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住吉界隈いま・むかし⑨【止止呂支比売命神社】

『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。

★住吉地図★

住吉界隈いま・むかしの第9弾は、【止々呂支比売命とどろきひめみこと神社(若松神社)】(沢ノ町1丁目10番4号)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.28・29からの転載です。

若松①b

やまたのおろち②

止止呂支比売命神社は、神話に出てくる素盞鳴尊すさのおのみことと后の稲田姫いなだひめ(櫛名田比売くしなだひめ/奇稲田姫くしいなだひめ)を祀る式内社です。創建は不詳ですが、延喜式(850年)の神社神名帳に当神社名が載っています。難読神社ですね!!

社名の"止止呂支とどろき"ですが、江戸時代頃まで境内に「とどろき池」と呼ばれる池が掛かっていた橋の名前から由来していると考えられています。又、稲田姫を「止止呂支比売とどろきひめと呼んだことから由来する説や、境内に流れていた小川がせせらぐ音、『とどろく』から転訛したことが由来とする説もあるそうです。

素盞鳴尊は出雲の祖神で、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した人物でもありますが、私は絵本で読んだ記憶があります。皆さんはどうですか?

若松⑤a

境内に「後鳥羽天皇行宮址」の碑がありますが、これは後鳥羽天皇が1220(承久2)年の熊野詣の時、この地に行宮を置き若松御所と称したことから、「若松神社」とも言われるようになったそうです。私も若松神社って呼んでいます。

学校の教科書にも載っている歴史上の人物が我が町にも縁があったって知ると親しみも覚え歴史というものが遠い昔のことではなく、身近な存在となり歴史が好きになると思うのですが、高校まで歴史は嫌いでした(笑)

若松①a

こちらは江戸時代の1794(寛政6)年に出版された『住吉名勝図会』の若松神社です。

若松①c

若松②

約100年前の大正時代(1912~26年)から正面から見る景色は変わっていないように見えますね?

若松③a

元々は住吉大社の摂社(奥の院)であったそうで、その名残か本殿は「住吉造」となっています。

若松③b

又、稲荷社の鳥居も「住吉鳥居」と同じ形式です。

住吉造と住吉鳥居の詳細はこちらをご覧下さい▶「住吉大社-建築様式

若松⑤b

境内には黒長大神の「黒長社」も鎮座し、祠の前には蛇の石像が祀られています。尚、黒長大神と呼ばれる蛇は御神木に現れるそうです。

次回は【墨江村大字澤の口】を紹介します。


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