見出し画像

(追悼)Nのこと。

「困ったな。」

咄嗟のことに何も言えなくて、ようやく出てきた言葉がそれだった。

ビデオ通話で話したい、そう言われて何事かなと思ったら、

「Nが亡くなりました。」

と彼は言う。見ると泣き腫らした目をしてる。

そうか、こういう時は泣くのか。でも、唐突すぎて、何の反応もできない。

「困ったな。」

そう、困るんだ。Nがいなくなると。

僕が、よりによってこの新型コロナの折に海外赴任しようとしてあちこちで足止め食らって、赴任したらしたで今度はそこから出れなくなって、そんなこんなでしばらくNには会えていなかった。もしかして1年近く会ってないのか。

でも、Nを拠り所にしてたんだ、実は。

「これは今度会う時に。」

「これ、聞いてみよう。」

「これ自慢してやろ。」

いつもNの存在があったのに。やいのやいの言いながら、結局頼ってたのに。

*   *   *

Nとは大人になってから親しくなった。近くにいるから、級友だからと親しくなる子供の友達ではない。大人になって、ちゃんと自分が自分として独り立ちしてから親しくなった。そういう貴重な友人だった。

僕とはタイプの違う人種だったけど、逆にそれが良かったのかもしれない。ベタベタするわけでもない、大人の友達の距離感が良かったのか。

そして、僕はNとたくさん旅をした。

石垣島、波照間島、八丈島、ジンバブエ、アゾレス諸島、谷川岳、ラダック。。。

新型コロナのせいで出入国制限が厳しくなってしばらく旅には出られてなかったけど、今僕がいる国の国境規制が緩和されたら、真っ先に来るのはNのはずだった。その時はNのパートナーも一緒の予定だったよな。

Nは、昔、僕と知り合うよりも前、この国に来ようとしたけど都合が合わなくて目的地を変更したことがあったという。でも、旅先の情報収集はしていて、その時入手したというこの国の立派な地図を、僕の赴任に際して餞別がわりに持たせてくれた。

画像2

なんだよ。遺品じゃないんだからさ。

最後に一緒に旅行したのはラダックってことになってしまうわけ?

Nが病院に入ったというその日も、僕のLINEメッセージには普段と変わりない返事をしてたじゃないか。

渋谷で、新宿で、数えきれないほど、毎週のように飲んだじゃないか。そうそう、桜の季節には、今はもうないあの渋谷のバーによく行ったよな。窓から満開の桜がよく見えた。

*   *   *

Nは中島みゆきのファンで、地平線しか見えないようなアフリカの平原の一本道を2人でドライブした時も、Nはカーオーディオで中島みゆきを流した。なかなかシュールな時間だったよ。

そうか、中島みゆきか。Apple Musicで探して運転しながらかけてみると、訳がわからない涙が出る。運転できないじゃないか。


困るよ、いなくなられると。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?