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13回目の3月11日

東日本大震災から13回目の3月11日、年々震災を振り返ろうという空気は薄れてきている。テレビを見ると、被災者たちの「今」についての番組をちらほらやっている。

先月、取材で大熊町に行ってきた。福島県の浜通り地域は震災前も震災後も行ったことがなく、初めてだった。大野駅に降り立つと、目の前では大規模な工事が行われていた。真新しい道がまっすぐに伸び、その南側が大々的に開発されていた。ガラス張りの大きな建物ができつつあり、新しい街が生まれつつあるのは見て取れた。

そのエリアを抜けると、13年の時を感じる空き家が目につく。屋根瓦が落ち、ツタが家を覆い尽くそうとしている。放置されたアパートの前には色褪せた「入居者募集中」の看板がかかっている。

大通りはトラックが頻繁に行き交うが歩く人の姿はまったくない。でも、新しく建てられたらしいアパートもあり、その前には梅が咲いていた。大野駅の隣駅夜ノ森駅は桜並木で有名で、映画『ナオトひとりっきり』でも印象深いラストシーンに使われていた。

その夜の森の桜並木も2022年から立ち入ることができるようになった。今年も花見客で賑わうだろう。

被災地は前に進んでいる。前に進むことはいいことだ。しかし何かもやもやする。そのもやもやは何から来るのか『ニッポニアニッポン フクシマ狂詩曲』という2019年の映画を見て少しわかった気がした。

この映画は楢葉町がモデルに違いない楢穂町が舞台で、避難指示が解除されていないなか、復興屋は色が進む現状を描いているが、アニメやミュージカルパートが挟み込まれている変な映画だ。

変な映画だけれど、この映画で描かれているのは、喪失感と故郷についてだった。この映画のは震災に関わらず喪失を経験した人たちが登場する。そして、被災者たちと故郷の関係についても描かれる。これを見て思ったのは、幸せな記憶と結びついた場所が故郷だということであり、喪失感もまた幸せな記憶と結びついているということだ。喪失はつらいことだが、つらいのはそれが幸せな記憶と結びついているからだ。

そこで考えてみると、今推し進められている帰還政策は、住んでいた人たちの気持ちと結びついていないように見える。原発被災地を故郷と考え、そこが幸せな記憶と結びついている人は帰ろうと思うだろうが、そうではない人たちも多いのではないか。避難先が新たな故郷となった人もいれば、幸せな記憶がつらい記憶で塗り替えられてしまった人もいる。その気持を無視して前に進もうとしていることにもやもやするのだ。

どうしたらひとりひとりの喪失感と向き合い、前を向いてもらえるのか、それを考えることこそが、闇雲に帰還政策を進めるよりも重要なことのように思う。13年も経ってそんな事を言うのかという気もするが、まだまだ向き合わなければ問題であることは間違いないだろう。


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