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「じゃがいも」のお寺話58 江戸時代の仏教

江戸幕府は浄土真宗と仲良くする方針でした。
他の宗派に対してはどうだったのでしょうか。江戸幕府が国を支配するようになってから仏教界全体に対して上手く付き合っていく、如何にも「優秀な政治家」である徳川家康らしい体制を築きます。
この江戸時代の仏教の体制が現代の仏教界の体制に直接影響していると思います。現代の仏教で、何で?と思うルールがあるとしたら仏教の本質的な教えとはあまり関係なく、江戸幕府の都合で決まったルールかも知れません。

江戸幕府の仏教界に対しての考え方は以下です。
①お寺には一定の利益、特権を与えて江戸幕府に対しての反発をなくし幕府の方針に従わせる。
②お寺を行政の一部として活用する。
③キリスト教を排除するために仏教を活用する。

仏教界もマイナスが少ない内容であったので反発も少なく受け入れていきます。

1)本山末寺制度
幕府が日本中のお寺を直接管理するのは大変なので、宗派を整理してこの宗派の本山はこのお寺で、この宗派に属するお寺はここで、末寺はこのお寺と決めることにしました。宗派毎にお寺を管理するように指示し、お寺を格付けしてピラミッド型の管理体制を組むようにしました。
一般民衆に幕府の方針を伝えるにしても、各宗派の本山に通達すれば末寺まで届くシステムが構築されます。
お寺が格付けされたので、僧侶の格付けも明確になっていきます。
奈良、平安の時代にも僧侶の格付けはありましたが、当時は官僚の一部の役職としてのニュアンスが色濃かったでしょう。
本山末寺制度により本山の僧侶は格上になるでしょうし宗派全体のトップの僧侶という役割を決めることも容易であり必要にもなって行きます。結果として僧侶に新しい格付けを与えることになります。

2)檀家制度
全ての国民が家族単位でどこかのお寺に属すように指示をしました。お寺の周囲の住民がそのお寺に属します。いわゆる「檀家」になります。国民全員が必ずどこかのお寺の檀家であるので、出生、死亡、結婚、旅行、移住という基本的な個人情報を幕府が把握する事が可能になります。
生まれた家が属しているお寺の檀家に自動的になり、家族単位なので個人の宗教的な想いや信仰心は無視されています。
キリスト教弾圧という効果も含んでの制度であり、年貢の管理、現代で言えば納税の管理なども行ったので、民衆からしたら自分が檀家として属したお寺は住民票登録先の役場と言えそうです。



戦国時代の仏教集団との争いに大変な苦労した経験から仏教集団と安定した関係を築き、江戸時代には仏教団体同士の争いや大名との争いはほとんどなくなりました。
平穏であったのは良い面なのだと思いますが、お寺が幕府の行政活動に協力し組織の一部に組み込まれたため、本来の宗教的な活動の場所ではなく世俗的な場所に変化してしまいます。

お釈迦様は生まれてからの行動で人は評価されるべきで、生まれた家柄で身分が決まるカーストのようなルールに真っ向から反対しています。お釈迦様の根本思想は平等であり、上下関係、主従関係を否定してしています。僧侶集団にも一切の主従関係を認めず、仏教総本部、仏教中央組織のようなものを、お釈迦様は想定していません。
檀家制度が始まると真摯に仏教に向き合って修行をしなくても行政の一部としての活動だけでお寺が存続できるようになります。真面目に仏教活動する僧侶が激減したと思います。何にもしなくて檀家制度により安定した布施を得ることができてしまいます。勢力拡大や積極的布教を行う活力を失い、現状に満足し穏やかに過ごすお寺ばかりになります。

仏教の本質をお釈迦様の原始仏教に求めるなら本質を見失った制度に見えます。これらの江戸幕府が決めた制度は、当然ですが日本独自であり他国からの影響に根拠や意義を見出すこともできません。政教分離と宗教選択の自由の憲法下では国が檀家制度や本山末寺制度を指示できるはずがありません。国が国民に対してどこかのお寺の檀家になれと指示をする決まりは戦後になくなりましたが、お寺の檀家の取り決めは薄れつつも今も残っています。宗派や本山の考え方も同様です。

「優秀な政治家」である江戸幕府創始者による仏教の本質無視の場当たり的な制度だとしたら、現代の宗教は政治に対しては完全に自由なので、仏教の教えに対してあるべき正しいルールを考えてもよいのかなぁと思ったりはします。

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