見出し画像

「じゃがいも」のお寺話35 飛鳥、白鳳、天平(2/2)

飛鳥文化は仏教の文化と説明されます。飛鳥時代は推古天皇の即位(593年)以降とされますが飛鳥文化というと仏教伝来から大化改新(645年)までと言われるようです。少し納得します。

白鳳文化は大化の改新(645年)から平城京遷都(710年)の間と言われます。白鳳という名称は年号には現れません。お寺に残る縁起の記録書などで出てくるようで私年号などと呼ばれます。
白鳳文化は大化の改新後、藤原京(694年〜710年)が日本初の都として完成し、大宝律令(701年)を作り本格的国家制度が確立した時代と言われます。中国から取り入れた文化を日本風に徐々に変化させた時代です。

天平文化とは平城京遷都(710年)から東大寺が完成する辺りまでと言われますが終わりは明確ではなく奈良時代を象徴するような文化は天平文化と言えそうです。
天平は聖武天皇の元号から来ています。聖武天皇は東大寺を建立したので奈良時代の代表として天平と言われるのでしょう。奈良の大仏様の開眼法要は752年に行われたと伝わります。

大化の改新とはなんだったのか簡単に復習します。
大化の改新は蘇我氏を滅亡させた乙巳の変(いっしのへん)と呼ばれる暗殺事件に始まるとされます。暗殺事件が大化の改新だと思っていましたが改新は事件以降の政治体制の改革全てを示すようです。蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿と続いた豪族を中心とした政治から天皇中心の政治にするための改革です。
乙巳の変は干支の一つである乙巳の年に起きた暗殺事件、クーデターです。中大兄皇子、中臣鎌足が主となって宮中で蘇我入鹿を暗殺しました。結果、蘇我氏は滅びました。
直後に孝徳天皇を即位させて元号を大化としました。大化は日本初の元号とされます。天皇という称号もこの時に決めました。天皇中心の政治体制を築くためのルールを作り、国としての体制を整えたのが大化の改新と説明されます。白鳳文化はこの日本の創世とリンクして興るべくしておきたのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?