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「じゃがいも」のお寺話42 鑑真和上(2/2)

日本では宗派により僧侶に対する敬称や呼び名がたくさんあって異なるのでとても難しくてどこかの投稿でまとめたいと思っています。和上という敬称もなかなか聞かないと思いますが、和上とは和尚くらい意味のようです。
鑑真と呼び捨てるのは失礼なので唐招提寺の律宗で尊敬すべき高僧を和上と呼ぶため鑑真和上と呼ばれることが日常であり一般化していると思います。

「檀」とは何らかの行為をするために一段高くしろた区切られた場所が元の意味のようです。
一般的な言葉として教壇、雛壇、花壇などは壇の意味に合いそうですが、仏教でも須弥壇、護摩壇、仏壇などで壇の字を使います。そうした意味を含む壇の一つとして戒を授ける場所を戒壇と呼び、戒壇があるお堂を戒壇堂や戒壇院と呼ぶようになります。
鑑真は東大寺で754年4月には聖武天皇を含めた400人以上に対して日本初の戒を授けたとされます。
その後、常設の授戒場として755年に戒壇院を東大寺に建立し、筑紫(太宰府)の観世音寺に西戒壇、下野(現在の栃木県)の薬師寺(下野薬師寺)に戒壇を東戒壇を作り受戒の場所としました。天下三戒壇と呼ばれ奈良時代の朝廷が影響力を保持していた時代は戒壇はこの3つしかなく僧侶になるにはどこかの戒壇で受戒する必要がありました。
現在、僧侶になるには各宗派ごとにカリキュラムを決めていて1年〜数年の修行期間を経て僧侶を名乗る資格を与えられるので、三戒壇が今でも機能している訳はないです。
いつまで機能していたのか厳密には分からずですが、平安京に遷都して奈良時代の天皇主導の仏教体制が崩れてしまったら成り立たないように思います。

東大寺の戒壇院戒壇堂は最近改修工事を行なって今でもお堂は残っています。日本の四天王で一番有名と言っても良い最高にカッコいい仏像が祀られています。
太宰府の観世音寺の中の一つのお堂として作られた戒壇院ですが、今は戒壇院として観世音寺とは別のお寺として残っています。
下野薬師寺も最近の整備で戒壇堂(六角堂)も残っているようです。

鑑真は戒を授けるために聖武天皇から日本に招かれた僧侶で日本で初めて戒を授けて戒壇を作った方です。来日して5年が経った759年には唐招提寺を建立して晩年を過ごしました。唐招提寺には今でも多くの文化財が残ります。金堂や講堂には国宝の仏像が並び、世界遺産の一部にも認定されています。
戒壇の話が特筆されますが、鑑真が伝えた仏像が以後の仏像作りに大きな影響を与えたとされます。

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