じゃがいもさん

「じゃがいも」と申します。 「じゃがいも」は少しだけお寺、仏像、仏教が好きなオッサンで…

じゃがいもさん

「じゃがいも」と申します。 「じゃがいも」は少しだけお寺、仏像、仏教が好きなオッサンです。

最近の記事

「じゃがいも」のお寺話51 運慶、快慶

運慶(?-1224)は日本一有名な仏師と言っても嘘ではないと思っています。 生まれ年が分からないようですが、運慶作った初の仏像と言われる円成寺の大日如来坐像は1175年の製作で、20歳代の作品と推定されています。仮に25歳の作品だとしたら1150年生まれで74歳まで生きたと想定できます。概ねそんな期間に活動したと思われます。 快慶は運慶と並び有名な仏師だと思います。生没年不詳とされます。 現存する快慶の作品で一番古いのはボストン美術館の弥勒菩薩で、1189年の製作とされてい

    • 「じゃがいも」のお寺話50 仏師の系図

      平安時代の公家の文化に末法の思想も後押しをしてお寺が建立されて仏像が多く作られるようになりました。そんな時代の流れに求められて定朝という仏師が評価され藤原道長に支えられ活躍の場を与えたのだと思います。 定朝から仏師の系図が作れるようになったと言われます。 日本の仏教は時の権力者により抑制され、弾圧され、復興され、利用されながら歴史を刻んで行きました。政治が宗教と縁を切ったのは昭和20年以降のことです。 仏師も政治の一部に取り込まれながら、繁栄し仏像を作るようになって行ったと

      • 「じゃがいも」のお寺話49 定朝

        桓武天皇が794年に平安京に都を遷都してから1185年に源義経が壇ノ浦で勝利し平家が滅び、源頼朝が鎌倉に幕府を興すまでの約390年間もしくは784年に平城宮から長岡京に都を遷都してからの約400年間を平安時代と呼びます。およそ9世紀〜12世紀。 平安時代は天皇を政治の中心とする体制であり、公家の時代であり、藤原家、平家が政治を仕切った時代です。 仏教では、お釈迦様が説いた教えが正しく伝わり修行して悟りを開く僧侶がいる「正法」の時代が過ぎると、真摯に修行をせず悟りを開くまで至

        • 「じゃがいも」のお寺話48 平安仏教(空海)

          空海 774年:誕生 788年:平城京に入り熱心に仏教の勉強をした。受戒をして正式な僧侶になったとされるが詳細は不明。 793年:平城京での勉強に満足せずに人里を離れて山岳修行を始めたとされる。 室戸岬近くの洞窟から見た景色が空と海だけであったことより空海を名乗るようになったと伝わる。中国語をマスターしあらゆる経典を読みあさる日々を送ったとされる。 803年:当時は無名の僧侶であったが長期留学生に選ばれ最澄と同じタイミングで遣唐使として唐に向かう。中国語の勉強をし、他方

        「じゃがいも」のお寺話51 運慶、快慶

          「じゃがいも」のお寺話47 平安仏教(最澄)

          最澄 766年(767年?):誕生 788年:今の比叡山の根本中堂の場所に一乗止観院を創建した。 797年:内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ) に任命される。天皇に使える10人の僧侶が内供奉十禅師。天皇の安泰祈りや看病などを業務とする。 802年:南都六宗の中での論争に対して新しい秩序作りのために唐の天台山へ僧侶を2名派遣する指示を天皇が出し、一旦は別の僧侶の派遣が決まったが、天皇が最澄に行くように命じた。 804年:7月6日九州から出航し唐へ向かう。9月1日唐に到

          「じゃがいも」のお寺話47 平安仏教(最澄)

          「じゃがいも」のお寺話46 平安京

          桓武天皇(在位: 781年~806年)は政治に多大な影響を与えてくる平城京の大寺院を嫌い遷都を決めたと言われます。 天皇になって3年、784年に平城京から長岡京に遷都します。しかし、遷都してから天災や祟りが頻繁に起こります。遷都した天皇が災いの元である、天皇としての器ではないのでは、と民衆に思われてしまうのを恐れて長岡京遷都からわずか10年で平安京に遷都します。 政治的な活動としては、東北や北海道の平定のために坂上田村麻呂を史上初の征夷大将軍に命じて軍隊を派遣したのも桓武天

          「じゃがいも」のお寺話46 平安京

          「じゃがいも」のお寺話45 桓武天皇

          桓武天皇(737年〜806年)が若い頃は聖武天皇〜孝謙天皇の時代でした。国分寺を作ったり、大仏を作ったりした頃です。 桓武天皇は天皇の血を受け継いではいますが44代〜48代までの天皇は自分とは違う天武天皇の血筋が天皇を継承していること、母親の身分が低いことなどの条件で、自分は天皇にはなれないと納得した青年期を過ごしたようです。 天皇を補佐する官僚を目指して、政治、仏教を学び、実際に官僚として出世が見込まれていて「大学頭」という官職についています。 770年に称徳天皇(孝謙天

          「じゃがいも」のお寺話45 桓武天皇

          「じゃがいも」のお寺話44 奈良時代の僧侶(道鏡)

          道鏡(700年〜772年) 聖武天皇は幼い男子の子を病気で亡くしました。子供は娘である安倍内親王(孝謙天皇)1人になり史上唯一の女性皇太子になりました。しかし安倍内親王(孝謙天皇)には子供がなく以後の継承者が決まらないため後継者問題として孝謙天皇に変わる天皇を求める動きが起こります。 そんな中で聖武天皇が譲位して749年に孝謙天皇が即位します。(在位: 749年~758年) 756年父である聖武天皇が亡くなり、その後に体調崩した母親である光明皇太后に仕えるために譲位して「太上

          「じゃがいも」のお寺話44 奈良時代の僧侶(道鏡)

          「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(良弁)

          良弁(ろうべん)(689年〜774年) 東大寺は金鐘寺(こんしゅじ、きんしょうじ)から始まったとされます。728年に聖武天皇の第一子の基皇子が5歳の若さで亡くなりました。弔いのために建てたのが金鐘寺です。 金鐘寺創建時に法華堂があったのか分からないですが、大仏殿や戒壇院が建つ前、法華堂(三月堂)辺りに建立されたのが金鐘寺です。東大寺は法華堂から始まったとも言えそうです。 その後、全国に国分寺を配置する時に大和国の国分寺になり金光明寺と改名、大仏殿の建立に合わせて東大寺に改名し

          「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(良弁)

          「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)

          鑑真和上以外にも奈良時代に活躍しその後の仏教界に大きな影響を与えた僧侶がいます。 行基(668年〜749年) 奈良時代は朝廷がお寺を管理していて、法要などの仏教行事の開催も細かく制限されていました。民衆に直接仏教の話や布教を行うことは禁止されていたようです。 そんな中で行基は一般の人々に広く仏教の話を伝えたいと考えて道端での布教的な活動を行っていました。その噂は朝廷まで届き、様々な弾圧を受ける結果になりますが、民衆からの圧倒的な人気により支持を得て乗り切りました。 朝廷の管

          「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)

          「じゃがいも」のお寺話42 鑑真和上(2/2)

          日本では宗派により僧侶に対する敬称や呼び名がたくさんあって異なるのでとても難しくてどこかの投稿でまとめたいと思っています。和上という敬称もなかなか聞かないと思いますが、和上とは和尚くらい意味のようです。 鑑真と呼び捨てるのは失礼なので唐招提寺の律宗で尊敬すべき高僧を和上と呼ぶため鑑真和上と呼ばれることが日常であり一般化していると思います。 「檀」とは何らかの行為をするために一段高くしろた区切られた場所が元の意味のようです。 一般的な言葉として教壇、雛壇、花壇などは壇の意味に

          「じゃがいも」のお寺話42 鑑真和上(2/2)

          「じゃがいも」のお寺話41 鑑真和上(1/2)

          平城京などの都の街作りやお寺の伽藍配置などは当時の遣などの資料を参考にしていると言われます。 奈良時代の仏教は国主導ではあったと言われますが国家鎮護だけでなく、近隣諸国と対等に話し合いができ、対等に扱われるためにも我流ではなく海外からも正規だと理解される仏教の体制が必要だと考えていたようです。近隣の国に学びながら国の体制を築いて行った時代です。 仏教とは仏、法、僧の三宝が揃って成り立つとされます。仏様や仏の教えは仏像や経典を取り入れて敬い理解すればとうにかなりますが、僧侶は

          「じゃがいも」のお寺話41 鑑真和上(1/2)

          「じゃがいも」のお寺話40 大仏(2/2)

          743年聖武天皇が「大仏造立の詔」を発して奈良東大寺大仏の製作が開始されました。 仏様に目を入れて魂を迎えていたので、仏様に魂を入れる儀式を開眼法要や開眼供養などと呼びます。現代では位牌、仏壇、お墓などに対する魂入れも開眼供養と呼びます。 像の場合、作っただけの像に対して開眼法要をして魂を込めることで仏像になると考えるようで、日本で初めて開眼法要が行われたのが752年4月9日奈良の大仏と伝わります。 仏様の「仏像」と「フィギュア」の違いは開眼法要しているかしていないかと説明さ

          「じゃがいも」のお寺話40 大仏(2/2)

          「じゃがいも」のお寺話39 大仏(1/2)

          東大寺の象徴といえば大仏です。日本人なら東大寺の大仏は知っていると思っています。とっても有名ですが、東大寺の大仏が何というお名前の仏様か即答できる方は意外と少ないと思っています。 毘盧遮那仏、毘盧遮那如来という仏様です。 ヴァイローチャナ(vairocana)というサンスクリット語に毘盧遮那(びるしゃな)という漢字をあてています。ヴァイローチャナのヴァイは「広く」「広範囲」、ローチャナは「照らす」という意味です。意味により「光明遍照」と訳されることもあります。「太陽」の意

          「じゃがいも」のお寺話39 大仏(1/2)

          「じゃがいも」のお寺話38 国分寺

          鎮護とは「災いを沈めて安泰にすること」と辞書に記載されています。 後の時代にもあるでしょうが、特に奈良時代は仏教をもって国を鎮護する思想が強かったかと考えられます。飢饉、戦、疫病などの災いがたくさんあった時代と言われます。鎮護国家、国家鎮護はどちらでも良さそうな表現ですが、鎮護された国は「鎮護国家」、仏教で国を鎮護する行為や思想を「国家鎮護」と言い分けたいでしょうか。そんな語感を持ちますが、個人差もありそうですし厳密な言い分けを議論するほど有意義な話ではないとも感じます。 仏

          「じゃがいも」のお寺話38 国分寺

          「じゃがいも」のお寺話37 飛鳥・奈良時代の年表

          飛鳥時代から奈良時代中期までの天皇と起きたイベントを羅列します。 33代 推古天皇(592年~628年 初女帝)  天平時代始まり。聖徳太子摂政  607年 法隆寺 完成  622年 聖徳太子 死去 34代 舒明天皇(在位:629年~641年)  630年 遣唐使 派遣 35代 皇極天皇(在位:642年~645年 女帝)  645年 乙巳の変(大化の改新) 36代 孝徳天皇(在位: 645年~654年)  皇極天皇の弟 37代 齊明天皇(在位: 655年~661年)

          「じゃがいも」のお寺話37 飛鳥・奈良時代の年表