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住吉界隈いま・むかし[46]【新名月菖蒲園】

『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。

阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。

これまで45回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。

住吉界隈いま・むかしの第46弾は、新名月菖蒲園(現住之江区御崎1丁目)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.114~115からの転載です。

現住之江区御崎みさき1丁目には1927(昭和2)年頃「新名月」という菖蒲園があったとか。

大阪府営5公園ポータル いこいこ! おおさかの公園『「住吉公園歴史探訪」第1号』より
大阪府営5公園ポータル いこいこ! おおさかの公園『「住吉公園歴史探訪」第1号』より

しかし、国土地理院の地形図を見ると⤴既に1921(大正10)年に菖蒲園が存在していたようです!!

とらむのこべや =浪速軌道隊=「住吉菖蒲園」より
とらむのこべや =浪速軌道隊=「住吉菖蒲園」より

こちらの記事⤴にも、1927(昭和2)年に誕生とありますが🧐これはもっと調べなければ!! 4万坪もあったのですね。絵葉書があるということは当時の観光名所だったのですね。

関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室
消失する花街の風景ー大阪府住吉・住之江区「住吉新地」の事例ー』より

1934(昭和9)年6月になると菖蒲園は、住吉新地の移転命令により消滅。さらに1958(昭和33年)年の売春禁止法の成立とともに住吉新地も消滅しました。昭和30年代(1955~64年)の終わりには、元花街の気配がほとんど残らない、ごく普通の住宅地へと変貌しました。

1980-07

1980(昭和55)年の写真を見ても、住吉新地の面影はなく、住宅地となっています。

2022-07-25

今の写真と見比べてみると、向かって右側の「コトブキ商事」等のお店は民家になっています。電柱の位置は変わらずです!!

2022-07-25

その一方で、42年前の写真の左側にある「むらさきや」という酒店は、建て替えしたようですが現在も営業していました。


#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #菖蒲園 #タイムスリップ

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