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住吉界隈いま・むかし⑯【正印殿】

『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。

阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。

これまで14回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。

住吉界隈いま・むかしの第16弾は、正印殿しょういんでん(現墨江2丁目7番20号)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.38・39からの転載です。

南北朝時代後村上ごむらかみ天皇はたびたび住吉っさん(住吉大社)行幸ぎょうこうし、1352(正平しょうへい7・観応かんのう3)年には吉野からここに移り、住吉大社神主津守氏の邸内にあった正印殿(神社の神印や御正印を納める建物)を|行宮《あんぐう》(仮の宮)にしました。

その後ここは南朝の勢力挽回の中心地となり、後村上天皇が1368(正平23・応安おうあん元)年ここで崩御ほうぎょして長慶ちょうけい天皇が即位、吉野に移るまでの約9年間行宮でした。

後村上天皇の時に2度、長慶天皇の時に1度行宮とされましたが、行宮跡伝承地は「住吉行宮跡」として、1939(昭和14)年3月7日に国の史跡に指定されました。41年前の写真と見比べても同じですね。

1868(明治元)年に明治天皇が住吉っさんに行幸した際には、天皇は正印殿にも立ち寄りました。

今年2月27日に「江戸時代の観光案内で見る摂津の国・住吉」のまち歩きで住吉行宮跡の近くを通ると、住吉名勝保存会の立派な案内板を設置しているところでした。

我が町・住吉は、後村上天皇と長慶天皇のゆかりの地でもあったとは。。。教科書にも出てくる歴史上の人物が何だか親しみも感じてきます。


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