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わたしが文章を書く理由

文章を書く。

この行為が苦手だった。

でも今は、何か「形」で残さないと気持ちが悪い。

今年から、「書く」が自分に定着してきたから?


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たった2~3行の日記も、3日坊主で終わってしまう人だった。
もって1カ月だろう。

ダイエットしたかったら、
どこかで見た「レコーディングダイエット」が良いよって言葉を信じて毎日つけていた体重記録も4年で止まった。
ダイエットに興味がなくなったからかもしれないけど。

時間を「書く」に費やしたくなかったんだ。

大学も卒論を選択しなくていい学科だった。
(その分単位取得が必至)

なのに、大学の単位取得はレポート提出ばかりで。

なるべく早く終わらせようと、
講義中にsurfaceでガタガタ書いていたこともある。
タブレットだったから、音鳴らないし助かった。絶対バレているだろうけど。

3~4千字もヒーヒー言って、友人が2時間で終わった同じテーマも
何日もかけて「完璧」を目指して、
あーでもない、こーでもないと「back space」を何度も叩いては
急ぐから誤字を繰り返す。
誤字登録にご協力くださいってWordに何回出てきたことか。

読み返すとひどいものだろう。全データをdelし、ゴミ箱は空っぽにした。
空にした後の音大好き。

でも今は、文章を書く形式で残さないと気持ちが悪い。

とくに「さぁ寝ようと」した瞬間。
頭の中に思考が、ポエムのような若干ブルっとする感覚が
襲ってくる。

次の日には忘れてしまうことが恐怖で、
寝る前のスマホは駄目だとネットや本に嫌と言うほど書かれているのに
スマホの十字キーを親指が滑る。

後からMacでもiphoneでも継ぎ足せるから楽。

手書きでもいいはずなのに、
手書きのメモ→スマホの2重になるのはどうしても許せない。

思考って生ものだから。

書き直しは、その瞬間考えていたこととまた違った思い入れになりそうで。

思い付いたその瞬間を大事にしたい。

寝る前のスマホかMacはやめられない。

一度許すと、大丈夫だろうとお気楽になる。

だから、毎日寝不足。
寝たいのに寝たくない。書きたい。書きたい。書きたい。

ダイエットやってた時は厳重に守っていたのに。
20時にはテレビもスマホもパソコンも止めていた。
あ、だからレポートに時間かかっていたのかもしれない。
レポートで徹夜を一回もしなかったから。
22時には寝て、6時過ぎに起きてたから。
「書く」の優先順位は低かった。

レポートの表紙作成が一番楽しかった。

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なんで180度も変わってしまったんだろう。

たどり着いたのは、仕事で「書く」が義務になり

義務が楽しいに変わったから。
わたしのために書いているから。という結論。

助詞1つで意味合いが変わる日本語。
美しくも汚くもなる表現。
知的に見せようとあえて難しい表現を使って
意味わかんなくなることもある。
主語、述語をしっかり。
無駄な言葉は省いてこそ。
「すべて」は平仮名で。「全て」「総て」があるから。
たった一言で、人の人生を変えてしまう。良くも悪くも。

パズルのピースが組み合わさって、
自分の想いが新しい形になるのってワクワクする。

これを、人が読み、解釈され、批判なり肯定なり、
読んだ人の時間をわたしの文章がコントロールしているって
なかなかに面白くないですか?

今では誰もが簡単に残せる時代。
そして、簡単に発信できる時代。

その中で、「書く」を仕事にできるなんて。

書くのをやめろと言われたら、
もはや生きるのをやめろと言っていることとおんなじ。
こないだ言われたから、内心苦しかった。
別のところで書きなぐろうで解決。
だって、わたしのために書いているから。

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手で持つには重すぎる携帯を持って10年以上が経つ。

スマホの十字キーに慣れ過ぎて
ガラケーのキーをダダダダ打つのはもうしんどい。

利き手には、がちっとしたサポーターをはめないと悲鳴を上げる。
それでも書き続ける。

わたしが生み出した文章が
誰かの支えになれば嬉しいし、
面白いと言ってくださったなら、わたしの幸せに変わる。

以前、私の知らないところで
「この文章いいね~」ってなってたことがあって
たまらなく嬉しかった。


生み出した文章で、みんなが議論したことが
こんなにもニヤニヤできるものだと知らなかった。

FacebookやTwitterでシェアされたときも
コメントでは冷静を装うけど、内心は天にも昇るような気持ち。

以前、自暴自棄になったことも
自分を否定されたことも
クラスメイトから「死ね」と言われたこともあったから。

純粋に嬉しくなるんだろう。


「文章が出てこない」とつらくなることもある。
頭をガーッとかいても出てこない悔しさも何度も味わった。

でも、世の中に題材はあふれていて

実体験でも、空想でもなんだっていい。
批判でも肯定でも、感想でも。

表現に制限なんて存在しない。
表現は自分を代弁する媒体だ。

芸術は人生になくても困らないと言う人もいる。

それでも、
テレビだって音楽だって絵だって映画だって舞台だって。人間関係だって。恋愛だって。

誰かから生み出されたなら表現だし芸術だ。

これからもガタガタキーボードを打つし
わたしが生きた証を残していく。

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