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もしもの備え その3.2 〜止水板/止水壁という準備はそのオペレーション手配の不備から機能しなかった 河川の近くに家を建てるな 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私の苦い経験をご紹介しますね。

 父から子供の頃に

河川の近くに家を建てるな

と教わりました。父方の先祖が河川の氾濫による水害に遭ったからだそうです。しかしまさか横浜駅が水没するとは想定できませんでした。

 その日、朝から台風の豪雨で自宅に居たのです。まぁ久しぶりの休みだし家でのんびりするかぁ…
 と思って居たのですが…

 子どもが楽しみにしている展示会は開催されているとのことで

吾妹に約束したのだからと強く促されて、大雨で気乗りしないものの
(運と勘としつこさの人生を信じてこの直感に従えば…)
まぁ展示内容は私も興味があったので出かけることに。
 鉄道もバスも僅かな遅延はあったものの正常に運行していました。

 横浜駅まで徒歩数分。ここさえクリアすれば会場までは全て傘は不要。そこからバスでパシフィコ横浜に。バスは排水が間に合わず冠水した路面を水しぶきを上げながらも平然と運行していました。確かに吾妹の言う通りなんの問題もなく会場に到着。

 思いの外混雑していて、展示内容も実機を展示してあるなど期待以上のものでした。イスラエル駐在時にはIAI ELTA

Israel Aerospace Industries (IAI)
 - ELTA Systems Ltd. 

などにも総合商社さんを代理店として商談をしていたこともあり土地勘は充分ある分野。昔を懐かしみながら最先端技術を子どもと楽しんでいました。
 勿論パシフィコ横浜ですから外の豪雨の雨音はするものの、建物内は平和そのものでした。

 来てしまえば、吾妹の言う通り子どもとの楽しい一日ということに。そして夕方帰路に着いたのでした。相変わらずの豪雨でしたが、バスも運行していました。

 横浜駅に着いて地下街を自宅に向かって歩いていると、天井の化粧板が壊れて地下街に大量の水が流れ込んでいました。しかし流石に横浜駅地下街。排水がしっかり効いていて立入禁止エリアから外には浸水して居らず、商業施設は営業していました。
 
 ここで私の刺し身好きが…

 一寸お刺身安くなっているはずだから寄り道しようと…
流石我が子。天井からの大量の漏水を見たので、
「お父さん。お刺身なんか買わずに帰ろうよ。」
と。直ぐ終わるからとそのまま魚屋に向かいました。
思った以上に安売りしていて大好きな新鮮な烏賊も投げ売り状態。その時吾妹から電話が息子に…
「お母さん。お父さんお刺身なんか買ってるよ…」
と報告されての買い物。買い物は良かったのですが…
多分数分の寄り道だったかと…

 自宅に最も近い地下街出口の階段を上がると、何と階段が滝のようになって水が流れ込み始めていました。さすがの私もこれは何か変だと感じていました。
 地上に出ると帷子川の堤防を越えて水が道路に流れ出していました。氾濫直後でみるみる水嵩が増していました。地下街の入口よりも、その堤防の高さの方が僅かに高いので徐々に水が流れ込んでいたのでした。
 流石にNTTさんや東京電力さんなどは水害を想定して建物は嵩上げされていますので、水の侵入はなく、私も局舎周りの歩道を使って帰路に着きました。
 しかし私の住むマンション付近は道路が冠水し、下水のマンホールからも雨水が逆流していました。NTTさんから先の数十メートルだけ冠水した道路を子どもを背負って歩きました。
 そして帰宅。自宅は上層階なので無事でした。ずぶ濡れになった靴を直ぐに洗いましたが、その後何度も洗ったものの悪臭が酷く廃棄しました。
 マンションには止水板も設置されていて建物周りも止水壁があったので安心していました。

 ところがマンションの管理人は定時で帰宅していました。勿論、帷子川まで出向いて水位を確認していますが、まさか横浜駅周辺で氾濫は無いと思ったのだと思います。
 その後管理会社が住人の通報で止水板設置に来ましたが当然間に合わず、地下駐車場と一階が床上浸水してしまいました。

 帷子川が氾濫という”もしも“への止水板/止水壁という準備は、そのオペレーション手配の不備から機能しなかったのでした。建物の設計者としては悔しい話なのだと思いますが…

 ということで、我が家としての唯一の被災である地下駐車場のクレスタは成すすべもなく水没、廃車となってしまったのでした。

 まぁ、外出していなくても帷子川の氾濫を自室から確認する事はできないので、結局同じ結果だったと思っています。

 この始末に偶々その時マンション管理組合の一理事であった私が深く関わることに…

つづく



経緯
 その1は初めてもしもの備えを考えた子ども時代のご紹介でした。

 その2では、全く逆の動きを敢えてした受験生時代、サラリーマン時代の
“敢えて完璧な備えをせず前に早く進むことを優先”
という話題を置いて見ました。

 その3では、先祖の被災の教訓を生かせず被災してしまった話でした。



 


 

 

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