じゃがいもさん

「じゃがいも」と申します。 「じゃがいも」は少しだけお寺、仏像、仏教が好きなオッサンで…

じゃがいもさん

「じゃがいも」と申します。 「じゃがいも」は少しだけお寺、仏像、仏教が好きなオッサンです。

記事一覧

「じゃがいも」のお寺話47 平安仏教(最澄)

最澄 766年(767年?):誕生 788年:今の比叡山の根本中堂の場所に一乗止観院を創建した。 797年:内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ) に任命される。天皇に使える10…

「じゃがいも」のお寺話46 平安京

桓武天皇(在位: 781年~806年)は政治に多大な影響を与えてくる平城京の大寺院を嫌い遷都を決めたと言われます。 天皇になって3年、784年に平城京から長岡京に遷都します…

「じゃがいも」のお寺話45 桓武天皇

桓武天皇(737年〜806年)が若い頃は聖武天皇〜孝謙天皇の時代でした。国分寺を作ったり、大仏を作ったりした頃です。 桓武天皇は天皇の血を受け継いではいますが44代〜48…

「じゃがいも」のお寺話44 奈良時代の僧侶(道鏡)

道鏡(700年〜772年) 聖武天皇は幼い男子の子を病気で亡くしました。子供は娘である安倍内親王(孝謙天皇)1人になり史上唯一の女性皇太子になりました。しかし安倍内親王…

「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(良弁)

良弁(ろうべん)(689年〜774年) 東大寺は金鐘寺(こんしゅじ、きんしょうじ)から始まったとされます。728年に聖武天皇の第一子の基皇子が5歳の若さで亡くなりました。…

「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)

鑑真和上以外にも奈良時代に活躍しその後の仏教界に大きな影響を与えた僧侶がいます。 行基(668年〜749年) 奈良時代は朝廷がお寺を管理していて、法要などの仏教行事の…

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「じゃがいも」のお寺話42 鑑真和上(2/2)

日本では宗派により僧侶に対する敬称や呼び名がたくさんあって異なるのでとても難しくてどこかの投稿でまとめたいと思っています。和上という敬称もなかなか聞かないと思い…

「じゃがいも」のお寺話41 鑑真和上(1/2)

平城京などの都の街作りやお寺の伽藍配置などは当時の遣などの資料を参考にしていると言われます。 奈良時代の仏教は国主導ではあったと言われますが国家鎮護だけでなく、…

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「じゃがいも」のお寺話40 大仏(2/2)

743年聖武天皇が「大仏造立の詔」を発して奈良東大寺大仏の製作が開始されました。 仏様に目を入れて魂を迎えていたので、仏様に魂を入れる儀式を開眼法要や開眼供養などと…

「じゃがいも」のお寺話39 大仏(1/2)

東大寺の象徴といえば大仏です。日本人なら東大寺の大仏は知っていると思っています。とっても有名ですが、東大寺の大仏が何というお名前の仏様か即答できる方は意外と少な…

「じゃがいも」のお寺話38 国分寺

鎮護とは「災いを沈めて安泰にすること」と辞書に記載されています。 後の時代にもあるでしょうが、特に奈良時代は仏教をもって国を鎮護する思想が強かったかと考えられま…

「じゃがいも」のお寺話37 飛鳥・奈良時代の年表

飛鳥時代から奈良時代中期までの天皇と起きたイベントを羅列します。 33代 推古天皇(592年~628年 初女帝)  天平時代始まり。聖徳太子摂政  607年 法隆寺 完成  622…

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「じゃがいも」のお寺話36 奈良時代の寺院

奈良時代(710年〜)の仏教は宗教というよりも学問の対象であり、お寺は宗教施設というより学校に近く、宗派というより学派のようであったとされます。 奈良仏教は後に南…

「じゃがいも」のお寺話35 飛鳥、白鳳、天平(2/2)

飛鳥文化は仏教の文化と説明されます。飛鳥時代は推古天皇の即位(593年)以降とされますが飛鳥文化というと仏教伝来から大化改新(645年)までと言われるようです。少し納…

「じゃがいも」のお寺話34 飛鳥、白鳳、天平(1/2)

飛鳥時代、奈良時代という時代の名称は小学校、中学校の頃の歴史で勉強した気がします。その他に飛鳥、白鳳、天平という時代というのか、特定の期間を示しそうな単語も聞い…

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「じゃがいも」のお寺話33 お寺、仏像の建立

◆飛鳥寺 588年〜? 本格的な伽藍を備えた日本最古の寺院。蘇我馬子が開基で蘇我氏の氏寺として開山。当時の寺名は法興寺。元興寺とも呼び、今の奈良市ならまちにある元興…

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「じゃがいも」のお寺話47 平安仏教(最澄)

「じゃがいも」のお寺話47 平安仏教(最澄)

最澄
766年(767年?):誕生

788年:今の比叡山の根本中堂の場所に一乗止観院を創建した。

797年:内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)
に任命される。天皇に使える10人の僧侶が内供奉十禅師。天皇の安泰祈りや看病などを業務とする。

802年:南都六宗の中での論争に対して新しい秩序作りのために唐の天台山へ僧侶を2名派遣する指示を天皇が出し、一旦は別の僧侶の派遣が決まったが、天皇が最澄に

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「じゃがいも」のお寺話46 平安京

「じゃがいも」のお寺話46 平安京

桓武天皇(在位: 781年~806年)は政治に多大な影響を与えてくる平城京の大寺院を嫌い遷都を決めたと言われます。
天皇になって3年、784年に平城京から長岡京に遷都します。しかし、遷都してから天災や祟りが頻繁に起こります。遷都した天皇が災いの元である、天皇としての器ではないのでは、と民衆に思われてしまうのを恐れて長岡京遷都からわずか10年で平安京に遷都します。

政治的な活動としては、東北や北海

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「じゃがいも」のお寺話45 桓武天皇

「じゃがいも」のお寺話45 桓武天皇

桓武天皇(737年〜806年)が若い頃は聖武天皇〜孝謙天皇の時代でした。国分寺を作ったり、大仏を作ったりした頃です。
桓武天皇は天皇の血を受け継いではいますが44代〜48代までの天皇は自分とは違う天武天皇の血筋が天皇を継承していること、母親の身分が低いことなどの条件で、自分は天皇にはなれないと納得した青年期を過ごしたようです。
天皇を補佐する官僚を目指して、政治、仏教を学び、実際に官僚として出世が

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「じゃがいも」のお寺話44 奈良時代の僧侶(道鏡)

「じゃがいも」のお寺話44 奈良時代の僧侶(道鏡)

道鏡(700年〜772年)
聖武天皇は幼い男子の子を病気で亡くしました。子供は娘である安倍内親王(孝謙天皇)1人になり史上唯一の女性皇太子になりました。しかし安倍内親王(孝謙天皇)には子供がなく以後の継承者が決まらないため後継者問題として孝謙天皇に変わる天皇を求める動きが起こります。
そんな中で聖武天皇が譲位して749年に孝謙天皇が即位します。(在位: 749年~758年)
756年父である聖武天

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「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(良弁)

「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(良弁)

良弁(ろうべん)(689年〜774年)
東大寺は金鐘寺(こんしゅじ、きんしょうじ)から始まったとされます。728年に聖武天皇の第一子の基皇子が5歳の若さで亡くなりました。弔いのために建てたのが金鐘寺です。
金鐘寺創建時に法華堂があったのか分からないですが、大仏殿や戒壇院が建つ前、法華堂(三月堂)辺りに建立されたのが金鐘寺です。東大寺は法華堂から始まったとも言えそうです。
その後、全国に国分寺を配置

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「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)

「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)

鑑真和上以外にも奈良時代に活躍しその後の仏教界に大きな影響を与えた僧侶がいます。

行基(668年〜749年)
奈良時代は朝廷がお寺を管理していて、法要などの仏教行事の開催も細かく制限されていました。民衆に直接仏教の話や布教を行うことは禁止されていたようです。
そんな中で行基は一般の人々に広く仏教の話を伝えたいと考えて道端での布教的な活動を行っていました。その噂は朝廷まで届き、様々な弾圧を受ける結

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「じゃがいも」のお寺話42 鑑真和上(2/2)

「じゃがいも」のお寺話42 鑑真和上(2/2)

日本では宗派により僧侶に対する敬称や呼び名がたくさんあって異なるのでとても難しくてどこかの投稿でまとめたいと思っています。和上という敬称もなかなか聞かないと思いますが、和上とは和尚くらい意味のようです。
鑑真と呼び捨てるのは失礼なので唐招提寺の律宗で尊敬すべき高僧を和上と呼ぶため鑑真和上と呼ばれることが日常であり一般化していると思います。

「檀」とは何らかの行為をするために一段高くしろた区切られ

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「じゃがいも」のお寺話41 鑑真和上(1/2)

「じゃがいも」のお寺話41 鑑真和上(1/2)

平城京などの都の街作りやお寺の伽藍配置などは当時の遣などの資料を参考にしていると言われます。
奈良時代の仏教は国主導ではあったと言われますが国家鎮護だけでなく、近隣諸国と対等に話し合いができ、対等に扱われるためにも我流ではなく海外からも正規だと理解される仏教の体制が必要だと考えていたようです。近隣の国に学びながら国の体制を築いて行った時代です。

仏教とは仏、法、僧の三宝が揃って成り立つとされます

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「じゃがいも」のお寺話40 大仏(2/2)

「じゃがいも」のお寺話40 大仏(2/2)

743年聖武天皇が「大仏造立の詔」を発して奈良東大寺大仏の製作が開始されました。
仏様に目を入れて魂を迎えていたので、仏様に魂を入れる儀式を開眼法要や開眼供養などと呼びます。現代では位牌、仏壇、お墓などに対する魂入れも開眼供養と呼びます。
像の場合、作っただけの像に対して開眼法要をして魂を込めることで仏像になると考えるようで、日本で初めて開眼法要が行われたのが752年4月9日奈良の大仏と伝わります

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「じゃがいも」のお寺話39 大仏(1/2)

「じゃがいも」のお寺話39 大仏(1/2)

東大寺の象徴といえば大仏です。日本人なら東大寺の大仏は知っていると思っています。とっても有名ですが、東大寺の大仏が何というお名前の仏様か即答できる方は意外と少ないと思っています。

毘盧遮那仏、毘盧遮那如来という仏様です。

ヴァイローチャナ(vairocana)というサンスクリット語に毘盧遮那(びるしゃな)という漢字をあてています。ヴァイローチャナのヴァイは「広く」「広範囲」、ローチャナは「照ら

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「じゃがいも」のお寺話38 国分寺

「じゃがいも」のお寺話38 国分寺

鎮護とは「災いを沈めて安泰にすること」と辞書に記載されています。
後の時代にもあるでしょうが、特に奈良時代は仏教をもって国を鎮護する思想が強かったかと考えられます。飢饉、戦、疫病などの災いがたくさんあった時代と言われます。鎮護国家、国家鎮護はどちらでも良さそうな表現ですが、鎮護された国は「鎮護国家」、仏教で国を鎮護する行為や思想を「国家鎮護」と言い分けたいでしょうか。そんな語感を持ちますが、個人差

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「じゃがいも」のお寺話37 飛鳥・奈良時代の年表

「じゃがいも」のお寺話37 飛鳥・奈良時代の年表

飛鳥時代から奈良時代中期までの天皇と起きたイベントを羅列します。

33代
推古天皇(592年~628年 初女帝)
 天平時代始まり。聖徳太子摂政
 607年 法隆寺 完成
 622年 聖徳太子 死去

34代
舒明天皇(在位:629年~641年)
 630年 遣唐使 派遣

35代
皇極天皇(在位:642年~645年 女帝)
 645年 乙巳の変(大化の改新)

36代
孝徳天皇(在位: 645

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「じゃがいも」のお寺話36 奈良時代の寺院

「じゃがいも」のお寺話36 奈良時代の寺院

奈良時代(710年〜)の仏教は宗教というよりも学問の対象であり、お寺は宗教施設というより学校に近く、宗派というより学派のようであったとされます。

奈良仏教は後に南都六宗と呼ばれる6つの宗派があったと言われます。南都という表現自体が平安京側から見た平城京を意味していて、南都六宗は平安時代の天台宗、真言宗に対して奈良仏教を区別するために作られた名称です。南都六宗は三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳

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「じゃがいも」のお寺話35 飛鳥、白鳳、天平(2/2)

「じゃがいも」のお寺話35 飛鳥、白鳳、天平(2/2)

飛鳥文化は仏教の文化と説明されます。飛鳥時代は推古天皇の即位(593年)以降とされますが飛鳥文化というと仏教伝来から大化改新(645年)までと言われるようです。少し納得します。

白鳳文化は大化の改新(645年)から平城京遷都(710年)の間と言われます。白鳳という名称は年号には現れません。お寺に残る縁起の記録書などで出てくるようで私年号などと呼ばれます。
白鳳文化は大化の改新後、藤原京(694年

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「じゃがいも」のお寺話34 飛鳥、白鳳、天平(1/2)

「じゃがいも」のお寺話34 飛鳥、白鳳、天平(1/2)

飛鳥時代、奈良時代という時代の名称は小学校、中学校の頃の歴史で勉強した気がします。その他に飛鳥、白鳳、天平という時代というのか、特定の期間を示しそうな単語も聞いた気がします。
時間的な表記なら飛鳥時代、白鳳時代、天平時代と言えそうですが、今ひとつ耳馴染みが薄い気がします。世代があるかもしれないですが、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化の方が耳馴染みはしっくり来ます。

710年に平城京に遷都され政治の体

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「じゃがいも」のお寺話33 お寺、仏像の建立

「じゃがいも」のお寺話33 お寺、仏像の建立

◆飛鳥寺 588年〜?
本格的な伽藍を備えた日本最古の寺院。蘇我馬子が開基で蘇我氏の氏寺として開山。当時の寺名は法興寺。元興寺とも呼び、今の奈良市ならまちにある元興寺は平城京の遷都で飛鳥寺が移ったお寺。今の飛鳥寺は法興寺(元興寺)の後身の寺院で正式寺名は安居院。真言宗豊山派。山号は鳥形山。
物部守屋と対立していた蘇我馬子が勝利を祈願して建てることを決めたと伝わる。587年は聖徳太子の父の用明天皇が

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