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スコーポフォビア

視線恐怖症なのだ。
昔から、いつも誰かに見られている気がしている。

小さいころに、一人で風呂に入っていて、例えば髪を洗っているときに何かの視線を感じたことはないだろうか。恐る恐る振り向いても当然誰もいない。当たり前だ。狭い風呂場には自分以外に人が入れるような隙間は無いのだから。しかし一度そういう思いを抱いてしまうと目の前の鏡を見るのもなんとなく嫌になって、体の向きを変えて洗髪を続けるのだけど、それはそれで自分の後ろの見えない位置にある鏡に何か映っているのはないだろうかと気になってしまう。

普通は大人になれば自然と解消されていくものなのかもしれない。
しかし僕の場合は大人になってもこのうっすらとした不安な心理を抱えていたままだった。

視線は決まって有り得ない位置から僕に向かってくる。
駅のホームに立って電車を待っているとき、向かいのホームの下にある暗がりから感じるときや、道路を歩いているときに道端の側溝にかぶせてあるコンクリート製の蓋の隙間から視線を感じることがある。バイクに跨って夜の高速道路を走っているときに覗き込むような視線を感じることもあった。

気のせいだと思うことにしているし、常識的に考えれば当然のことながらただの勘違いなのだろうから、仲の良い友人にもこのことを話したことはなかった。不思議なものでホラー映画やホラー小説、お化け屋敷も僕は全く怖くない。なぜならそれはあくまでそのために用意されたものだからだ。だから他人から見れば僕は随分と肝が据わっているように見えるのではないかと思う。

違うのだ。僕はいつもその視線を気にしている。感じている。

ノイローゼなのか?トラウマ?なにか心の病を抱えているのか?
誰にも言えないまま時は経ち、最近になって気がついたことがある。

その視線は僕の腰より下、足元から届いてくることが多いのだ。

まさに今、秋の夕暮れ、逢魔が時。古い民家が立ち並ぶ街角で西日を背に受けて歩いている中、後ろから僕のことをじっと見つめる視線を感じている。
僕は一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、心の中で5秒のカウントダウンを行う。
5、
4、
3、
2、
1。
ゼロになった瞬間、ぱっ、と後ろを振り向いた。

誰もいない。僕の影がすっかり経年劣化して白っぽく変色したアスファルトの上にただまっすぐ伸びているだけだ。




……いや。おかしい。

だって僕はいま太陽を正面に見ているのに、なんで僕の影は太陽に向かって伸びているんだ?

そう思った瞬間、

『ば れ た か』

と声がして、影から伸びた真っ黒い手が僕を影の中に引きずり込むと、
後にはただなにもない場所に黒い影だけが残されていた。









……さて、これを語っている『僕』は果たしていったい誰なのだろうね?

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