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今日の言の葉

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その日、降りてきた言の葉を綴っています。あなたの良き日々に繋がれば幸いです。
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2023年4月の記事一覧

今日はどんな企てをしますか?

今日はどんな企てをしますか?

今日は、どんな面白いことを
自分に経験させましょうか。
毎日できるだけ楽しい企てを
自分に与えるように心掛けてみましょう。
それはそんなに難しいことではなくて
たとえば散歩に出かけたときに
野の花を摘んで帰るようなことなのです。
お気に入りの茶器をもちいて
特別丁寧にお茶を入れるようなことなのです。
「昨日もやった」
「同じことのくり返し」
それは勘違いです。
だって今日は昨日とは異なる一日で

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変容する社会に希望が持てない理由

変容する社会に希望が持てない理由

これからますます何を選ぶかで
存在する世界が本当に変わってしまうでしょう。
世の中は悪くなる一方だと思う人にとって
確かに社会は暗くなるに違いありません。
明るい方に向かっていると思う人は
もうすでに明るい場で
日々ささやかな幸せを感じながら
過ごしているはずです。
いま、自分がどういう常態なのか
常に確認するようにしてみましょう。
「悪くなる一方だ」と暗い想いを抱えている場合
起きている事象に対

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我慢して生きていることの弊害

我慢して生きていることの弊害

好きなことをして生きていきたい
それは我儘で勝手なことだと言われたかも知れない。
人は我慢しながら生きていくのだと。
「我慢」と「我儘」とどちらも「我」がつくけれど
「慢心」という言葉だってあるように
我慢して生きている人には特有の傲慢さがあることに
気づいているだろうか。
「私はこんなにも我慢している(さあ、どうだ)」
だから人にも我慢を求める。
人は自分の生き方を自由に選択できるはずのところ

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虹を追いかけて

虹を追いかけて

雨上がり
大きな虹がみるみるうちにかかってゆく
たもとは町の
あのあたりだろうかと
追いかけてみたけれど
虹はだんだん遠のいて
息を切らしながら
薄れゆくのを見送った
あれからもう
虹を追いかけたりはしないけれど
今も時々思う
わかっていたとしても
もう一度
走ってみてもいいんじゃないかって

用の美と、母の手と

用の美と、母の手と

飾られてひたすら見るもの眺めるものにも
もちろん美しさはあるけれど
美とはもっと奥深く多彩なものであることを
もしかしたら私たちは
見失っているかも知れません。
たとえば、老いた母の手。
それは皺ばんで節くれだっていたとしても
その手は家族のために労をいとわず使われたがゆえの
美しさが見えてくるのです。
家事を忘れたような手は確かにきれいだけれど
母の手は言葉にならない美しさが、あった。
懐かしい

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音を観る

音を観る

「音」は、聞こえはするけれど
目に見えるものではない。

それを、観る、という。

しみじみ思った。

本当に苦しいとき

人は口をつぐんでしまう。

本当に悲しいとき

泣くこともできない。

その声にならない声を

無言のことばを

ありのまますべて余すことなく

受け入れてくれる

だから、観音さま、

なのですね。

ネガティブな感情がどこから来るのか確かめてみる

ネガティブな感情がどこから来るのか確かめてみる

SNSを見ていて心がざわつく人は少なくありません。
むしろ、そうでない人の方が極めて少ないと言えるでしょう。
ネガティブな感情・・たとえば、それは多くの場合
嫉妬や、そこから来る落ち込み、ということになります。
そうした感情が湧いてきたら、落ち着いて
それがどこから来るのか見つめてみましょう。
見えてくるのは「自信のなさ」かもしれません。
では、その「自信のなさ」は、なぜ抱かれるのでしょう。
もし

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醸されてゆく私

醸されてゆく私

大人になるのは、悪くないものだと思う
悪くないどころか
子どものように楽しくてたまらない日々が
訪れるとは思ってもみなかった。
大人なのに「子どものように楽しい」だなんて
おかしいように感じるかも知れないけれど
子どもというのは、
実は不自由なもので、
子どもゆえに見えてしまうものが
心をいたみつけることが、ままある。
たぶん大人になると
そのいたみを受容できるようになるのと
庇護されるのではなく

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良いも悪いもどちらもよい

良いも悪いもどちらもよい

あらゆるものを「良い」とか「悪い」とか
無意識に判断すことに
私たちは長けているけれど
たとえばその時は望ましくない出来事が
後でありがたいことに変わるように
結局は良いも悪いもありません。
「良い」か「悪い」か「どちらでもいい」のではなく
「どちらもよい」ということにんるのでしょう。
そんなことを心のどこかに置いておけば
目の前の出来事を
いちいち「良い」「悪い」と判断して
感情の浮き沈みに振り

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何かが壊れて、始まってゆく

何かが壊れて、始まってゆく

「蝕の季節」には思いも寄らないことが起きて
いままでの意識が否応なしに変えられていくことが
起きたりするといわれています。
その時、これまで自分の中にあった「当たり前」が
壊れていくのでしょう。
壊れる、というと、とたんに怖いような気がします。
これは聴いた話ですが
人は病でさえも、それが去ろうとするとき
まったく無意識のうちに恐れを抱くのだそうです。
壊れること、去りゆくこと、崩れてゆくこと

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子どもの目で大人の自分を見てみれば

子どもの目で大人の自分を見てみれば

大人になった自分の事を
子どもの目で見てみたら
どんなふうに見えるだろう?
ドキリとしたなら・・・
あなたは正直な人です。
そしてまた、
ここにひとつの事実が明らかになる。
子どもの目は
誤魔化しがきかないと言うこと。
かつてその目が、備わっていたということ。

その目を、そっと伏せたのは
いつのことでしたでしょう。
伏し目がちにならないと
日々をやり過ごすことができないから
でも同時に、空が遠の

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生まれたての今日

生まれたての今日

朝、眠りから浮上してくる時の
ぼんやりふわふわした感じは
あたらしい自分が生まれてくることの証です。
お布団から抜け出すのが億劫なのは、
お母さんのお腹から出る時の
ちょっと不安な気持ちが隠れているのでしょう。
朝の光がカーテンの隙間から差し込んで
あたらしい一日を生きるよう促しています。
過去も未来もなく今の連続を生きる。
日に新た、とは、そういうことなのかもしれません。

小さな画面と広やかな世界

小さな画面と広やかな世界

人の心がなんだか狭くなったように感じるのは
小さな長方形の画面に釘付けにされることが
増えたからだろうか。
そこには広い世界があるように見えても
実は片鱗が点在しているだけで
不安に傾いていきがちなのも
そのためなのかもしれない。
どこまでも続く広い空
梢を渡る風
どこからか飛んできて
どこかへ飛んでゆく鳥たち
いま自分がいる場所を
いま自分がいることを
全身で感じてみたら
小さなことにこだわって

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人間の非人間化がこれ以上進まないように

人間の非人間化がこれ以上進まないように

今日は、サティシュ・クマールさんの言葉をご紹介しましょう。

厳しい言葉と感じるとしたら、それは、
まさに「痛いところを突かれた」からです。
知らぬ間に近代教育を受けていたのだから仕方がない。自分にはどうにもならない・・・
などと、他人事のようにごまかすよりも何倍も何百倍も良いのです。
痛みを感じるということは
非人間化に走っていないという証、
まだまだ人間として存在し得ていることの証です。
だか

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