Ken

出身は博多。大学を出てから民間企業3つ、公的機関4つ、大学院2つを渡り歩く。起業の才能…

Ken

出身は博多。大学を出てから民間企業3つ、公的機関4つ、大学院2つを渡り歩く。起業の才能はなさそう。ただいま、自分史上5か国目の海外生活で奮闘中。Instagram: Ken_Mizuuchi twitter: mizuuchi

記事一覧

年食ってなお、一人旅。

最後に一人旅に出たのはいつだったろうか。 独り身で海外赴任したり、そこからまた別の国に出張したりを繰り返しているので、ずっと一人旅してるみたいなもんじゃないかと…

Ken
5日前
3

「スローシャッター」への共感と嫉妬。

学生の頃からバックパッカーもどきの旅行を繰り返し、社会人になってもその癖は止まず、いつしか海外出張や赴任を繰り返す生活になりました。自分で旅をして自分で未知の土…

Ken
1か月前
16

海外赴任:2つの暮らしを切り替える。

海外赴任をしてしばらく経ちます。 割とハードシップの高い国でのややこしい仕事なので、概ね1年に1回くらいは長めの休暇をいただいて日本に帰国します。でないと持たな…

Ken
1か月前
2

話しても話さなくても。

元々饒舌な方ではないのだけど、さらに口数が減った実感がある。居酒屋やバーで気の置けない友達と他愛のないことをしゃべるとかいう機会がほとんどない日々が続いて、雑談…

Ken
4か月前
3

また1年が経ちました。

SNSのおかげで、今年も世界中に散らばった友人知人からお誕生日のお祝いメッセージをいただけました。ありがとうございました。 また1年が経ちました。 2023年、個人的に…

Ken
5か月前
2

離島を散策。 〜レンゲル島〜

週末、ポンペイ本島からボートで15分ほどの離島、レンゲル(Lenger)島を散策してきました。 第二次世界大戦が終わるまで、旧日本軍が整備していた拠点のひとつです。日本…

Ken
9か月前

Joeのはなし。

南の小さな島にも髪を切る店は何軒かあって。 どの店も当然、日本の美容室のようなセンスやテクニックは期待できないし、期待もしてないんだけど、とはいえ周りから「あそ…

Ken
11か月前
5

人口の少ない島で暮らす。

結構な数の開発途上国にそれなりの期間滞在してみて、さらには住んでみて、それぞれの国の生活のハードシップ、困難さについて考えることがあります。 そりゃね、アフリカ…

Ken
1年前
4

海外暮らしと日本の暮らし

24歳まで九州の地元から引っ越したことがなかったけど、就職して上京したら日本人に馴染みの薄いマイナーな国への出張を繰り返すようになり、30歳を過ぎた頃に最初の海外赴…

Ken
1年前
7

お誕生日おめでとう、自分。

みなさま、お誕生日のメッセージありがとうございました。 年末の仕事納めの日が誕生日で、毎年否が応でも一年を振り返る日になってしまいます。 2022年、疫病に戦争に暗…

Ken
1年前
1

一時帰国の件。

しばらく日本で働いていたので「一時帰国」の感覚から遠ざかっていましたが、久しぶりに「一時帰国」。4か国目の海外暮らしがちょうど1年になりました。 およそ1か月の…

Ken
1年前
1

(追悼)Nのこと。

「困ったな。」 咄嗟のことに何も言えなくて、ようやく出てきた言葉がそれだった。 ビデオ通話で話したい、そう言われて何事かなと思ったら、 「Nが亡くなりました。」 …

Ken
2年前
8

新型コロナの渦中に、南の島に行く。

南太平洋の島ですよ。そう言われたのは2020年のたしか2月頃でした。そして本決まりになったのが4月。 アフリカから帰国してから既に7年が経過し、そろそろまた海外で仕事…

Ken
2年前
7

母が嫌いなポン菓子。

 母はポン菓子が嫌いだという。貧しい家で両親共働き、2人の弟がいて家事は小学生の時から自分の役目。そんな幼き日の母が、学校から帰ってちゃぶ台の上に置かれたわずか…

Ken
3年前
2

冒険する人、慎重な人。

リスクの認識には本能的に個人差があって、それは動物としてのヒトの生き残りに意味があったのだと思う。神経質で怖がりなタイプは生活の維持や子育てに有利だったはずだし…

Ken
3年前

2011年3月11日、僕は在留邦人でした。

あの日僕は南アからロンドンに移動していて、ヨハネスバークの空港のテレビで津波のニュースを見た見ず知らずの人たちから「お前は日本人か?大丈夫か?」とたくさん声をか…

Ken
3年前
8
年食ってなお、一人旅。

年食ってなお、一人旅。

最後に一人旅に出たのはいつだったろうか。

独り身で海外赴任したり、そこからまた別の国に出張したりを繰り返しているので、ずっと一人旅してるみたいなもんじゃないかと言われればそうなんですけど、でもまあ仕事から離れて飛行機と宿を私費で予約して出かけるのはまた別の話だ。

用務ではなく、
友達や家族と一緒ではなく一人で、
宿泊を伴い、
帰国や帰省でもない旅。

遡ってみると、2018年7月が最後でした。

もっとみる
「スローシャッター」への共感と嫉妬。

「スローシャッター」への共感と嫉妬。

学生の頃からバックパッカーもどきの旅行を繰り返し、社会人になってもその癖は止まず、いつしか海外出張や赴任を繰り返す生活になりました。自分で旅をして自分で未知の土地を歩いてきたので、あえて他人の旅日記を読む気にはならず、旅行記や紀行文を読むことはあまりありませんでした。

思えば僕は、業種は違えど、この本の著者の方と同じようなことをやっています。もちろん同じ経験をしたわけでもないし、訪れた町も違うけ

もっとみる
海外赴任:2つの暮らしを切り替える。

海外赴任:2つの暮らしを切り替える。

海外赴任をしてしばらく経ちます。
割とハードシップの高い国でのややこしい仕事なので、概ね1年に1回くらいは長めの休暇をいただいて日本に帰国します。でないと持たない。精神的にも肉体的にも。

そんな一時帰国は、1年分の「私生活」を1か月に詰め込むような過ごし方なります。家族親戚友人知人、お世話になった人やお世話したい人と会い、好きなお店や気になっていたお店に行き、海外で手に入らないものを買い集めるの

もっとみる
話しても話さなくても。

話しても話さなくても。

元々饒舌な方ではないのだけど、さらに口数が減った実感がある。居酒屋やバーで気の置けない友達と他愛のないことをしゃべるとかいう機会がほとんどない日々が続いて、雑談の感覚が鈍っているというのは、ある。

それもあるのだけど、年を重ねて経験を踏んでたくさんのことを見聞きしたせいか、その場の話されていることについていろんな考えが巡ってしまって、一言まとめられなくて、考えている間に次の話題に流れていってしま

もっとみる
また1年が経ちました。

また1年が経ちました。

SNSのおかげで、今年も世界中に散らばった友人知人からお誕生日のお祝いメッセージをいただけました。ありがとうございました。

また1年が経ちました。
2023年、個人的には慌ただしい1年でした。

春、体調崩して夜中に気を失って倒れ、歯を折るやら打撲やら縫合を要する裂傷やら。その数日後に久しぶりの日本で、治療の傍ら、東京、福岡、高知。日本から戻ったらまた片道4便を乗り継いでジュネーブ出張。夏には反

もっとみる
離島を散策。 〜レンゲル島〜

離島を散策。 〜レンゲル島〜

週末、ポンペイ本島からボートで15分ほどの離島、レンゲル(Lenger)島を散策してきました。

第二次世界大戦が終わるまで、旧日本軍が整備していた拠点のひとつです。日本から3000km以上離れた太平洋の島々で、戦前の日本は数々の軍事・経済の活動を展開していました。

レンゲル島は地元一族の私有地。1990年代末から2000年代初頭までは簡単な観光施設もあったようですが、今やそれも朽ちていました。

もっとみる
Joeのはなし。

Joeのはなし。

南の小さな島にも髪を切る店は何軒かあって。

どの店も当然、日本の美容室のようなセンスやテクニックは期待できないし、期待もしてないんだけど、とはいえ周りから「あそこはマシだよ」と言われた店で散髪してます。

茶色の長髪で、おばさんのようなおじさんのJoeがやっている店。ハサミは滅多に使わず、バリカンだけで器用にカットしてくれます。

いつも割と混んでる店だけど、ある土曜日の朝、早めに行ったら僕がそ

もっとみる
人口の少ない島で暮らす。

人口の少ない島で暮らす。

結構な数の開発途上国にそれなりの期間滞在してみて、さらには住んでみて、それぞれの国の生活のハードシップ、困難さについて考えることがあります。

そりゃね、アフリカは大変だった。インドも大変だった。東南アジアの某国も、街から離れたところは大変だった。

それで今、太平洋の島に長居しているんですけど、で、ここは一人当たりGDPとかそういう指標で見ると割と開発水準の高い国ということになっているんですけど

もっとみる
海外暮らしと日本の暮らし

海外暮らしと日本の暮らし

24歳まで九州の地元から引っ越したことがなかったけど、就職して上京したら日本人に馴染みの薄いマイナーな国への出張を繰り返すようになり、30歳を過ぎた頃に最初の海外赴任。中東。

赴任を終えて帰国するも転職を繰り返し、やがてアフリカ赴任の話をもらってそこで5年。

いい加減、転職は難しい年齢になってしまったけど、今は訳あって南洋の島暮らし。

とはいえ、年に1回くらいは帰国し、東京と地元九州でしばら

もっとみる
お誕生日おめでとう、自分。

お誕生日おめでとう、自分。

みなさま、お誕生日のメッセージありがとうございました。

年末の仕事納めの日が誕生日で、毎年否が応でも一年を振り返る日になってしまいます。

2022年、疫病に戦争に暗殺と、ほんの数年前だったら「まさか」と失笑するに違いない出来事が続いて、当たり前と思っていたことは当たり前ではなかったのだと認識する年でした。

仕事の上でも世の中の情勢の影響を受けた動きがあったりして、「大丈夫なんか?」と不安が先

もっとみる
一時帰国の件。

一時帰国の件。

しばらく日本で働いていたので「一時帰国」の感覚から遠ざかっていましたが、久しぶりに「一時帰国」。4か国目の海外暮らしがちょうど1年になりました。

およそ1か月の予定で、実家のある福岡と、東京と。

胃と大腸の内視鏡検査を含む人間ドック。胸部レントゲンの怪しい写り込みは、その日のうちにCT撮影してもらえて助かりました。

歯の治療。通常なら7回くらい通院する治療内容を3回で。小林先生、いつもありが

もっとみる
(追悼)Nのこと。

(追悼)Nのこと。

「困ったな。」

咄嗟のことに何も言えなくて、ようやく出てきた言葉がそれだった。

ビデオ通話で話したい、そう言われて何事かなと思ったら、

「Nが亡くなりました。」

と彼は言う。見ると泣き腫らした目をしてる。

そうか、こういう時は泣くのか。でも、唐突すぎて、何の反応もできない。

「困ったな。」

そう、困るんだ。Nがいなくなると。

僕が、よりによってこの新型コロナの折に海外赴任しようとし

もっとみる
新型コロナの渦中に、南の島に行く。

新型コロナの渦中に、南の島に行く。

南太平洋の島ですよ。そう言われたのは2020年のたしか2月頃でした。そして本決まりになったのが4月。

アフリカから帰国してから既に7年が経過し、そろそろまた海外で仕事をする話になることは想定済み、母の病状が思わしくないのでできれば近い国がいいなと思っていたので、南洋の島国を持ちかけられた時にもそこまでの驚きはなく。

しかし新型コロナの感染が世界的に広がり始め、前の年の11月や年明け2月に予定し

もっとみる
母が嫌いなポン菓子。

母が嫌いなポン菓子。

 母はポン菓子が嫌いだという。貧しい家で両親共働き、2人の弟がいて家事は小学生の時から自分の役目。そんな幼き日の母が、学校から帰ってちゃぶ台の上に置かれたわずかばかりのお金を持って夕餉の買い物に行くと、街角にポン菓子屋がいる。

 米と砂糖と幾ばくかの小銭を渡すと、「ポン!」とその場で菓子を作ってくれるのだが、母にはそんなことに使える米も砂糖も小銭もなかった。なのに、買い物についてきた下の弟が、「

もっとみる
冒険する人、慎重な人。

冒険する人、慎重な人。

リスクの認識には本能的に個人差があって、それは動物としてのヒトの生き残りに意味があったのだと思う。神経質で怖がりなタイプは生活の維持や子育てに有利だったはずだし、冒険的で怖いもの知らずなタイプは生活圏の拡大や新しい食料の獲得に貢献したはず。だから今でも、冒険的なタイプから慎重なタイプまで、人のリスクの認識には幅があるんだろうね。

しかし動物としてのヒトは大きく進歩して、知能を駆使し自然を分析して

もっとみる
2011年3月11日、僕は在留邦人でした。

2011年3月11日、僕は在留邦人でした。

あの日僕は南アからロンドンに移動していて、ヨハネスバークの空港のテレビで津波のニュースを見た見ず知らずの人たちから「お前は日本人か?大丈夫か?」とたくさん声をかけられた。

ロンドンのホテルで受付のお兄さんが、普段は有料のインターネット接続を無料にしてくれて「これで日本のニュースを見れるよ」と。

ロンドンの事務所での用務を済ませて、あとはホテルの部屋でネットばかり見てた。「がんばれ、日本。がんば

もっとみる