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「じゃがいも」のお寺話51 運慶、快慶

運慶(?-1224)は日本一有名な仏師と言っても嘘ではないと思っています。
生まれ年が分からないようですが、運慶作った初の仏像と言われる円成寺の大日如来坐像は1175年の製作で、20歳代の作品と推定されています。仮に25歳の作品だとしたら1150年生まれで74歳まで生きたと想定できます。概ねそんな期間に活動したと思われます。

快慶は運慶と並び有名な仏師だと思います。生没年不詳とされます。
現存する快慶の作品で一番古いのはボストン美術館の弥勒菩薩で、1189年の製作とされていていますが快慶初の作品かは分かりません。1227年には快慶が故人であったされる記録があるようで活動の時期からしても運慶と近い歳なのではないでしょうか。

2人とも1170年で20歳〜1210年で60歳くらいと仮定すると、壇ノ浦で源義経が平家を破って源頼朝が鎌倉に幕府を興したのが1185年でおよそ35歳です。源頼朝が征夷大将軍に任命されたのが1192年でおよそ42歳です。平安時代末期からの激変の時代を生きた2人のスーパー仏師と言えそうです。

2人の、仏師としての師匠であり運慶の父である康慶から始まる「慶派」の仏師集団は定朝様の柔らかい印象の仏像とは対照的で、写実的で男性的、複雑で彫りの深い衣紋、今にも動き出しそうな筋肉の動きの表現や顔の表情など、凄い!と思わず声が出てしまうリアルな仏像を製作しています。運慶と快慶が代表的な仏師なのでしょうが慶派の特徴だと思います。

定朝様は柔らかい表現を好む公家からとても高い評価を得ていました。慶派の作風は武士の世の中に変わる中で武士から高い評価は受けました。運慶は鎌倉の武士の依頼を受けて伊豆、鎌倉、三浦辺りで仏像を作っています。
戦に明け暮れた武士が死者を弔うため、戦で破壊されたお寺を再興するため、お寺を作り仏像を作る時代に生きた慶派仏師が、素晴らしい仏像を作る場を与えられ残していったように思います。

運慶も快慶も慶派としてのリアルな表現は共通ですが、運慶の力強く動き出しそうな筋肉の表現に対して、快慶の頭と身体の全体のバランスが整って顔立ちがシュッとスマートな表現に感じる仏像。自分は快慶の仏像に心を奪われることが多いです。あなたはどちらが好きですか。

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