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「じゃがいも」のお寺話52 鎌倉仏教

奈良仏教、平安仏教という言葉もあるのでしょうが、鎌倉仏教という言葉を一番聞くように思います。気のせいでしょうか…

奈良仏教、平安仏教、鎌倉仏教という言葉が、単に、奈良の時代の仏教、平安の時代の仏教、鎌倉の時代の仏教というだけであれば、室町仏教、戦国仏教、安土桃山仏教、江戸仏教という表記も同じようにあって良いように思いますが、かなり馴染みが薄い気がします。自分が無知なだけかも知れませんが。

奈良時代は官寺を主体とした朝廷の管理による仏教組織でした。南都六宗を「奈良仏教」と表現するようにも思います。
最澄と空海が活躍して天台宗と真言宗が正式に発足したのが平安時代の仏教のスタートだと思います。微妙ですが天台宗と真言宗を「平安仏教」と表現する場合もあるでしょう。平安時代に定朝が活躍した公家主体の仏教もイメージしてしまいます。

奈良時代固有の特徴があるので「奈良仏教」と言いたいのは分かる気がします。「平安仏教」も類似だと思っています。逆に室町仏教などは固有の特徴をイメージできないので表現として馴染みがないのでしょう。

鎌倉仏教
仏教の総合修行道場のような場であった比叡山延暦寺で修行をした僧侶が鎌倉時代の初期に次々に新しい宗派を立ち上げました。他の時代にはない鎌倉初期固有の状況であり、この時代に発足した新しい宗派の総称として鎌倉仏教と表現する場合をとてもよく見ます。

浄土宗  開祖:法然
浄土真宗 開祖:親鸞
日蓮宗  開祖:日蓮
時宗   開祖:一遍
臨済宗  開祖:栄西
曹洞宗  開祖:道元

「鎌倉仏教」という表記に定まった定義はないのを承知の上で、上の6つの宗派を鎌倉仏教と呼び「法然が興した浄土宗は鎌倉仏教の一つです」のような表記には違和感がないように思っています。

奈良仏教もですが、特に平安仏教においては、きびしい修行を前提とし限られた僧侶だけが仏教の教えを会得し、その利益は公家など位の高い限られた人のためになっていた状況は否定できないと思います。
1052年の末法の思想もあり、実際に疫病や飢饉や天災が多発した時代に、庶民の救済を目指して分かりやすい教えを提示した新しい宗派が様々に立ち上がります。既存の奈良•平安の仏教との対立がありながらも新しく台頭してきた武士の支持を得て庶民にも広がって行きました。

短期間にこれほどたくさんの宗派が発足したのは鎌倉時代だけです。武士社会成立の後押しもあり、他国にはない日本固有の仏教がより強固になった時代だと思います。まさに「鎌倉仏教」の時代です。

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