな話ばかりが出るけど、一方で心が壊れてしまう人々もいる。熱量の高かった創業期からしばらく経過すると、創業メンバーが次々と辞めていき、最後にCEO一人だけしか残らなかった。そんな時に正気は保てるだろうか。このような話はよく耳にする。勿論経営には様々な要因が絡むが、「自由」をあまりにも抑圧されてしまった状況下において、追い詰められてしまった際に、正常な判断ができる人はどれだけいるだろうか。
勿論、起業家に実現したい世界があり、資金調達をすることで素早く目的に近づけるならば、投資家からの圧力にも屈せずやり抜けばいい。
だが、いくら夢があろうとも、資金調達のプレッシャーに耐えきれず、精神を崩してしまう例は実は絶えない。昨今では、起業家に特化したメンタルヘルスサービスが話題となっている程だ。
また、情熱を持って起業したものの、株式の持分の割合の失敗により、次の資金調達が出来なくなってしまうことも多い。
そういう企業はどうするか。方法はいくつかある。
一つ目は延命だ。とある起業家は、「ゾンビ化した企業の延命」とも表現した。決して倒産はしない、だが伸びることもない。ゴールがないのだ。
二つ目は、敢えて会社を倒産させることだ。
取られすぎてしまった株式を取り返すことが出来ないならば、会社を一度たたむしかなくなるのだ。
勿論、今まで応援してくださった方達になんて説明すればいいのか、サービスの利用者が離れてしまうのではないかという不安はある。
だが、コアなファンを築けていたのなら、例え会社を新しく立て直そうが、利用者は帰ってくるのだ。これは実話だ。
投資家と株を交換して資金調達をするならば、株式を渡すことは「身売り」だと思った方がいい。日本の起業家は株式を渡しすぎだ。
自らを安売りしなくていい。
そもそも、何故今回のテーマで起業について特筆したか。それは、最近では「起業は自由」だといった誤った風潮を感じざるをえないからだ。
それに、株式を使った資金調達の怖さを知らない人が多すぎる。
他人の資本が入ったら、自由がどれだけ保てるか、考えてみてほしい。
話は本題に戻る。それでもあなたは「自由」と引き換えに肩書きが欲しいですか?
自由はかけがえのないものだ。
安っぽい肩書きなんて、自由と比にはならない。
ここまでは、いかに自由を大事にすべきか、書き連ねてきた。
確かに、自由は尊い。
それでも、人は「自由よりも大切なもの」を見つける時がある。
「自由より大切なもの」とは何か。
私は、「自由より大切なもの」は「執念」を燃やし続けられるものだと考えている。
私の場合で言えば、芸術だ。
私は飽き性でどうしようもない人間だが、芸術にだけはここ数年間執念が消えることはなかった。評価されなくても構わない。それでも作品を創らずにはいられないのだ。
ただ、自由と引き換えにしてまでほしいもの、執念を持ち続けられるものは人それぞれ違う。
守りたいもの、大切にしたいものは、愛する家族、スポーツ、文学、ゲームなど様々だと思う。
ただ、心に素直になればいい、でも人は世間体を気にしてしまう。
だから私は問いかけたい。
「自由」を犠牲にし過ぎていませんか?
「自由より大切なもの」を大事にできていますか?
頑張りすぎてますよ、そのままだと大切なもの守れないですよ。あなたのことを大切だと思っている人たちを悲しませてしまいますよ。
もっともっともっと、自分を大切に大切にしてください。
壊れてからでは遅いのです。
今あなたがやっていることは、自由と引き換えにしてまでほしいものか。
ただ、他人が羨ましがっているものに過ぎないのではないか。
本当に、その自由と引き換えに、責任を負う必要があるのか。
まだ、「自由より大切なもの」が見つかってなくても大丈夫。
焦らなくていい。
自由より大切だなんて、そう簡単に確信できるものではない。
だが、いつか必ず、「自由よりも大切なもの」が見つかる。
そんなものはない。自由こそが一番大切だ、そう思っている人もいるかもしれない。
私もそうだった。ずっと自由でいたかった。
だけど、「自由より大切なもの」、守りたいものが見つかった時に
きっと、生きている喜びに気づくはず。
忘れないで。
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