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住吉界隈いま・むかし[43]【明治36年の高燈籠】

『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。

阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。

これまで42回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。

住吉界隈いま・むかしの第43弾は、明治36(1903)年の高燈籠(現住之江区浜口西1-6-12)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.116~117からの転載です。

伝承では、鎌倉後期に漁民が神前にささげた灯明とうみょうに始まったといい、巷間では〝我が国最初の灯台〟と評されてきました。

本来は住吉っさん(住吉大社)に捧げる高さ約16mの常夜燈でしたが、次第に航路標識としての役割が大きくなってきたそうです。

明治時代には、西横にあった十三間川の堤には蛤茶屋等があり潮干狩で賑わっていたそうてですが今の景色からは全く想像がつきません。

1912~26年
2022-07-04

大正時代の写真と現在の写真を見比べても高燈籠が建っていた雰囲気も全くありません。写真の奥上に見えるのは阪神高速堺線ですが、この下にかって十三間川がありましたが、1970(昭和45)年にこの高速道路の建設に伴い埋め立てられました。

2022-07-04

住吉高燈籠は元々、現在の復元移築(高さ約21m)された場所から西へ約200mの場所(住之江区浜口西1-6付近)に建っていました。現在石碑が住宅地の中にこっそりと建っています。

2022-07-04

住吉高灯籠跡碑のすぐ西側に「従是北四十五間」の石碑が建っていました。

2022-07-04

側面には「剣先船濱口村 立葭場請所」・「天保三年辰十一月」と刻まれていました。

剣先船は江戸時代の大阪の川船のひとつですが、この地に於いても荷物運搬船が活躍していたようです。

2022-07-04

ホンとここに川が流れ、その先は海だったとは到底信じられません。今では、西へさらに約5km行かないと大阪湾は見えません。

とらむのこべや =浪速軌道隊=「摂津住吉高燈籠」より

今から100年以上前の、明治時代末期から大正時代初期にはこんなのどかな風景だったみたいです⤴

Wikipedia「ファイル:住吉社細見絵図 (明和8年刊).JPG」より

住吉高燈籠の絵図としては江戸時代、1771(明和8)年の『住吉社細見絵図』が初見らしいです。

Wikipedia「住吉高とうろう (浪花百景)

江戸末期・安政年間(1854~1860)の大阪の百の景色を描いた名所絵『浪花百景』にも描かれ、浜で遊ぶ人たちの姿も。

おおさかeコレクション「住吉高灯籠」より

上方風景画の代表的画家と呼ばれる長谷川貞信(初代)が江戸時代幕末から明治時代初年頃に描いた錦絵『浪花百景之内』にも描かれ、住吉っさん詣での人たちの姿も。

「住吉公園歴史探訪」第11号⤴住吉の高燈籠の移り変わりが詳細に記されていますので、是非ご一読を。

「住吉高燈籠」パンフレットより

住吉高燈籠を模したものが住吉区に3ヶ所、住之江区に2ヶ所あります。住吉っさんの時計台や浅沢神社の高燈籠が住吉高燈籠だったとは知らず驚きました。

#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #住吉高燈籠 #タイムスリップ

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