住吉界隈いま・むかし[37]【郷社生根神社(奥天神)】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで36回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
⑭ 墨江村大字千躰 (墨江1~3丁目・千躰1・2丁目))
⑮ おいとしぼし大神 (墨江2丁目8番)
⑯ 正印殿 (墨江2丁目7番20号)
⑰ 後村上天皇行宮正印殿趾 (墨江2丁目8番)
⑱ 墨江村大字南浜口 (墨江3丁目9番・17番付近)
⑲ 昭和初期に出来た濱口市場 (墨江3丁目21番付近)
⑳ 大正時代の墨江村の風景の一部 カキ氷屋 (墨江3丁目16番)
[21] 端午の節句 (墨江3丁目15番)
[22] 墨江村大字浜口 (墨江3丁目12~15番)
[23] 墨江村大字浜口(長居公園通)
[24] 墨江村大字浜口(墨江1丁目10番)
[25] 墨江村大字浜口(墨江1丁目8番)
[26] 墨江村大字浜口(端午の日の子供)(墨江1丁目10番)
[27] 墨江村大字浜口(鮒取り)(墨江1丁目10番8号)
[28] 住吉名物難波屋の笠松(現住之江区安立1丁目1番20号付近)】
[29] 霰松原(現住之江区安立2丁目11番付近)
[30] 墨江村大字島(現住之江駅前通り東側:住之江区住之江2丁目)
[31] ほし店(現住吉税務署裏一面)
[32] 圓山(現社南町会)
[33] 明治・大正・昭和初期の船着き場(細江川)
[34] 浅澤神社(上住吉2丁目11番21号)
[35] 浅澤小野(上住吉2丁目11番)
[36] 住吉神社東南細江川周辺(上住吉2丁目~墨江1丁目)
住吉界隈いま・むかしの第37弾は、郷社生根神社(奥天神)(住吉2丁目3番15号)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.30~31からの転載です。
著者が江戸時代の1794(寛政6)年発刊の「住吉名勝図会」を模写し色付けしたものです。
生根神社(奥の天神)は|少彦名命《すくなひこなのみこと》(酒造の神)を祀り、住吉っさん(住吉大社)の北側へ約200mの所に鎮座しています。創立時期は不明ですが、927年の「延喜式神名帳」に|官幣《かんぺい》大社としての記録が残り、古来有名大社であったそうです。
元々は住吉郷の郷社でしたが、江戸時代に神宮寺と共に住吉っさんの管理となり、 1872(明治5)年に再び郷社に戻り、現在は大阪市住吉区と住之江区に連なる地域の氏神様として多くの氏子崇敬者から信仰されています。
拝殿を撮ったものですが、昔と今の写真を見比べると、1936(昭和11)年に旧殿を廃して新たに造営したということで大正時代とは変化が見られます。しかし、42年前とは変わっていません。
大正時代(1912~1926年)に拝殿前にあった石燈籠は、ひょっとして、南側の入口の左手(西側)にあるこれらの石燈籠でしょうか?
総木曽桧材にて桃山時代の建築様式を取り入れたという拝殿は、重厚で豪華です。銅板葺きの青緑色の屋根は、翼のような反りもカッコイイです。
拝殿前の狛犬も銅製で、迫力があります。
境内の見所を右回りに巡ります~
拝殿の右手(東側)には御神木「もちの木」が立っていました。樹齢500年以上で、大阪市の保存樹木に指定されています。
本殿東側にある「神明穴立石」の穴の位置は東西を向いて伊勢神宮を遥拝するように建てられています。少彦名命ゆかりの海浜の石を運んで「何首鳥」(漢方薬、強精剤の名前)と刻んで崇めたものです。和歌浦(和歌山市)より一夜で住吉浜までやってきたという伝説もあります。
本殿は、豊臣政権の末期・1600~1602(慶長5~7)年に、豊臣秀吉の側室・淀君の命令で寄進されました。完全なる桃山時代の建築様式を残し、切妻千鳥破風木造|桧皮葺《ひわだぶき》|極彩色《ごくさいしき》の建造で、大阪府指定の有形文化財(建造物)に指定されました。塀が高くて屋根しか見えないのが残念です😢
本殿前に立つ樹木の周りの、干支の瓦も何かいい感じです~
境内の北西角には"奥の天神"と称される由縁となる「天満宮」(摂社)が鎮座しています。現在の建物は江戸時代後期(1750年頃~1850年頃)のもので、|一間社《いっけんしゃ》流造です。
御祭神は菅原大神で、 殿内には室町時代の1482(文明14)年に制作された菅原道真公の|坐像《ざぞう》(大阪市指定有形文化財)が安置されています。
拝殿の右手(西側)には「紅梅殿」があります(上の「住吉名所図会」参照)。この建物は、住吉神宮寺にあった回廊の一部を移したものです。 当初は絵馬所として使われましたが、昭和初期(1926~1941年)頃に改装され、現在は集会所として利用されてい ます。
紅梅殿の左手(南側)に「絵馬掛所」がありましたが、白い絵馬もありました😲厄払いの絵馬でした。よく見ると、この厄除け絵馬の「厄」という字はくり貫かれていました!!「厄を取り除く」という意味があるようです!!
境内南西側に「手水舎」があり、その左(南)隣には「百度石」がありました。後方には、
子供神輿がありました。
生根神社の南側の入口です。両側に注連柱が建っているものの鳥居はありません。『摂津名所図会』には境内入口に鳥居と神門が描かれてますので(武庫川女子大学リポジトリ「摂津名所図会(一 : 住吉郡)」の30枚目の画像参照)、何らかの理由で破却されたのでしょうか?
因に、西側の入口には鳥居が建っています。
祭礼や行事も色々とあります。
節分の際には厄除けぜんざいをいただいたり😋初夏には茅の輪を潜りに行ったり、
『すみ博』のイベント会場になったりと、地域に根付いた生根さんです!!
#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #生根神社 #タイムスリップ
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