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縄文土器のマニアックな謎解きでありながら、現代社会を考えるヒントにもなる『縄文のマツリと暮らし』(小杉康著)

縄文が好きな理由は色々あって、第一は縄文の遺物の造形が好きなのですが、縄文社会がどのようなものであったのかという「謎」にも興味があります。農耕以前の社会はどのようなものだったのか、人々はどんな価値観を持っていたのか、それは現代のわたしたちの暮らしのヒントになるのではないか、そんなことを思ったりもするわけです。

そんなこともあって前回は小林達雄先生の『縄文文化が日本人の未来を拓く』を紹介しました。

こちらは入門的な本で、今回も社会論的な本なのかなと思って読んだら、マニアックな内容で、でもやはり縄文社会の姿が見えてくるような非常に面白かった本を紹介します。

めぐる土器の謎を解く

この本のメインは、諸磯式土器と北白川下層Ⅱ式土器に共通する木の葉文浅鉢形土器の話です。マニアックですね。縄文好きなら耳にはしたことがある言葉かと思いますが、具体的にどんなものかイメージできる人は少ないかもしれません。私もよくわかっていませんでした。

この本では、縄文前期の後半に関東圏で多く見られる諸磯式土器と関西圏で多く見られる北白川下層Ⅱ式土器に共通する木の葉文浅鉢形土器を通して、この頃の文化交流のあり方とその前後の時代との文化継承のあり方を検証しています。

簡単に言うと、なぜ諸磯式土器圏で儀礼用と思われる木の葉文浅鉢形土器が生まれ、それが関西に渡って北白川下層Ⅱ式土器圏で模倣され、また諸磯式土器圏に持ち込まれたのかという謎を解く話です。

ただ、用語のマニアックさとは裏腹に、謎を解いていく面白さに溢れ、物語として読めるようになっているので、前提知識があまりなくても楽しめる(あったほうがより深く楽しめますが)ものになっています。

道具の進歩をたどる

この本でまず面白いのは、縄文前期の道具の進化を遺物からたどっていくところ。石川県の真脇遺跡の低湿地帯からでた漆塗りの木製品を手がかりに、縄文時代の早期から前期前半には加熱・調理用の深鉢形土器とそれ以外の用途の木製品という道具の組み合わせが出来上がっていたと推論します。

さらに、漆塗りの技術の解説もあってこれも面白いです。(下の画像は青森県是川遺跡出土の木胎漆器)

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そこから、議論の本筋である諸磯式土器の話に、諸磯式土器圏でそれ以前に使われていたのは主に黒浜式土器なのですが、この2つには決定的な違いがあり、それは粘土に繊維が混ぜられているかどうかだといいます。この材質の違いと、それまでの技術進化により、浅鉢形土器がうまれ、そこには漆が施されていたと推論します。このあたりの推論の展開はワクワクします。

そして漆は熱に弱いため、この土器は加熱用ではなく、出土状況からして儀礼に用いられたものだと明らかにしていくのです。

このように限られた出土品から道具や技術の進歩を追っていくというのは読み応えがあり、理解も進んで面白い部分でした。

移動する浅鉢形土器

次の展開は、こうして生まれた木の葉文浅鉢形土器が東から西へと移動していった痕跡をたどり、移動した先で模倣品が生まれ、それが東へと戻っていく過程を追うというものです。

ここでも、東で作られた土器が西へと運ばれたことを出土品の材料や技法から証明し、模倣品が作られたことも明らかにします。ここでも、土器形式による作り方の違いを細かく解説して、読者を納得させます。

想像図ではありますが、土器を背負って移動する縄文人のイメージなども描かれて、なるほど本当にこういう事があったんだろうなと思わせられるのです。(下の写真は群馬県前橋市月田No.3-4遺跡出土の浅鉢形土器)

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儀礼交換

私が一番考えたくなったのは、この土器が移動した意味です。この本では、儀礼交換という概念で、同価値のものを交換することで友好的で安定した関係を生み出すという解説をしています。そして、その交換は同時でなくて良くて、贈答の繰り返しが巡り巡って戻ってくるという形でもいいというのです。

現代的な感覚では、交換というのは価値が同じでも用途の違うもの同士で行われるものですが、ここで行われているのは価値も用途も同じものです。しかも直接交換するわけではなく巡り巡って戻ってくるという考え方。

この考え方は日本の縄文時代だけでなく、さまざまな文化に存在したことを、ブロニスワフ・マリノフスキの『西太平洋の遠洋航海者』を引いて解説しています。

なぜこのようなことが様々な文化で行われたかを考えると、解説されている通り共同体間の友好関係を保つためだろうとしか考えられません。

縄文時代は争いのない時代だったと言われますが、争いがまったくなかったわけではおそらくなく、人口の多かった時代には猟場の縄張り争いが起こったこともあっただろうし、何か他の軋轢が生まれていた可能性もあります。それを解消するための慣習の一つがこの儀礼交換だったのではないかと推測できるのです。

この本では踏み込んでいませんが、このような儀礼交換という形は共同体内でも起きていたのでしょう。イエという最小の共同体同士が有効な関係を保ち、ムラという大きな共同体が存続できるように共同体内で贈答が繰り返されていた。外見的にはそれが分業に見えるかもしれないしそうではないかもしれませんが、そうやって贈与経済が成立し、1万年以上にわたる縄文時代が続いていたのではないかと思うのです。

マツリの重要性

この本の最終章は、北海道千歳市の美々4遺跡で発掘された動物型中空土製品、通称「ビビちゃん」とマツリをめぐる物語です。

ここでは、マツリがいかに共同体にとって重要で、周辺の人達が集まるマツリによって道具の形状や技術がどう伝えられたのかを検証しています。

地域のよる食生活の違いと、土器の変容を関連付けるなどここでも遺物からしっかりと推論されていて面白くはありました。

この本は縄文時代における共同体同士の交流のあり方を検証したもので、非常にわかりやすく面白いものでした。次は、共同体内で人々がどのように暮らしていたのかを検証するものが読みたいと思います。

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