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幼少期について

この間までBoxFreshという質問箱を使っていたが、どうにも不便で使うのをやめた。
Twitterと同期するにはWebからでないと使えなかったし、何より一番嫌だったのがAIからのしょうもない、中学生が好きそうな質問がたくさん来るからだ。

絶対質問してるやつ中学生だろ
AIの質問、わかりやすくキモい


質問やお便りをくれるフォロワーちゃん達の質問は(これはフォロワーちゃんがくれた質問だな。)とだいたいわかりやすいが、せっかくくれた質問やお便りがAIの質問に埋もれてしまうのでBoxFreshを使いたくなかった。

そしてついにNinjarという質問アプリを見つけたのだ。
これはbotをオンオフできるアプリなので、
オフに設定するとbotからの質問が来なくなる。快適。

今日はBoxFreshに来た質問でまだ答えてない質問と、Ninjarに来た質問とお便りに答えていく。


この質問は関西弁なので
AIではないと見た。


どんな感じやったかなあ。
生い立ちや虐待については過去記事にいろいろ書いているので、それ以外のことを書くと、
保育園と小学生の頃は内気で積極性がなく、いつも一人で絵ばかり書いていた気がする。
オリキャラ(オリジナルキャラ)を描いて、可愛く描けたら一人で喜んでいる根暗な子だった。

たぶんこんなんだった

オリキャラたちがどんなキャラクターだったかほとんど忘れたが、なぜかこれだけは覚えている。
耳が羽になっていて、耳をバサバサして飛ぶのだ。跳ぶのではなく飛ぶうさぎ。画期的だ。(はあ?)

あと小さい頃から本が好きで、
小学生の頃は10分休みだろうが昼休みだろうが、図書館まで一人で駆けて行って少しの間でも本を読んでいた。
小学生の頃はハリーポッターやローワンシリーズなどファンタジーものが好きだった。
なぜかハリーポッターシリーズは出版された当初から父親が買い与えてくれていたので、何回も何回も読み返した。呪文も空で言えるようになった。
本を読んでいた当時はロン推しだったが、
その数年後にハリーポッターの映画を見て、マルフォイ推しに鞍替えした。
賢者の石からアズカバンくらいまでのマルフォイ、美少年すぎるんだもん。かわいいし。


小学生までは数えるほどの友達しかいなかった私だが、中学生になり急にコミュ力が開花する。
なぜ開花したのかわからないが、底辺ド陰キャだった私が、中学生の時はクラスでも目立っているようなグループに所属し、クラス全員、いや学年全員と仲が良いような人間になった。
休み時間に本を読んだり絵を描いたりすることは次第になくなっていき、休み時間はいつも友達とのお喋りに花を咲かせていた。
クラスの目立つメンバーと前略プロフや魔法のiらんどを使ってホームページを作ったりしていた。
懐かしいね。前略プロフ。
性別を「パコられる方」とか「凹の方」とか書いてたやんちゃな金髪のあの子、元気にしているだろうか。

絵を描かなくなった私だが、細かいことや物を作ることは相変わらず大好きだった。手芸やビーズなどに手を出したり、美術の時間に気持ち悪い人間の生首の花瓶を作ったりして先生に褒められていた。美術の先生に気に入られすぎて、美術高校へ推薦してやるとまで言われていた。


家では相変わらず殴られていて、それを友達に悟られないように明るく努めた。中3にもなるとガワだけはめちゃくちゃ明るい人間になっていた。
友達もいたし、クラスでは上手くやっていたが、私はいつも死にたかった。
最初に希死念慮を覚えたのは8歳の時だった。
それから日を追うごとに私は死にたくなっていき、リストカットやODに手を出した。
ODと呼ばれるものがこの世にあることも知らず、今のように”ブロンをODするとやる気が出る””メジコンをODすると気持ちいい”なんてことも知らず、とにかく死にたくて家にある風邪薬をたくさん飲んでいた。パブロンとかだった気がする。
今ならパブロンはODしないな。メリットないし。

ODについての話はこちら↓


中学の後半に児童相談所の一時保護所に保護された。
しばらく一時保護所で暮らしていて、とても楽しい毎日だった。
一生ここにいたいなあ。なんて思ったが、結局帰されてしまい、また地獄の日々を見た。

中学生の頃は音楽が大好きだった。
中学生の頃というより、今もずっと音楽だけは好きで、私が音楽オタクに片足突っ込んだのが中学生の時だった。

最初はメジャーどころやBUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、チャットモンチーやアジカンなどメジャーな邦ロックが好きだった。
そこから音楽に傾倒し、父親のコレクションであるoasisやレッチリなどの洋楽CDを片っ端から聞いたり、母親の好きな大貫妙子など80.90年代のシティーポップを聞いたりしていた。ピアノを3歳からやっていて、練習は大嫌いだったがクラシックも好きだった。オーケストラや交響曲なんかも聞いていたし、ハードロックやグランジ、洋楽POPS、80年代のアイドル、シティーポップなど、かなり雑食で、音楽はなんでも一回食べてみた。
一年に2.3度与えられるお小遣いと、母からほとんど抜かれたお年玉でゲオやTSUTAYAに行き、旧作100円レンタルで借りて、家でMDに録音していた。お小遣いの使い道はCDレンタルかNARUTOの単行本購入だった。
NARUTOに関しては悲しい結末があるので、よかったらNARUTOの話も読んでくれると嬉しい。


小学生時代の親、虐待の話はこちら
(NARUTO)↓


中学生時代の虐待の話はこちら↓




中学時代の親の話、音楽の話はこちら↓




母親の話はこちら↓


こんな感じの小中学生時代を過ごしていた。
「小さい時どんな感じやったん?」
にちゃんと答えられているだろうか。

とにかく根が暗いのが私だ。
小さい頃は本当に本当に暗くて陰気だった。


質問くれたフォロワーちゃんありがとう。
一つ記事書けたわ。
質問くれたフォロワーちゃんにこの記事が届いているといいな。
ありがとうね。
またよかったらお便り、質問ください。

他にもたくさん質問とお便りが来ているので、
またnoteでそれに答えていこうと思います。
質問とお便りくれたフォロワーちゃん、ありがとう!


ここまで読んでくれてありがとう!
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