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住吉界隈いま・むかし[39]【墨江村大字長峡(一)】

『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。

阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。

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これまで38回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。

住吉界隈いま・むかしの第39弾は、墨江すみえ大字おおあざ長峡ながお(一)(現長峡町2丁目・住吉大社前)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.52~53からの転載です。

元は住吉大社(住吉神社)の境内でしたが、1871(明治4)年5月24日(水)の太政官達だじょうかんたっし有祖地ゆうそちに組み替えられ翌年5月に安立あんりゅう新田と改称。さらに1882(明治15)年5月6日(土)に長峡町と再改称され現在に至ります。

関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室
消失する花街の風景ー大阪府住吉・住之江区「住吉新地」の事例ー』より

この辺りは、明治時代大正時代は"住吉新地"(花街)として、住吉で最高に賑わっていたようです。

1885(明治18)年に阪堺鉄道(現南海電鉄)の開通に伴い住吉公園駅が設置されると、住吉っさん(住吉大社)からのメイン参道となり、東北角には「伊賀治」の料亭や、店頭で鰻を焼くお店等々があったようです。

2022-06-07

昔と今の写真を見比べてみると、46年前には阪堺電車「住吉鳥居前」の駅舎があるように見えます。今度伯母が来たら確認してみます。その4年後にはコーヒーハウスになっています。

そして、現在は1階が薬局で、2階が占サロンとなっています。信号機も42年前の写真では縦型ですが、現在は横型になっています。


これらお店の並びを西へ少し行くと、6年前まで阪堺電車の「住吉公園駅」がありました。

日本一終電が早い駅としても有名でした⤴

2016-07-14
2022-06-08
2022-06-08

電車は来なくなりましたが、今でも駅舎は残り、宝くじ店も営業しています。

#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #長峡町 #タイムスリップ

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