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夢の中でも

就寝前のスキンケアを終えて寝室に入ると、一足先にベッドに入った夫はすでに夢の世界に足を踏み入れており、すうすうという寝息が聞こえてきた。

私は他人の寝息が聞こえてくるとまったく寝られない性分だった。
修学旅行で初めてそのことに気がついてから、友人との旅行でも耳栓が欠かせなくてうっかり忘れた日には翌日の旅行中ずっと落ちてきそうになる瞼を擦りながら過ごす羽目になる。

それだから夫との初めてのお泊り旅行の時も、それはもう緊張して臨んだものだった。耳栓を忘れていないか何度もチェックして、万全の体制でいざ布団に入る。耳栓のおかげで寝息も気にならず、意識が徐々に落ち始めていた時に突然隣から、ねえねえ、さよりちゃん!と私を呼ぶ声がした。
何事かと思って耳栓を外してそちらを見る。しかし声をかけてきた当の本人は布団に潜ってそっぽを向いている。
「どうしたの?」と声をかけると、その返事は「うぐいすと冷ややっこってどっちがじれったいかな?」という謎のセリフだった。
私がぼかんとしていると、そのあとすうすうという寝息が聞こえてきて、先ほどの言葉がただの寝言だと知る。

そこで初めて知ったのが、彼はわりとはっきりと寝言を言うタイプだということだった。不思議なものでそれ以来彼が寝言で何を言うかが気になって、寝息の方はまったく気にならなくなった。

当然寝言なので変な発言が多い。
いきなり「カマンベールチーズ!」と叫ばれたときは何事かと思ったものだ。あとは「スペースシャトルって何ヘクタールだと思う?」とか「チキンライスにこの問題は解けないよ」とか、訳が分からない。
残念ながら「むにゃむにゃもう食べられないよ」というセリフはまだ聞いていないのだけど。

そんなことを思い出しながら私も布団に入ると、今日も夫がなにか寝言を呟いていた。

「ゆきこ……」

ん?ちょっとゆきこって誰よ。お互いの知り合いにそういう名前の女性はいないはずだ。続けて夫の口から聞こえてきたのはまたも女性の名前だった。

「あけみ……」
「としえ……」

いよいよ叩き起こして問い詰めようかと思い始めたとき、続いての寝言で「名前が決まらない……」と聞こえてきてようやく私は合点がいった。どうやら夢の中でもこれから生まれる子供の名前で悩んでいるらしい。
いやしかし古風な名前が多くない?というかスナックの店名っぽくない?
別に悪いとは言わないけれど、娘の名前を夫に決めさせるのはやめた方がいいかもしれない。

でも子供が生まれたら、しばらくはこうして静かに夫の寝言を聞くこともないかもしれない。しばらくはこの寝言もお預けかと思うとなんとなく寂しくもあり、すっかり大きくなったお腹を押さえて私はこれからの事を考えながら眠りにつくのだった。

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