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世界はここにある㊹  第三部 

「フランツ? フランツ・シュナイター博士が私を呼んでいると?」
「はい、ドクター・タカヤマ。このことはチャールズ様も喜んでおられます。多大な成果を残された貴方の次の研究の場として、我がベラギー王国の最先端技術研究所はこれ以上ない所だと我々も自負しております」
 
 ポール・ヴュータンはうやうやしく、日本的に頭を下げそう言った。
チャールズが高山に研究所所長を辞任することを要求した二日後に突然ベラギー王国からの使者が訪ねてきた。フランツがベラギーの皇太子であり旧友でもあることから休暇の誘いかとも思ったが、ナオを慮っていた彼はとてもそんな気はなかったところが、出た話に彼はとても驚いた。

「フランツとはハーバードで研究者として4年の付き合いです。プライベートでも仲良くさせていただいた。懐かしい……」
「皇太子もとても楽しみにされております。では問題ありませんな」
「私としてはとても良いお話だと承ります、ヴュータンさん、しかし……」
「ポールと呼んでください、ドクター。何か心配事でも?」
「ここでの研究を貴方にお教えすることができないので説明が難しいのだが…… ポールさん、私にはどうしても連れて行きたい子供が一人いるのです。しかしその子を連れて行くことをチャールズは許さないだろう」
「お子さん? ドクターのお子様ですか?」
「いや、私の血縁の子ではないのだが、一般的な言い方をすれば養育の義務がある子なんだ」
「それならばなんの問題もありません。ご一緒にお越しください。フランツ殿下もきっとお喜びになります。ご存じなかったかも知れませんが…… 実は殿下も年末にはお子様が誕生されます。そう言う事ですのできっと歓迎されると思いますよ。もちろん日本のご家族もお呼びになるといい。その準備も万全にさせて頂きます」
 ポールは終始笑顔を絶やさず『私にお任せください』とまた頭を下げた。

「お心遣いには感謝します、ポールさん。しかしその子を連れて行くことをチャールズは絶対に許さない。この研究施設は私とその子の為にできた場所です。この研究所の研究者、職員、全てが彼女の…… その子の為にあると言っていい。だから彼はそれを、彼女が出て行くことを許さない」
 高山はナオを抱きしめた時のことを思い出しながらそう言った。

「そうですか…… ドクター、私に少し策を練らせて頂けますか? 勿論これは秘密にという事です」
 ポールはそれまでの、にこやかな表情を一変させ声を潜める。

「どういうことです?」
「我がベラギー王国シュナイター家は、ヒスマン家とゆかりの深い国であることはご存じですね。西側の一員でありNATOの本拠を持つ国です」
「しかしチャールズ・D・ロセリストはアメリカばかりでなくヨーロッパにも影響力があると噂される人物ですよ」
 高山は歴史にそれほど造詣が深いわけではないが、ロセリスト家の強大な力は十分に理解していた。謝った選択ではあったが自身の生きる道もそこで作られ、ナオを育てることができたこと、サツキの未来を守ることにもつながった。世界から非難されうることであっても。

「チャールズ公にはヒスマンの当主からお話していただくことができるやもしれません。私からそれを進言することはかないませんが、フランツ殿下にご相談すれば……」
「いや、彼にそんなことを願うわけにはいかないでしょう」
 高山はポールの言葉を遮りそう言った。ヒスマン家とロセリスト家の世界を巡る攻防は経済の分野だけでは済まない。一国の皇太子であるフランツを火中に身を投じさせることは出来ない。これは自分とナオの問題だ。

「そうですか…… ではご自身だけではお越しいただけないということを殿下にお伝えしてよろしいでしょうか」
「ご厚意に感謝しますとお伝えください。できればお会いして直接申し上げたいがそれも叶うかどうか今はなんともわかりませんので」
「承知いたしました。では、お元気で、ドクター・タカヤマ」
「ありがとう」
 握手をしてポールは研究所を去った。これでいいと高山は自身に言い聞かせる。計画を練らねばならない。なんとしてもナオをここから連れて出なければならない。

 研究所を出たポール・ヴュータンは車中で一本の電話を掛けた。
「ヴュータンです。やはりタカヤマは例の研究の鍵を今も握っていると思われます。ロセリストが彼の首を切ったのは本当でしょう。彼をフランツ殿下のところで保護するのは簡単です。しかし問題があります。彼は被験者の子供を守ろうとしています。一緒でないと動けないと言っているので間違いない…… はい。 たぶん…… 彼は一両日中に行動するでしょう。その時に…… データはロセリストに在っても構いません…… ドクター・ブリュスコワが後を引き継ぐのであれば研究成果は全てわれらの下に…… ヒスマン公の手にあります……」

☆☆☆☆

 その日の夜はドイツでは珍しく蒸し暑かった。
 高山は研究所のセキュリティーにビールを持ち込んだ。
「やあ、ドクター、どうされたんです?」
 警備がモニターに映る高山を見てセキュリティールームから出てきた。
「今夜は蒸し暑い。差し入れにとこれを、冷やしてるからな」
 高山は缶ビールの箱をロビーの受付カウンターに置いた。
「所長自らセキュリティーの規則違反ですか? これは問題ですよ」
 警備はニヤニヤと笑いながら、もうその箱を抱えていた。
「もちろん、私も見逃すわけにいかない。だから一緒に罪を被るつもりだよ。といっても私は週末にはここを離れる。今夜は一足早くお別れのパーティーといこう」
「さすがドクター、日本人は肝っ玉が据わってますな」
 警備は笑いながら高山をセキュリティールームに誘う。

 20以上のモニターが常時管内を映し出し、ターミナルでは各ドアのセキュリティーロックの状況がすべて管理されていた。ナオのいる重要区画はこの時間、カードと生体認証の両方でロックされている。ナオは一人ではロックを解除して外へ出ることは出来なかった。出れたとしてもカメラでモニタリングされる。警備が途中の通路を封鎖し、現地に行って部屋へ連れ戻すことになる。一般区画まで出てくることは通常不可能だった。ただしそれはナオがごく普通の6歳平均の知恵しかない子供の場合という条件がつく。
 軍事施設や政府施設に代表される厳しいセキュリティーであったとしても彼女にとっては随分簡単なシステムだった。

 ナオは自分のタブレットからセキュリティーシステムに入り込み、まずモニターシステムをハックする。サーバシステムの録画画像を一度取り込み、高山が施設に入ってくる前5分のデータを抽出する。そして制止画像にタイムスタンプを入れ込み5分のみのループを全モニターで繰り返し映し出すようセット、これで5分間の脱出時間を確保した。あとは地下の設備室の偽の機器異常信号を出したあと、セキュリティの生体認証ロックのみを全て解除する。カードロックは生きているのでセキュリティ異常は出ない。ただしターミナルの監視画面ではそれをごまかせないので、そのためにターミナルとは反対側に位置する機器異常の監視画面を注視させる。それが狙いだった。

 あとは高山が半分酔った状態の警備を地下へ確認に行かせ、残りの警備の目線をそらせば、ナオはロビーまで脱出し外に出て駐車場の高山の車に潜り込む。
 そして警備の酔いが回り始めた30分後、いとも簡単にナオはその計画をやってのけた。

 地下の機器異常が誤報だったことを確認できた頃、システムは全て正常に戻されていた。高山はそれを確認した後、警備に挨拶をし研究所後にした。
 
 彼の車の後部座席にはナオが眠っている。警備の巡回はあと4時間後。ビールを飲んだことで多少の時間差はあるかもしれない。それまでに国境を越えられるかがカギだ。ベラギー王国が高山に接触してきたのを彼らは知っている。逃げる先はベラギーだと思うだろう。しかし高山はオランダへの潜伏を計画していた。そして英国経由で日本へ帰る。ナオを連れて……。

 オランダ国内に入ったのを確認し、二人は潜伏先に選んでいた場所へ向かっていた。4時間走り続け高山も疲れている。車を路肩に停めシートを少し倒し瞼を閉じると張り詰めていた緊張がしばしほぐれる。
 
 時刻はもう3時を回っている。今頃研究所ではナオがいないことが発覚しセキュリティーは館内を探し回っているだろう。そして自分を疑いだすまでに果たしてどれだけの時間があるか? 自分に連絡が取れない時点でその判断を下すはずだ。何年も一緒に働いた仲間でもある彼らには申し訳なかったし責任も追及されるだろう。しかしナオを連れ出すにはこうするしかなかったのだと、高山は言い聞かせていた。

 郊外の道をこの時間に走る車は少ない。窓を少し開けると研究所では蒸し暑かった空気もここへきて涼しく感じる。どこかで虫の音も聞こえている。少し眠ろう。そう思ったときだった。
 フロントガラスと運転席のガラスが大きな音を立て、ぐしゃぐしゃになった。高山は咄嗟に身を屈めたが、後部座席のナオを守らねばと後ろの席に移動しようと身体を起こす。護身用の銃がダッシュボードにある。それを取らねば…… しかしそれより早くドアが開けられ彼は引きずりだされた。

「誰だ! お前らは?」ドイツ語で叫ぶ。
ナオの悲鳴が聞こえ彼女も車の外へ担ぎだされる。
「やめろ! その子を離せ!」
 そう言った瞬間、高山は後頭部を何かで一撃される。ヘッドライトがぼやけ、ナオの言葉が遠くなる。彼はその場に倒れ動かなくなった。

「先生! いやっ! パパ! パパ!」
 
 叫ぶナオの口をテープでふさぎ、手早く両手と両足を結束バンドで固定する。抵抗できなくなったナオを自分達の車のトランクに閉じ込め、集団は去っていった。

 倒れた彼のそばに一台の車が近づき停まった。後部座席から降りた男は彼を車に乗せるよう、部下らしき者達に指示する。後部座席に高山は乗せられるがまだ意識はない。
「大丈夫か?」
「気を失っているだけです」高山の様子を確認していた男がそう言い、運転席へ戻った。
「慣れないことをするからですよ」
 意識のない高山の耳元で男は呟いた。
「よし、出せ」
 車はゆっくりと走りだした。

「さあ、殿下がお待ちですよ。ドクター・タカヤマ」


 ㊺へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

Alan Walker - Faded


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶
世界はここにある㊷
世界はここにある㊸


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