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「じゃがいも」のお寺話33 お寺、仏像の建立

◆飛鳥寺 588年〜?
本格的な伽藍を備えた日本最古の寺院。蘇我馬子が開基で蘇我氏の氏寺として開山。当時の寺名は法興寺。元興寺とも呼び、今の奈良市ならまちにある元興寺は平城京の遷都で飛鳥寺が移ったお寺。今の飛鳥寺は法興寺(元興寺)の後身の寺院で正式寺名は安居院。真言宗豊山派。山号は鳥形山。
物部守屋と対立していた蘇我馬子が勝利を祈願して建てることを決めたと伝わる。587年は聖徳太子の父の用明天皇が亡くなり弟の崇峻天皇が天皇を継いで、蘇我氏と物部氏の間に戦が起きた年で物部氏に勝った直後から建立が開始されたか?
公には現存日本最古の仏像とされる飛鳥大仏を本尊として祀っていることで有名。飛鳥大仏は609年に完成し祀られて以来、一切動いていない。お堂に対して真っ直ぐ向いていないのは聖徳太子の生まれた場所と言われる橘寺を向いていると伝わる。

◆四天王寺 593年〜
聖徳太子が開基の寺院。飛鳥寺と並び日本最古の寺院とされるが、一般には飛鳥寺の方が早く造立が始まったとされる。正式名称は金光明四天王大護國寺。天台宗に属したときもあったが今は和宗として天台宗からは独立。和宗の総本山。山号は荒陵山。本尊は救世観音
14歳の聖徳太子が物部守屋との戦のとき、四天王を彫り、この戦に勝利したなら四天王を安置するお寺を建てると願った。願いが叶い勝利を収めたため推古天皇が天皇になった593年に造立開始。聖徳太子とゆかりが深い聖徳太子建立七大寺一つ。七大寺は聖徳太子が建立に携わったとの伝承がある7つのお寺。

聖徳太子(574年〜622年)

聖徳太子建立七大寺
四天王寺(593年〜)、法隆寺(607年?〜)、広隆寺(603年?、622年?〜 京都で最古のお寺)、法起寺(638年〜)、中宮寺(607年?〜)、橘寺(?)、葛木寺(現存しない。不明)

◆法隆寺607年?〜
推古天皇(在位592年~628年)と聖徳太子が開基の寺院。元は斑鳩寺であったが後から法隆寺となった。聖徳宗の総本山の寺院。
1992年日本はユネスコ世界遺産条約に参加。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築として1993年世界遺産(文化遺産)に登録。日本初の世界遺産登録。後に登録された奈良や京都の寺院は複数の神社仏閣がまとめて登録されている。法隆寺に法起寺を含むが世界遺産登録の範囲と速さが他と異なり、文化財としての評価の高さの表れに見える。
飛鳥時代とは政治的な区分けではなく芸術や文化での区分けとも言われる。飛鳥文化とは仏教伝来初期の仏教文化と言ってよく、当時の文化を現代まで色濃く残す代表、象徴は法隆寺とされる。飛鳥時代創建の寺院が火災や戦争で多くの建物や文化財を失った中で、法隆寺には膨大な仏教建築物、仏像などの文化財が残る。金堂の釈迦三尊は仏教伝来初期の仏像の代表として多くの場で紹介される。

日本仏教はこれらのお寺を最初の一歩として世の中に広まっていき、それを支えて進めたのが聖徳太子であり推古天皇以降の天皇だったのでしょう。

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