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蕎麦屋の焼き鮎


(お、これは当たりかも)

蕎麦を一口食べて、そう考える。
当てもなくドライブに出かけた連休最終日。山奥の道の先にいきなり現れた古民家風のお蕎麦屋さん。

舗装もされていない駐車場にみっしりと停まっている大量の県外ナンバーの車を見て、迷わず駐車場に車を入れていた。
並ぶかな、と思っていたら運よく前のお客と入れ替わりで入ることができた。だだっ広い土間をそのまま客席に改装した店内は、周囲をぐるりと溝が囲っており、水が張られていた。
わざわざ備え付けられた小さい渡り板を踏みながら案内された席に着くと、すぐ後ろにも水路があり、水面が妙にざわついているなと思ってよく見れば、大量の鮎が気持ちよさそうに泳いでいた。

改めて厨房の方に目をやると、大型の焚火台が設置されており、その周囲で串に刺された鮎がチリチリと炭火で焼かれている。

(絶対美味しいやつじゃん)

迷わずせいろ蕎麦と鮎の塩焼きを一尾頼んだ。

パリパリの塩焼きが時を置かずに運ばれてくる。
丁寧に背ビレを外して、背中側を満遍なくぎゅっと押してやり、尻尾を外して頭をゆっくり引っ張ってやればするすると奇術師がシルクハットから万国旗を取りだすように骨が丸ごと取り出せる。
ほくほくとした身は皮から染み出た塩っ気が程よく乗っており、このまま日本酒の一杯でもやりたいところだけど、いかんせん車で来ているので、泣く泣く我慢した。
おっつけ届いたせいろ蕎麦も程よい触感とほのかな香りで濃いめのツユに負けない強さで味覚を刺激する。

向かいの席では家族連れが食事を楽しんでいた。一足先に食べ終わったのか、男の子が水路を興味津々で覗き込んでいた。そちらにも鮎が泳いでいるのだろうか。熱心に覗き込むなぁ、と感心していたら、前のめりになりすぎたのか、そのままどぼんと水路に落ちた。
さすがにびっくりして鼻から蕎麦が噴き出すかと思った。
助けなきゃ、と思ったのもつかの間、当の本人が必死な顔で瞬時に這いあがってきた。

慌てて店員さんが大丈夫ですか、とタオルを持ってくる。母親は恐縮しながらタオルを受け取り、彼を叱りながらがしがしと全身を拭いてやっていた。

俯く彼の手には、ぴちぴちと跳ねる一匹の鮎が握られていた。
それを見てまた蕎麦を吹き出しそうになる。水に落ちた際に咄嗟に掴んでしまったのだろうか。
厨房から出てきたらしいお店の大将と思われるおじさんが私の横で同じように吹き出していた。

「ぼうず、凄えな。手づかみで捕まえたのか?」

言いながらおじさんは母親に断ってから男の子を焚火台のそばまで連れていった。

「ここで立ってれば、すぐ乾くからな」

そう告げてから男の子が掴んでいた鮎を手際よくさばいて串をさし、塩をもみ込むと男の子の目の前に刺してやった。

「こいつはサービスだ。自分で捕まえた鮎だから、絶対うまいぞ」

大将の粋な計らいを横目に、私は会計を済ませて店を出る。男の子の目の前でじりじりと焼けていく鮎は、確かにとても美味しそうだった。

***

私の目の前で呆れた顔で彼氏がこちらを見つめていた。

「……で、それが焼き鮎をどうしてもいま頼みたいっていう理由な訳?」

こくこくと私は頷く。

「その時から、蕎麦屋と鮎の塩焼きは私の中で切っても切れない繋がりなの」

彼氏と一緒にたまたま入ったこのお蕎麦屋さんは、都内にも関わらず、なぜか焼き鮎がメニューにあったのだ。なんでわざわざ頼むの、と問いかけた彼に私は先ほどのエピソードを滔々と披露してあげた。

「まあ、分かったよ。頼んだらいいんじゃない」

諦めの表情を浮かべて彼が言う。
私は威勢よく手を挙げて店員さんに呼びかけた。

「すいませーん、焼き鮎ひとつくださーい!」

……ま、さっきのエピソードは全部作り話なんだけどね。
ただの鮎好きの私は、ちろりと舌を出しながら心の中で呟いた。

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