じゃがいもさん

「じゃがいも」と申します。 「じゃがいも」は少しだけお寺、仏像、仏教が好きなオッサンで…

じゃがいもさん

「じゃがいも」と申します。 「じゃがいも」は少しだけお寺、仏像、仏教が好きなオッサンです。

最近の記事

「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)

鑑真和上以外にも奈良時代に活躍しその後の仏教界に大きな影響を与えた僧侶がいます。 行基(668年〜749年) 奈良時代は朝廷がお寺を管理していて、法要などの仏教行事の開催も細かく制限されていました。民衆に直接仏教の話や布教を行うことは禁止されていたようです。 そんな中で行基は一般の人々に広く仏教の話を伝えたいと考えて道端での布教的な活動を行っていました。その噂は朝廷まで届き、様々な弾圧を受ける結果になりますが、民衆からの圧倒的な人気により支持を得て乗り切りました。 朝廷の管

    • 「じゃがいも」のお寺話42 鑑真和上(2/2)

      日本では宗派により僧侶に対する敬称や呼び名がたくさんあって異なるのでとても難しくてどこかの投稿でまとめたいと思ってるのですが、和上とは和尚くらい意味のようです。 鑑真と呼び捨てるのは失礼なので唐招提寺の律宗で尊敬すべき高僧を和上と呼ぶため鑑真和上と呼ばれることが日常であり一般化していると思います。 「檀」とは何らかの行為をするために一段高くしろた区切られた場所が元の意味のようです。 一般的な言葉として「教壇」、「雛壇」、「花壇」などは壇の意味に合いそうですが、仏教でも須弥壇

      • 「じゃがいも」のお寺話41 鑑真和上(1/2)

        平城京などの都の街作りやお寺の伽藍配置などは当時の遣などの資料を参考にしていると言われます。 奈良時代の仏教は国主導ではあったと言われますが国家鎮護だけでなく、近隣諸国と対等に話し合いができ、対等に扱われるためにも我流ではなく海外からも正規だと理解される仏教の体制が必要だと考えていたようです。近隣の国に学びながら国の体制を築いて行った時代です。 仏教とは仏、法、僧の三宝が揃って成り立つとされます。仏様や仏の教えは仏像や経典を取り入れて敬い理解すればとうにかなりますが、僧侶は

        • 「じゃがいも」のお寺話40 大仏(2/2)

          743年聖武天皇が「大仏造立の詔」を発して奈良東大寺大仏の製作が開始されました。 仏様に目を入れて魂を迎えていたので、仏様に魂を入れる儀式を開眼法要や開眼供養などと呼びます。現代では位牌、仏壇、お墓などに対する魂入れも開眼供養と呼びます。 像の場合、作っただけの像に対して開眼法要をして魂を込めることで仏像になると考えるようで、日本で初めて開眼法要が行われたのが752年4月9日奈良の大仏と伝わります。 仏様の「仏像」と「フィギュア」の違いは開眼法要しているかしていないかと説明さ

        「じゃがいも」のお寺話43 奈良時代の僧侶(行基)

          「じゃがいも」のお寺話39 大仏(1/2)

          東大寺の象徴といえば大仏です。日本人なら東大寺の大仏は知っていると思っています。とっても有名ですが、東大寺の大仏が何というお名前の仏様か即答できる方は意外と少ないと思っています。 毘盧遮那仏、毘盧遮那如来という仏様です。 ヴァイローチャナ(vairocana)というサンスクリット語に毘盧遮那(びるしゃな)という漢字をあてています。ヴァイローチャナのヴァイは「広く」「広範囲」、ローチャナは「照らす」という意味です。意味により「光明遍照」と訳されることもあります。「太陽」の意

          「じゃがいも」のお寺話39 大仏(1/2)

          「じゃがいも」のお寺話38 国分寺

          鎮護とは「災いを沈めて安泰にすること」と辞書に記載されています。 後の時代にもあるでしょうが、特に奈良時代は仏教をもって国を鎮護する思想が強かったかと考えられます。飢饉、戦、疫病などの災いがたくさんあった時代と言われます。鎮護国家、国家鎮護はどちらでも良さそうな表現ですが、鎮護された国は「鎮護国家」、仏教で国を鎮護する行為や思想を「国家鎮護」と言い分けたいでしょうか。そんな語感を持ちますが、個人差もありそうですし厳密な言い分けを議論するほど有意義な話ではないとも感じます。 仏

          「じゃがいも」のお寺話38 国分寺

          「じゃがいも」のお寺話37 飛鳥・奈良時代の年表

          飛鳥時代から奈良時代中期までの天皇と起きたイベントを羅列します。 33代 推古天皇(592年~628年 初女帝)  天平時代始まり。聖徳太子摂政  607年 法隆寺 完成  622年 聖徳太子 死去 34代 舒明天皇(在位:629年~641年)  630年 遣唐使 派遣 35代 皇極天皇(在位:642年~645年 女帝)  645年 乙巳の変(大化の改新) 36代 孝徳天皇(在位: 645年~654年)  皇極天皇の弟 37代 齊明天皇(在位: 655年~661年)

          「じゃがいも」のお寺話37 飛鳥・奈良時代の年表

          「じゃがいも」のお寺話36 奈良時代の寺院

          奈良時代(710年〜)の仏教は宗教というよりも学問の対象であり、お寺は宗教施設というより学校に近く、宗派というより学派のようであったとされます。 奈良仏教は後に南都六宗と呼ばれる6つの宗派があったと言われます。南都という表現自体が平安京側から見た平城京を意味していて、南都六宗は平安時代の天台宗、真言宗に対して奈良仏教を区別するために作られた名称です。南都六宗は三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗の6宗派です。 663年に白村江の戦い(はくそんこうのたたかい)という

          「じゃがいも」のお寺話36 奈良時代の寺院

          「じゃがいも」のお寺話35 飛鳥、白鳳、天平(2/2)

          飛鳥文化は仏教の文化と説明されます。飛鳥時代は推古天皇の即位(593年)以降とされますが飛鳥文化というと仏教伝来から大化改新(645年)までと言われるようです。少し納得します。 白鳳文化は大化の改新(645年)から平城京遷都(710年)の間と言われます。白鳳という名称は年号には現れません。お寺に残る縁起の記録書などで出てくるようで私年号などと呼ばれます。 白鳳文化は大化の改新後、藤原京(694年〜710年)が日本初の都として完成し、大宝律令(701年)を作り本格的国家制度が

          「じゃがいも」のお寺話35 飛鳥、白鳳、天平(2/2)

          「じゃがいも」のお寺話34 飛鳥、白鳳、天平(1/2)

          飛鳥時代、奈良時代という時代の名称は小学校、中学校の頃の歴史で勉強した気がします。その他に飛鳥、白鳳、天平という時代というのか、特定の期間を示しそうな単語も聞いた気がします。 時間的な表記なら飛鳥時代、白鳳時代、天平時代と言えそうですが、今ひとつ耳馴染みが薄い気がします。世代があるかもしれないですが、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化の方が耳馴染みはしっくり来ます。 710年に平城京に遷都され政治の体制が確立したので、710年から奈良時代が始まるという記述にブレはないと思います。

          「じゃがいも」のお寺話34 飛鳥、白鳳、天平(1/2)

          「じゃがいも」のお寺話33 お寺、仏像の建立

          ◆飛鳥寺 588年〜? 本格的な伽藍を備えた日本最古の寺院。蘇我馬子が開基で蘇我氏の氏寺として開山。当時の寺名は法興寺。元興寺とも呼び、今の奈良市ならまちにある元興寺は平城京の遷都で飛鳥寺が移ったお寺。今の飛鳥寺は法興寺(元興寺)の後身の寺院で正式寺名は安居院。真言宗豊山派。山号は鳥形山。 物部守屋と対立していた蘇我馬子が勝利を祈願して建てることを決めたと伝わる。587年は聖徳太子の父の用明天皇が亡くなり弟の崇峻天皇が天皇を継いで、蘇我氏と物部氏の間に戦が起きた年で物部氏に勝

          「じゃがいも」のお寺話33 お寺、仏像の建立

          「じゃがいも」のお寺話32 聖徳太子

          実は聖徳太子は実在しないとする説があるようです。 タイムマシンで聖徳太子の時代に行って見てくることができない以上分からないのですが、分からないから全て怪しいとなると織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も怪しいとなるような極論になってしまいます。 残された書物を複合的に重ね合わせて、現代まで残る建築物や発掘調査の結果として織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が実在したのはタイムマシンがなくても間違えないでしょう。 ここの文書で、本当に聖徳太子は実在しなかったのか、実在したのか議論できるはず

          「じゃがいも」のお寺話32 聖徳太子

          「じゃがいも」のお寺話31 日本の仏教の始まり

          聖徳太子の父の用明天皇が亡くなり、皇位継承争いと仏教対立が重なり蘇我氏と物部氏が戦になります。聖徳太子を含め皇族は蘇我氏側につくことになり、結果として蘇我氏が勝ち物部氏は衰退します。 聖徳太子の父の用明天皇の後を弟である崇峻天皇が継ぎますが、様々な意見の食い違いがあり蘇我馬子と対立し592年に暗殺されたと伝わります。 崇峻天皇の後継者選びも蘇我氏の意見が大きく影響し年齢や蘇我氏との血縁関係の濃さの理由で初の女性天皇となる推古天皇が継ぐことになりました。聖徳太子から見たら推古

          「じゃがいも」のお寺話31 日本の仏教の始まり

          「じゃがいも」のお寺話30 日本の仏教の始まり

          西暦500年の中ごろ6世紀中旬に当時の百済から日本に仏教が伝わったとされます。 6世紀中旬の日本は一般には飛鳥と言われる時代かなぁと思っていますが、飛鳥時代はいつから始まるのか曖昧です。飛鳥時代というは政治的な制度で区切られた時代ではないとの説明があります。確かに飛鳥時代の前の古墳時代はいつ終わったのかグラデーションにも感じます。 29代 欽明天皇:在位539年~571年 30代 敏達天皇:在位572年~585年 31代 用明天皇:在位585年~587年 聖徳太子の父

          「じゃがいも」のお寺話30 日本の仏教の始まり

          「じゃがいも」のお寺話29 大乗仏教

          ガンダーラで紀元前後のころから仏像が作られ仏教が広まります。ガンダーラで栄えた仏像や仏教が西暦100年から西暦200年ごろにはシルクロードを経由して中国に大量に伝わります。 似た時期に大量の経典が中国に伝わったため、つじつまが合わない内容が多く、一つ一つの経典を理解、整理、精査する作業が続きます。 精査が進む中でどの経典が優れているのか、どの経典を大切にすべきなのか、中国の中でも意見が分かれていきます。結果として異なる経典を信仰するために異なる教団が成立していくことになりま

          「じゃがいも」のお寺話29 大乗仏教

          「じゃがいも」のお寺話28 大乗仏教

          お釈迦様が涅槃に入ってから約200年後、紀元前300年〜紀元前200年くらいの間のインドは、アショーカ王(阿育王)と呼ばれる王様(ラジャ)が歴史上最大の広さを統治したようです。 アショーカ王は熱心な仏教の信者であったと伝わり、インド全土に仏教を広めることに多大な影響を与えました。スリランカにもアショーカ王の時代に仏教が伝わりました。 お釈迦様の時代の仏教を原始仏教と呼びますが、原始仏教の教えや戒律に近い内容を守っている、スリランカ、ミャンマー、タイなどの上座部仏教国にはアショ

          「じゃがいも」のお寺話28 大乗仏教