住吉界隈いま・むかし[46]【新名月菖蒲園】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで45回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
⑭ 墨江村大字千躰 (墨江1~3丁目・千躰1・2丁目))
⑮ おいとしぼし大神 (墨江2丁目8番)
⑯ 正印殿 (墨江2丁目7番20号)
⑰ 後村上天皇行宮正印殿趾 (墨江2丁目8番)
⑱ 墨江村大字南浜口 (墨江3丁目9番・17番付近)
⑲ 昭和初期に出来た濱口市場 (墨江3丁目21番付近)
⑳ 大正時代の墨江村の風景の一部 カキ氷屋 (墨江3丁目16番)
[21] 端午の節句 (墨江3丁目15番)
[22] 墨江村大字浜口 (墨江3丁目12~15番)
[23] 墨江村大字浜口(長居公園通)
[24] 墨江村大字浜口(墨江1丁目10番)
[25] 墨江村大字浜口(墨江1丁目8番)
[26] 墨江村大字浜口(端午の日の子供)(墨江1丁目10番)
[27] 墨江村大字浜口(鮒取り)(墨江1丁目10番8号)
[28] 住吉名物難波屋の笠松(現住之江区安立1丁目1番20号付近)】
[29] 霰松原(現住之江区安立2丁目11番付近)
[30] 墨江村大字島(現住之江駅前通り東側:住之江区住之江2丁目)
[31] ほし店(現住吉税務署裏一面)
[32] 圓山(現社南町会)
[33] 明治・大正・昭和初期の船着き場(細江川)
[34] 浅澤神社(上住吉2丁目11番21号)
[35] 浅澤小野(上住吉2丁目11番)
[36] 住吉神社東南細江川周辺(上住吉2丁目~墨江1丁目)
[37] 郷社生根神社(奥天神)(住吉2丁目3番15号)
[38] 明治時代の住吉警察署(東粉浜3丁目28番3号)
[39] 墨江村大字長峡(一)
[40] 墨江村大字長峡(二)
[41] 墨江村大字浜口芸妓指定地
[42] 大正期の高燈籠
[43] 明治36年の高燈籠
[44] 住吉川の北岸
[45] 出見浜
住吉界隈いま・むかしの第46弾は、新名月菖蒲園(現住之江区御崎1丁目)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.114~115からの転載です。
現住之江区御崎1丁目には1927(昭和2)年頃「新名月」という菖蒲園があったとか。
しかし、国土地理院の地形図を見ると⤴既に1921(大正10)年に菖蒲園が存在していたようです!!
こちらの記事⤴にも、1927(昭和2)年に誕生とありますが🧐これはもっと調べなければ!! 4万坪もあったのですね。絵葉書があるということは当時の観光名所だったのですね。
1934(昭和9)年6月になると菖蒲園は、住吉新地の移転命令により消滅。さらに1958(昭和33年)年の売春禁止法の成立とともに住吉新地も消滅しました。昭和30年代(1955~64年)の終わりには、元花街の気配がほとんど残らない、ごく普通の住宅地へと変貌しました。
1980(昭和55)年の写真を見ても、住吉新地の面影はなく、住宅地となっています。
今の写真と見比べてみると、向かって右側の「コトブキ商事」等のお店は民家になっています。電柱の位置は変わらずです!!
その一方で、42年前の写真の左側にある「むらさきや」という酒店は、建て替えしたようですが現在も営業していました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?