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「じゃがいも」のお寺話62 神仏分離

神仏分離(しんぶつぶんり)とは仏教の教えに従って建立されたお寺や仏像と、神道に従って建立された神社や神様を明確に分けることです。
明治まで仏教と神道つまりお寺と神社は共存していました。神仏習合や神仏混淆と呼ばれています。 

天皇の王位継承で宮中行事を行う場合など特定の状況で仏教ゆかりの仏像などを分けたいとする議論があり神仏分離や仏教排除の指示は昔からあったようです。大きな意味ではこうした思想も神仏分離とは言えますが、一般に神仏分離という場合、明治政府が王政復古、祭政一致、神道国教化の政治体制を成立させるために「神仏分離令」と言われる通達を発したことを指します。

1868年(明治元年)に政府より出された「神仏分離令」ですがビックリするほど今の日本人には知られていないと思います。
「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」とする教育基本法に抵触する内容なのでしょうか。

王政復古とは武家社会や共和制で奪われた社会体制を君主制に戻すこと。
祭政一致とは政治指導者と宗教指導者が同一であること。
神道国教化とは神道が国の宗教であると法的、公式に認めて保護すると。

その流れの中で神仏分離令という通達が発せられました。
正確には「神仏分離令」(神仏判然令)と呼ばれる法令はありません。1868年(明治元年)に出された太政官布告(だじょうかんふこく)、太政官達(だじょうかんたっし)、神祇官達(しんぎかんたっし)3つの通達を「神仏分離令」と呼んでいます。

◆神社の白木の鳥居はそのままでよい。塗ってあるものは白木にする
◆神社にある仏像は寺院へ渡す
◆寺院にある神体は同様にして神社へ渡す
◆寺または神社より受取書を提出する
◆神殿造りの場合は造りなおす
◆神社の狗犬はそのままでよい

というような内容の具体的指示の記録が残っています。

一般的な内容としては、
◆神号に大菩薩、権現などの仏教用語の使用禁止
八幡大菩薩は八幡神に変更
◆神社に付属した神宮寺の廃絶
◆神職と僧侶の区別の明確化
◆神社内の仏像・仏具の除去

読めば分かりますが、神仏分離令と言われる政府からの通達は仏教の排斥を意図したものではあません。しかし、この通達により大変なことが起きます。
日本人の忖度の感情でしょうか、神様を讃えて仏様を排除する指示だと歪んだ理解をしたのでしょうか、一般民衆にお寺に対する反発の感情があったでしょうか、全国各地で仏像、仏具、経典、仏画、絵巻物などを破壊し焼き払い、寺院から土地や財産を奪う活動が起こります。
「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)と言われます。「廃仏」は分かると思いますが「毀釈」の「毀」は「やぶる」で「釈迦の教えを放棄する」という意味合いと説明されます。
政府の指示は絶対と考える度合いに温度差があるのでしょう。各藩の対応はかなり異なります。鹿児島(薩摩藩)では全てのお寺が壊され僧侶も全て一般の民に戻したと記録されているようです。 

その後の明治政府の体制を見れば分かりますが、王政復古、祭政一致、神道国教化も完全にはできていません。
海外からの圧力でキリスト教を表立って排除できなくなるなど、宗教は仏教と神道だけの話で収まらなくなりました。神道は宗教とは考えなかったようですが1889年(明治22年)の大日本帝国憲法で明治政府は「信教の自由」をいちおうは認めるようになります。

後から見返すと「神仏分離令」は明治政府発足当初に政府の体制が定まらない中で目先の思いつきで発せられた通達に仏教界、神道界が巻き込まれた最悪の事態だと感じています。
失われた大量の文化財やその時の僧侶の感情を考えると悔しくて仕方ありません。この事実をもっと知って欲しいとも思います。

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