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Random Walk

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執筆したショートストーリーをまとめています。
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2020年9月の記事一覧

行くは我が道、賑やかに

行くは我が道、賑やかに

私たち夫婦が長らく乗ってきた相棒であるこだわりのマニュアル式の中古セダンから最新式のミニバンに乗り換えたのは、結婚してからちょうど5年目の事だった。

結婚する前の独身時代から夫が乗っていたその車は、彼が中古で購入した時点で走行距離が4万キロを超えていたらしい。
これはおよそ地球1周分とのこと。その後乗り換える時に走行距離を聞いてみたら、8万キロを超えていた。
夫が車を手に入れてからさらに地球を1

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涙のわけは

涙のわけは

物事には、得てしてタイミングというものがある。
それは神の采配か偶然の産物かは人の身には知る由もないが、それでその人の人生が決まってしまうことも往々にしてあるのだ。

タウン誌の編集をしている私は、「わが町自慢の人々」と言うミニコーナーを担当している。町に住むごく一般の人にインタビューをして記事にしているのだけど意外とこれが好評で、この記事を目当てにタウン誌を手に取る人が結構いると聞いている。

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隙間

隙間

同級生で友人のアキラが行方不明になった。
アキラはある日の放課後、学校を出たまま家に帰ってこなかったのだ。
当初は本人の意思による失踪もしくは誘拐と思われたけど、置き手紙もなく、また誘拐犯からの連絡もなく彼はその日から姿を消した。
神隠し、と噂が立つようになったのも当然かもしれない。

友人の僕の所にも警察が聴取に訪れたけれど、残念ながら彼が姿を消す理由に僕はまったく心当たりはなかった。

彼が姿

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きたときよりも美しく

きたときよりも美しく

新しく出来たクリーニング店に行きたいと野口康夫が妻の聡子から言われたのは土曜日の事だった。まず彼の脳裏に浮かんだのは面倒だな、という言葉だった。自然と眉間に皺が寄る。

「いつもの所じゃ駄目なのか。あそこならうちから歩いていけるだろう」
「そうなんですけど、なんでも凄く奇麗になるって評判なんですよ。お隣の奥さんも良かったって言ってましたし」
「クリーニングなんてどこも一緒だろう」
「あなたのワイシ

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変わりゆく地のその上で

変わりゆく地のその上で

 最初に思ったことは、広いな、だった。

 眺望が開けているわけでは決してない。むしろ周囲を取り囲むようにしてビルが建ち並んでおり先を見通すことができないため、進む道行きに何があるのかちょっと見ただけでは分からない。

 それでもここは広いな、と思ったのだ。

 駅を出て思わずそう呟いたら、隣を歩いていた友人は不思議そうな顔をしていた。

「広い?渋谷のどこが広いのさ」

 彼の問いかけには答えず

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私の座敷童

私の座敷童

座敷童が家にいることに気がついたのは、小学校に上がった年のことだった。

最初はただの気配だった。
部屋で一人、本を読んでいたりすると、なんとなく窓の方からこちらを見つめる視線を感じる。
ふと本から顔を上げてそちらを見ても誰もいない。
ただ、窓を閉め切っているはずなのに、レースのカーテンがふわりと揺れて、そこにいる存在を仄めかしていた。

その存在は徐々に大胆になっていき、廊下を走るぱたぱたという

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蕎麦屋の焼き鮎

蕎麦屋の焼き鮎

(お、これは当たりかも)

蕎麦を一口食べて、そう考える。
当てもなくドライブに出かけた連休最終日。山奥の道の先にいきなり現れた古民家風のお蕎麦屋さん。

舗装もされていない駐車場にみっしりと停まっている大量の県外ナンバーの車を見て、迷わず駐車場に車を入れていた。
並ぶかな、と思っていたら運よく前のお客と入れ替わりで入ることができた。だだっ広い土間をそのまま客席に改装した店内は、周囲をぐるりと溝が

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肌寒い月の夜には

肌寒い月の夜には

駅からアパートまでの道すがら、空には鋭く尖った三日月が浮かんでいた。
九月も半ばを過ぎると残暑もめっきり影を潜めて、七分袖でも夜は肌寒く感じられる気温になってきた。
十五夜まではあと少し。今年は10月1日だっただろうか。
見上げた月がふくふくと満ちていき、満月になる頃にはきっと上着も必要になってくる。

こんな肌寒い夜には、昔のことを思い出す。

両親が別居を始めたのは私が小学校2年生の時だった。

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背中を押す話

背中を押す話

昔から、自分を偽って見せるのが得意だった。どうせ他人の心の中なんて誰にも分からない。たとえ表面上だけだったとしても、嬉しいときににっこりと笑いかけ、一緒に泣いてやり、同じように憤慨してやれば人はあっさりと相手を信用するようになる。俺はそれを幼い頃から何の苦労もなく自然に出来ていた。自分を育てた両親ですら、俺はずっと欺いてきた。幼いころは無意識に、物心ついてからは意識的に。

学生時代も、社会に出て

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ただいま工事中

ただいま工事中

「うわ、ここもかよ」

ぼやきながらブレーキを踏んで車を停車させる。フロントガラス越しの目の前には工事中の看板が立っていた。とぼけた顔でヘルメットを脱いで頭を下げる人のイラストが描かれているそれを、今日はもう何度見た事だろうか。舌打ちをしながら後ろを確認し、効きの悪いハンドルを回して何度も切り返しながら元来た道へと車の向きを変える。

今日はついてないな。

一人きりの車内をいいことに大声でぼやき

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スコーポフォビア

スコーポフォビア

視線恐怖症なのだ。
昔から、いつも誰かに見られている気がしている。

小さいころに、一人で風呂に入っていて、例えば髪を洗っているときに何かの視線を感じたことはないだろうか。恐る恐る振り向いても当然誰もいない。当たり前だ。狭い風呂場には自分以外に人が入れるような隙間は無いのだから。しかし一度そういう思いを抱いてしまうと目の前の鏡を見るのもなんとなく嫌になって、体の向きを変えて洗髪を続けるのだけど、そ

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雨の日の日曜日は

雨の日の日曜日は

雨にも匂いがある、と気がついたのはいつのことだろうか。
薄曇っている遠い空の向こうからほのかに漂ってくる雨の匂いがわけもなく好きだった。ほのかに漂ってくるその匂いはまるで世界の気配のように感じられた。

降り始めの雨の匂いは「ペトリコール(Petrichor)」と呼ぶということを以前にどこかで聞いたことがある。ギリシャ語で「石のエッセンス」という意味なのだけど、それの正体はというと、石や土に付着し

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白い神様

白い神様

ふわふわでもこもこで白かった。

夢に出てきた神様は、そんな不思議な外見をしていたように思う。
おぼろげな記憶と共に部屋のベッドで目を覚ます。

「……変な夢だったな」

ベッドに体を起こしたままの姿勢で、がりがりと頭を掻きながらそうひとりごちる。夢の理不尽なところで、なぜか目の前にいるその存在が神様だという事が分かる。しかし頭の中から急速に失われていくそのビジュアルを形容すると、ふわふわでもこも

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夢の中でも

夢の中でも

就寝前のスキンケアを終えて寝室に入ると、一足先にベッドに入った夫はすでに夢の世界に足を踏み入れており、すうすうという寝息が聞こえてきた。

私は他人の寝息が聞こえてくるとまったく寝られない性分だった。
修学旅行で初めてそのことに気がついてから、友人との旅行でも耳栓が欠かせなくてうっかり忘れた日には翌日の旅行中ずっと落ちてきそうになる瞼を擦りながら過ごす羽目になる。

それだから夫との初めてのお泊り

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