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私の座敷童

座敷童が家にいることに気がついたのは、小学校に上がった年のことだった。

最初はただの気配だった。
部屋で一人、本を読んでいたりすると、なんとなく窓の方からこちらを見つめる視線を感じる。
ふと本から顔を上げてそちらを見ても誰もいない。
ただ、窓を閉め切っているはずなのに、レースのカーテンがふわりと揺れて、そこにいる存在を仄めかしていた。

その存在は徐々に大胆になっていき、廊下を走るぱたぱたという足音や、いつの間にか少し減っているお菓子、一本足りなくなっている色鉛筆や、開かれているページが違っている教科書など、生活のそこかしこに何者かの痕跡が残されていた。

不思議と、恐怖は感じなかった。
だからその存在を両親に伝えることもせず、「あ、また来ているな」という感想だけを心のうちにとどめていた。
おそらく当時の私が親にその存在を伝えたところで、子供の作り出す幻想、イマジナリーフレンドの類いと受け止められるのがオチだっただろう。

私自身も成長するにつれて気にすることもなくなり、いつの間にか気配を感じることも少なくなっていた。

次に『彼』の存在を気にかけるようになったのは思春期になってからだった。(便宜上『彼』とする。私の中ではその存在は小さな男の子の姿をしている。ただし姿そのものを見たことはいまだにない)

当たり前のように大人への階段を上る過程で訳もなく親のやることや指図が気に入らなくなり、私は自室に籠ることが多くなった。
ヘッドホンを被り、外界の雑音を遮断するようにして音楽へ没頭していた。
音楽に浸っているときには心を苛む嫌なことも、いっとき忘れられた。
同時に深夜のラジオにも没頭していた。きっかけは好きなアーティストがゲストで登場することを知ってとある番組にチューニングを合わせたのだったが、パーソナリティの語り口がとても気に入って、それ以降も毎週欠かさず聞くようになった。
そうするとだんだんとその前後の番組も何となく聞くようになって、気がつけばすっかりラジオの世界にハマっていた。

ある時リスナーの投稿募集のお題が『私の不思議体験』だったことがある。
ほとんど聞く専門で投稿はしたことがなかったのだが、そのキーワードを聞いた瞬間に私の脳裏に浮かんだのが、幼いころに家にいた『彼』のことだった。

そういえば、そんなこともあったな。と思った瞬間、まるで『思い出してくれた?』とでもいうように部屋のカーテンがふわりと揺れて、私は『彼』が「まだここに居る」ということに気がついたのだった。

それからは時々『彼』も自分の存在をアピールするかのように本棚の本の順番を入れ替えていたり、ぬいぐるみの置き位置が変わっていたりとたわいもない悪戯をときおり仕掛けていた。

しかし高校受験のころになると再び彼の悪戯はなりを潜めた。私にも余裕がなくなって気にかけることが少なくなってしまったからかもしれない。

高校生活を存分に満喫し、大学受験もどうにか乗り切ると、ついに私は一人暮らしのために住み慣れたこの家を出ることになった。
引っ越し当日に荷物をまとめ、少し空きの出来た自分の部屋を眺めているときに、ふと『彼』のことを思い出した。
私がこの部屋からいなくなったら、『彼』はいったいどうするのだろうか。

しかしそれは杞憂に終わった。
引っ越しの当日の夜、引っ越し先の小さなアパートの部屋でホームシックに苛まれていると、いつもの合図、風もないのにカーテンが揺れたのだった。どうやら『彼』は私について家を出てきたらしい。
相変わらず『彼』に対する恐怖はなく、どちらかというと家に縛られていると思っていた『彼』が私の所に来ていたことによる驚きの方が大きかった。
なんとなく安心した私はそれ以上ホームシックに罹ることなく、大学生活をつつがなく過ごしたのだった。


大学を出て、社会人になり、日々の仕事に追われていると、また私は『彼』のことを意識から追い出してしまっていた。
次に『彼』に会ったのは、それからすっかり時が経ち、私に一人目の娘が生まれてからのことだった。

娘が言葉で私に自らの意思を伝えられるようになったとき、娘が一人で遊んでいるはずの部屋から娘の笑い声が聞こえてくることを不思議に思って聞いてみると、「お兄ちゃんが遊んでくれるの」と答えが返ってきた。

私はこの時になってようやく子供の頃から私の傍らにいる『彼』の存在を両親に伝えた。
私がそのことを伝えると、突然母親が泣き崩れたのにはさすがに驚いた。
嗚咽が止まらない母親に代わって、父親が私には死産だった兄がいたことを知らされた。

私は驚くというよりも納得していた。恐怖を感じなかった理由も、それで得心がいった。

今でもときおり娘は誰かと遊んでいる。

私はそれに気がつくと、小さく手を合わせて生まれることのできなかった私の座敷童に感謝の祈りを捧げることにしている。

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