ビフォー「闘病」アフターの好きな本ランキング

「朽ちていった命〜被曝治療83日間の記録〜」という本は、私が高校卒業後に最も好きだった本の一つだ。

闘病前後で変化した好きな本ランキングは大きく変わった。(ぜひ読み比べてみてね〜)

好きな本ランキングとしては、

  1. 「朽ちていった命〜被曝治療83日間の記録〜」//NHK東海村JCO臨界事故取材班 著

  2. 異邦人//カミュ 著

  3. こころ//夏目漱石 著

  4. ……(ストーリーは覚えているけれども、タイトルが思い出せない本……透析室で横になって、いつも聞いていた音読本。高校の英語(国語)の先生がお見舞いに差し入れてくれた。退院後に本のタイトルを聞いたが、この先生はいくつものCDからこの本を覚えてはいなかった。)

  5. 罪と罰//ドストエフスキー 著

本音で書くと、この5冊が好きな本トップ3になっていた。入院闘病前とは、趣向が全然違う。

闘病前はヒーローがいる系が好きだった。

  1. ハリー・ポッター

  2. ダレン・シャン

  3. ブラックジャック(漫画)

  4. ナルト(漫画)

  5. 幽☆遊☆白書(漫画)

あしたのジョーに至っては、順当にトレーニングを重ねてライバルと決戦するまでは好きだった。しかし、決戦以降はむしろ嫌いだった。読み返そうとは思わないが、あまり共感もできなかったし、エンディングに至っては、理解不能だった。)

アハハ、闘病前は漫画以外読まなかったのか? そういうわけでもない。学校の登下校では、なんか文庫本を読んでいたのは覚えている。けど、好みはこんな感じ。

まぁ、ゴシップガールとか、ショップアホリックとかは本に入らないか?ダ・ヴィンチコードとかも、ちょっと怖めで何故友人がドハマリしているのかがよく分からなかった……

ビフォーアフターでガラッと趣向が変化した闘病の概要というのは↓↓こちらの記事。


〜〜〜ここからは、自己分析というか、もはや思考の散歩という名の日記。(読み返すのもシンドいので、乱文すみません。)〜〜〜

実は、この闘病後、私は一時的に末期患者の安楽死推奨派になった。今は、安楽死というか、そもそも人間がその時代の価値観(や本人の価値観)で命を断つことを合法化することには強く反対したい。

えー、10代で安楽死を強く肯定するようになった背景は以下の通だ。「改善見込みがない」状態で、あまりの耐え難い苦痛を感じており、本人が開放を望むならば、それが技術的に可能にも拘わらず開放を与えないのは、自らの手でその「拷問を与えているに等しい」という価値観からだ。(ただし、「自分は良くなったから別。でも、絶対に回復の可能性がない人は〜」と考えたのだ。とはいえ、私も自身の信念の元、再発時は頑なに人工呼吸器を拒んだ。「治療が効かない状況においては、死んでしまうと考えた。すると、人工呼吸器を装着しようがしなかろうが、その命運は同じだと思った。ならば、あんなに辛い状況などを経ずに、そのまま〜、とこういう理論だった。)10代で全世界を説得したいと思うくらい、安楽死の合法化の正当性と合理性を信じてしまった。100%終末期だとするならば、開放されなければ非人道的な苦痛があると信じたくらいだった。なので、日々周囲に心は救われ続けており、肉体的苦痛も緩和する努力はしてもらっていても、相当な肉体的苦痛があったのだろうね。

病気になる前の私は、怒りを覚えたことがなかった。(怒りは再発後に知ったので、初発時や初発後はまだ憤りや怒りを知らない。これも、ある意味凄いことだと思う。)

闘病前は、努力も知らなかった。リハビリを通して、生まれて初めて努力を知った。

結局は、私は病気になる前は随分と平和ボケした幸せのガラス玉の中ででも生活していたのだろうか?

病気前は、全ては自分の力で成し遂げていると思っていた。闘病を通して、いかに多くの人々に支えられ、助けられて生きているかということを知った。当然、自分を生かしてくれた全員に感謝している。

闘病前は、全く何も知らない世界や価値観があった。

闘病は結構壮絶だった。けれども、それは愛と希望に満ちた、ただの身体的苦痛という成長の糧でもあり、開眼の光でもあったと思っている。初発時の闘病は、自分の短所を修正し、多くの貴重なことを学ばせてもらった。

ここで付け加えておこう。私は初発、再発A、再発Bと各々を分離して考えている。ある意味では、各々がそれぞれの布袋に入って、心の中でしまわれているようなイメージに似ている面もあるかもしれない。いや…… おそらくは、再発前までは、人生のラインも人格や記憶のラインも一本だ。しかし、再発によっては結構なトラウマで、大きな人間不信に陥ることも経験している。すると、このインパクト強い経験は、普段は「例外事象で自分の人生のノーマルじゃない」というカテゴリーのファイルに分離して整理しないと、やってられないのではないだろうか? 生まれて初めて「怒り」や「恐怖」、「落胆」や「不安」という感情を知ったのも、再発以降だっただろう。

まぁ、すると初発入退院後までは、自分にとってはプラスしかなかったと捉えている。再発以降も当然良いこともあったよ。沢山の優しさに救われた。本当に稀であっても、こんなこと目撃や体験せずに生活できた方が幸せだったよね…… と思うこともある。いつからだろう? 感情スイッチや思考の一部分を切って、ただただ冷静?冷徹?にファクトだけを述べることの¿できる?、肉体と切り離した辞書自動読み上げ機能みたいな瞬間ができたのは、何度目の再発でだろうか?(これはこれで、技術か🤣?)

なんか、学業や就労というタイムラインが、自分だけ一時停止を喰らうと、都度修正して、工夫して、努力して次のラインに繋げる。

結局は、これも一本の曲がりくねったラインではあろう。しかし、それこそ心はツギハギのブラックジャック、いや、フランケンシュタイン状態。人生の歩みも、体感的には断裂した長さの違う線路が何本もあるかのようにすら感じる時がある。

だから、初発時とその後の再発前までは、純粋に温かいだけの明るく愛に満ちた人生。その後は、世界の必ずしもキレイじゃない(でも、悪意や醜さとは違う)世界を知ったタイムラインというか、次元というか…… (大人になんてなりたくないよね……)

だから、コンパートメントライゼーションして(コンパートメントを作って、そこに分別して)、気持ちを整理というか、正気を保とうとしようとするというか……

とはいえ、近年これら全てがある程度統合されつつある気もする。良くも悪くも。

〜ちょっと、読み返して整理するのもシンドさがあるので、ここで思考の散歩日記完、ということで、4649😉〜

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