見出し画像

住吉界隈いま・むかし④【墨江村大字上住吉】

『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。

★住吉地図★

住吉界隈いま・むかしの第4弾は、【墨江村大字上住吉】(上住吉1丁目付近)です。『住吉いま・むかし』P.68・69からの転載です。

上住吉①_0000

上住吉②

上住吉③_0000

住吉っさんより東は高地帯なので上住吉とか🖊上町台地に位置するからか地盤も堅固です。この辺りは、阪神・淡路大震災の時には大きく揺れたもの被害は全くない状態でした。

昭和55(1980)年の写真右側に、1970年代に廃業した八百屋の名残があるのですが

上住吉④

廃業しても長い事そのままだったけど

上住吉⑤

この一角は全て立ち退きとなり民家やアパートは壊され更地になり

上住吉⑥

現在新築一戸建てに生まれ変わっています!!今も立て替えてる民家が割とあります。

この通りには、八百屋さんの左(東)側には大衆食堂が、右側には「駄菓子屋」などありました。懐かしい~よく伯母が来たときは大衆食堂の「焼きそば」をよく出前してもらっていました。特に焼きそばが本当に美味しすぎて😋

くすり指

駄菓子屋さんにサイダーの瓶を返しに行く時、当時3歳の私は躓いてこけ、薬指を割れた瓶で切ったらしくその跡が今でも残っています。全然覚えて無いですが(笑) あと余談ですが、左手はふつうの手相なんですが、右手は変わってるでしょ?漢字の「行」に見えますよね?高校の時日本史の先生に何故か手相を見てもらったことがあり、「どんな困難にも乗り切って行ける手相」って言われました。でも困難なことは生じないで欲しいです!!!

地名看板

この辺りの町名表記も変化しています!今でも昔の町名看板が残っています!! 

上住吉⑦

今でも井戸水を使ってるとこがあります😯井戸水って夏は冷たく、冬は温かいんですよね!! その理由はこちらを▶『学研キッズネット

上住吉⑧

南海高野線「住吉東2号踏切」には南海の人が常駐した時もありました。今では線路の切り替えも自動化されましたが、当時は手動でしてたように思います。

ということで、次回はここから東へ下っていった所にあったという【大正末期の蹄鐵工場】を紹介します。

#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #墨江村 #上住吉 #町名看板 #井戸 #タイムスリップ

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?