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13回目の3月11日
東日本大震災から13回目の3月11日、年々震災を振り返ろうという空気は薄れてきている。テレビを見ると、被災者たちの「今」についての番組をちらほらやっている。
先月、取材で大熊町に行ってきた。福島県の浜通り地域は震災前も震災後も行ったことがなく、初めてだった。大野駅に降り立つと、目の前では大規模な工事が行われていた。真新しい道がまっすぐに伸び、その南側が大々的に開発されていた。ガラス張りの大きな建
時は心を癒やさない。『すずめの戸締まり』と『風の電話』から考える震災遺児と「生きる意味」の難しさ。
東日本大震災から12年、テレビでは特集番組が放送され、当時のことが鮮明に思い出されると同時に、震災を知らない子どもたちが増えていることも実感します。
毎年、この時期に東日本大震災にかかわる映画を何本か見ていますが、今年は何と言っても『すずめの戸締まり』でしょう。震災を全面に押し出した作品ではありませんが、震災で肉親を失った少女が主人公の映画です。
とりあえずこの作品の感想はこちらに。
たまた
『人はなぜ戦争をするのか』ー90年前に二人の天才も問うていた疑問について考える。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから1年が経ちました。当初はこんなに長く続くとは思われていなかった戦争ですが、終りが見えないまま続いてしまっています。
この戦争を終わらせるために私達にできることはないに等しく、1年という月日は大きな無力感を感じさせます。
私に何ができるのだろうかと考えても答えが出ない中で思ったのは、「人はなぜ戦争をするのか」ということでした。戦争なんてしても一つもいいことはな
共生社会はそこにある。「障害者による文化芸術活動を推進する法律」についての記事から思ったこと。
久方ぶりにnoteを書きますが、その間に注力していた記事の話を。
ここ数年、多様性やダイバーシティを自分の中のテーマにしていますが、障害者アートを扱うメディア「日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS」から話があり、「障害者による文化芸術活動を推進する法律」についての3本の連載記事を作りました。(「日本財団」に引っかかる人もいるかと思いますが、とりあえずそこはまた別の話ということで…
決して引き下がらない女たちはプーチンを倒せるか、いや倒してほしい。(マリヤ・アリョーヒナ著『プッシー・ライオットの革命』)
ロシアで2011年に結成され、反プーチンの活動を続ける女性パンクバンド「プッシー・ライオット」。その主要メンバーの一人マリヤ・アリョーヒナ(マーシャ)による「獄中記」がこの本『プッシー・ライオットの革命 自由のための闘い』(2018年、DU BOOKS)だ。
プッシー・ライオットは2012年、大聖堂で反プーチンソング『パンク・プレイヤー』を演奏するパフォーマンスを行ったことで、指名手配され、マー
ロシアか西側諸国か。『ウィンター・オン・ファイヤー』と『ウクライナ・オン・ファイヤー』を観て、悲劇の原因を考える。
ウクライナで今起きている「戦争」。報道を見る限り、ロシアが国際法に違反して主権国家に攻め込んだことは間違いなさそうだ。しかし、メディアが一斉にウクライナの肩を持ち、ロシアが一方的に悪いと喧伝すると疑いたくもなってくる。
もちろん戦争は今すぐやめてほしいが、こうなってしまった原因は何で、私達は何を信じ、誰を支援するべきなのか。双方の言い分を聞いて自分で判断したいが、リアルタイムで流れてくるニュース
東日本大震災から11年、1年に1度、1分だけでも震災に思いを馳せるために『永遠の1分。』を見よう。
2022年3月11日で東日本大震災から11年です。どんな人も時間が経てば記憶は少しずつ薄れ、出来事は少しずつ「風化」していきます。それが自然の摂理なのです。
でも、私たちは思い出すこともできます。記憶が薄れていくのを弱めることはできるのです。私は3月に入ると毎年そんなことを思いながら、せめて何か1本、震災にまつわる新しい映画を見ます。
今年は『永遠の1分。』がそれでした。
この映画は『カメ止
【7月25日までオンライン上映】東ティモールの4本のドキュメンタリーを映画祭で見たら、未来は世界の人達の助け合いの中にしかないと思った。
東ティモールは知ってますか?
聞いたことはあるし、だいたいの場所くらいはわかる人が多いかもしれません。私が知っていたのは、それに加えて比較的最近独立したことと、コーヒーが名産なことくらい。これはほとんど知らないと言っていいでしょう。
そんな東ティモールについて知ることができるオンライン映画祭、しかも無料!が現在開催中ということで、ぜひ皆さんにも見てほしい映画を紹介します。
映画祭では、6本の
土偶が植物?説にはある程度納得するが、本には納得感がない『土偶を読む』(竹倉史人著)
縄文界隈で話題になった(ている)本『土偶を読む』、簡単に言うと、「土偶は植物(や貝類)を象ったフィギュアだ」という本。著者はこれまでのどの説よりも土偶について整合性のある説明をしていると豪語する。
そんなふうに豪語したもんだから、あらゆる方向から批判が向けられ、でも「新説」としてもてはやされもするという現象が起きた。
というわけなので読まなければはじまらないというわけで読んでみた。
最初に端
縄文時代とは?定住とは?知ってるようでわかってなかった縄文時代「の」歴史が分かる本『縄文時代の歴史』(山田康弘著)
縄文時代に興味を持って色々見ていると、なんとなく縄文時代というものがわかってくる。草創期から晩期という区分とそれぞれの特色だったり、地域による違いだったりといったものだ。そしてそのバリエーションの豊富さにどんどんハマっていくわけだが、逆に、こんなにバリエーションに富んだものを一つの文化と呼べるのだろうかという疑問が頭をよぎることもある。
そんな疑問に答えてくれるのではないかと手にとったのがこの本
わたしたちは「縄文のイメージ」に惹かれている。そのイメージの成立と意味を考えれば、いま縄文が重要なことがわかる。ー『縄文ルネサンス』(古谷嘉章著)
「縄文ブーム」と呼ばれることもある昨今の縄文時代への着目。私もその流れに乗っているわけですが、なぜ現代の日本人の少なくない人たちが縄文の惹かれるのか。それは私もたまに考えたりすることではあります。
この本の著者である古谷嘉章さんは文化人類学者で、その視点からこの現象を眺め、これを「縄文ルネサンス」と名付けます。
この本自体がその意味について書いたわけで、詳しくは本を読んでもらいたいですが、簡単
残存する縄文的社会から贈与社会の平等と平和について考える『縄文の思想』(瀬川拓郎著)
考古学者・アイヌ研究者の瀬川拓郎さんが書いた『縄文の思想』。タイトルは縄文ですが、語られているのは主に弥生以降の時代の話です。縄文ファンとしては、「縄文の思想」と題された第四章を読めば済むと思いますが、三章までを読むと、そこに至る論理がより分かるという感じです。
弥生以降の周縁から縄文に思いを馳せる論を紐解くのは弥生時代から、大陸から弥生文化が流入したあとも縄文文化が本州沿岸部の海民と北海道に残
縄文土器のマニアックな謎解きでありながら、現代社会を考えるヒントにもなる『縄文のマツリと暮らし』(小杉康著)
縄文が好きな理由は色々あって、第一は縄文の遺物の造形が好きなのですが、縄文社会がどのようなものであったのかという「謎」にも興味があります。農耕以前の社会はどのようなものだったのか、人々はどんな価値観を持っていたのか、それは現代のわたしたちの暮らしのヒントになるのではないか、そんなことを思ったりもするわけです。
そんなこともあって前回は小林達雄先生の『縄文文化が日本人の未来を拓く』を紹介しました。