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「じゃがいも」のお寺話40 大仏(2/2)

743年聖武天皇が「大仏造立の詔」を発して奈良東大寺大仏の製作が開始されました。
仏様に目を入れて魂を迎えていたので、仏様に魂を入れる儀式を開眼法要や開眼供養などと呼びます。現代では位牌、仏壇、お墓などに対する魂入れも開眼供養と呼びます。
像の場合、作っただけの像に対して開眼法要をして魂を込めることで仏像になると考えるようで、日本で初めて開眼法要が行われたのが752年4月9日奈良の大仏と伝わります。
仏様の「仏像」と「フィギュア」の違いは開眼法要しているかしていないかと説明されたら納得します。

大仏開眼当時の日本の人口は500万〜600万人です。大仏・大仏殿建立には当時人口の約半分の260万人もの人が協力したと伝わります。とんでもない規模の国家プロジェクトです。関西大学の推定では、大仏と大仏殿の建立には現代の金額で4657億円の費用がかかったとされます。

聖武天皇が天皇の地位を退いて孝謙天皇(聖武天皇の娘)の時代に大仏の開眼法要を開催していますが、大仏殿や大仏の全てが完成する前に実施したと伝わります。
聖武天皇(聖武太上)は容体が思わしくはなかったのですが、開催を早めたため開眼法要には参加できたようです。
聖武天皇が仏教に深く帰依していたので奈良時代に大きな事業を成し遂げられました。逆に後の財政の困窮に影響したとも言われます。
奈良時代の仏教が国主導、天皇主導であるので「国家仏教」というような表現も見ます。
日本国憲法が戦後発布され政教分離がルール化されるまで政治はいつの時代でも仏教界に対して何らかの指示や許可を出していますから奈良時代だけが特別ではなく日本における仏教は大小あっても時の権力者の影響を受けながら継続してきました。
その中でも国家鎮護思想の仏教であり、多くの官寺が建立されて、仏教により国家と皇室の安寧、安泰を願う法要を行っていたのが奈良時代の仏教の体制なのは事実のようです。国家仏教と説明されがちな由縁です。

奈良時代の仏教の中心的で象徴的なお寺として発展した東大寺です。長い歴史を経て、今でも奈良を代表する大寺院の地位に揺るぎはないと思います。
東大寺は国家鎮護のお寺であるので天下安泰を祈願する修二会と呼ばれる法要を毎年3月初旬に2週間ほどの期間をかけて行います。一般には「お水取り」と呼ばれる法要です。
修二会は752年の大仏の開眼法要の年に始まりました。大火事で伽藍が焼け落ちても、様々な戦争に巻き込まれても、国家鎮護のお寺の役割として一度も途絶えることなく続けられてきた法要です。2024年で1273回目となります。国家鎮護に対する真摯な姿勢を強く感じます。

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