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共生社会はそこにある。「障害者による文化芸術活動を推進する法律」についての記事から思ったこと。

久方ぶりにnoteを書きますが、その間に注力していた記事の話を。

ここ数年、多様性やダイバーシティを自分の中のテーマにしていますが、障害者アートを扱うメディア「日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS」から話があり、「障害者による文化芸術活動を推進する法律」についての3本の連載記事を作りました。(「日本財団」に引っかかる人もいるかと思いますが、とりあえずそこはまた別の話ということで…)

法律についての記事なので、法律の解説から始まっていますが、今から読むなら、実地で体験した3本目から読んでもらったほうがわかりやすい気がしています。この3本目では、神戸で障害のある人もない人もごちゃまぜのコンテンポラリーダンスクラスに参加し、金沢で「ヘラルボニー」の展示を特別支援学校の子どもたちと見るという体験をしました。そしてそれぞれの場所で話を聞き、記事にまとめています。

記事の中にも書いたんですが、このとき最も強く感じたのは、

共生社会について考えているんですが、社会っていうから作っていかなきゃいけないみたいなイメージがあったんです

ということです。

極端な言い方をすると、もっぱら障害のない人たちで構成されている社会にいると、「共生社会」というのは、「この社会」からこぼれ落ちている人たちを拾い上げて新しい社会を作るというイメージではないでしょうか。

でも障害者について言えば「共生社会」といえる社会はすでに存在しています。もちろん障害のある人ない人双方の絶え間ない努力によって成り立っているものではありますが、あることは間違いないのです。

だから、もっぱら障害のない人たちで構成されている社会がやるべきことはそのすでにある共生社会に入っていき、それを支え拡大することなのです。

すでに共生社会に入っている人には当たり前のことかもしれませんが、私は今回の取材を通して始めてそのことを実感しました(恥ずかしながら)。

ワークショップに参加してるよ(写真:池田礼、イラスト:naoya)

そして、その実感を得るためにはアートの場が最適だということも感じました。「アートの前ではみな平等で、障害のあるなしは関係ない」のです。

私が今回感じたのは、この「障害のあるなしは関係ない」を心から実感できるかどうかが「共生社会」の入り口に立てるかどうかを決める重要な体験だということです。

どこでそれを実感できるかはもちろん人それぞれです。2本目で取り上げた「障害者芸術文化活動支援センター」はその機会を障害者に向けてもそうでない人に向けても作る機関として機能し(ようとし)ています。

そして、この「障害者による文化芸術活動を推進する法律」はあらゆる人がアートに触れる機会を増やすことで、その実感を得られる人を増やし、共生社会に入っていく人を増やしていこうという法律だと解釈することができると気づきました。

法律の解説もイラスト満載でポップにわかりやすくなっているので興味を持った方はぜひお読みください。

このテーマについては今後も何らかの形で追求していきたいと思っています。

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