随筆(2021/8/26):なぜか恋愛工学の広告が流れて来たので、陰鬱な気持ちになってきたというお気持ち表明(4_FIN)
11.いつか、大事だと思える相手と逢った時に、相手「が」大事であることを示す。その時に、自分「が」相手「に」大事に思われるように、あらかじめいろいろ整えておいた方がいい
いつか、俺と同じくらい大事だと言い切れる相手に、新たに逢える日が来るのだろうか。
そして、「相手が大事である」と、ちゃんと伝えられるだろうか。
それは、いわゆる告白に類するプロセスより「前に」、しかも「たくさん」やるべきことだ。
***
大事だということをまるで伝えないで、告白したら、「嫌だよ!?」という話にもなろう。
自分を大事にしてくれない。つまりは、粗略に扱ってはいる人。ということなんだから。
そんなやつに好意を向けられて、受け容れたら、そいつからは粗略に扱われるし、何なら粗略に利用すらされるぞ?
いるでしょう。人になんかしてもらっておきながら、感謝しない粗略な人。
仕事でこれをかます人に仕事上の面倒ごとを振られると、やがて憎悪か軽蔑しか抱けなくなるだろう。俺だってそうですよ。
12.自分のニーズを自分で言語化して表現できない、何なら意識すらできない人、死臭のする病んだ野生動物くらい手に負えない
「自分は相手に危害を加えない、優しい人である」?
よく言われる言い回しだ。
危害は加えない。それは善き事であろう。
が、そこは平和の「礎」、ある種の人の世の「基礎的な」倫理道徳の話だ。
もし平和を前提とするならば、そのテーブルを危害で蹴っ飛ばす人相手でない限り、たとえそれが敵相手でも悪人相手でも「当然に出来ていていなければならないこと」なのであって、
「やることで社交処世上の劣位性をなくせる」
が、
「それが優位性になるわけではない」。
***
「相手への危害に躊躇のないやつに、しばしばパートナーがいるではないか。
これは、上の話への、かなり強い反証ではないか」?
それはそいつにもっと別の魅力があるからです。たとえば、
「ニーズが明瞭で、そこにバグがない、思考回路が動物的な意味で健康な生き物である」
とか。
実はこれは非常に重要で、これがないままで上っ面だけ優しい人は、実のところ、健全な人どころか、健康な野生動物とすら思われてない。危害のある健康な野生動物「より忌まわしい」なんかだと思われている。
というか、何なら、死臭のする病んだ野生動物と思われている。
***
「相手に危害を加えない、優しい人」
と称する人、実際には
「相手に危害どころか何も加えないし、コミュニケーションにおいて、大事だという気持ちも、何ならニーズも、明示的に顕わしていない人」
なのではないか。
相手への「大事だ」という気持ちやニーズを、一度も顕わしたことがないが、それでいて誰かに対して「お近付きにはなりたい」という、そんな人がいたとする。
ひっくり返したらごく当たり前の話になるが、つまりこれは、相手にとっては
「この人がなぜ距離を近づけようとしているのかが分からない」
あるいは、
「この人は理由を説明する意図がないまま、自分に対して何らか(の傍迷惑)を貫徹しようとしているように見える」
ということだ。
そりゃあ怖いよ。動機や衝動を自覚も説明も出来ないまま、こちらに這い寄ってくる、混沌とした人。
例えば他人の性欲や関係欲求は、迫力があり息苦しいものだ。
受け容れられる時以外は、たいてい不快なものである。
が、他人の得体の知れない(が行動には出ている)謎の欲求に比べたら、はるかに明瞭であり、「誠実」な代物であろう。今メチャクチャイヤな話をしています。
自分でも明瞭に言語化して表現できない、ひょっとしたら明瞭に意識すら出来ていない謎のニーズで、相手に近づくの、
「この人は何がしたいんだ?
動物としての思考回路すら見えて来ないが、この人は健全な人どころか、より広く、健康な野生動物ですらないのか?
死臭のする病んだ野生動物なのか?
じゃあ、健康な野生動物ですらないんだから、健全な人じゃあねえなあ。健全な人扱いする気になれんなあ」
と警戒されるの、まあしゃーないと思いますよ。
死臭のする病んだ野生動物、思考回路が健康な野生動物や健全な人のそれではない。
じゃあ、何を考えているのか分からない。理解に苦しむ。自分の手に余る。というか、手に負えない。
そりゃあ、生理的嫌悪感や生理的恐怖が伴うに決まってる。
「お化けが怖い」のと同じような話だ。
13.「出来ていて当たり前」と称する、「短期的に消耗を強いる」、しかも「中期的には報酬の不払いが当然の権利として黙認されている」話。だが、こんなのは当たり前だ
13.1.魅力の自己研鑽、短期的に考える限りでは、「ナメてんのか」ってものしか手に入らない。そりゃあ、やる気、出んよ
魅力の自己研鑽という話をすると、メチャクチャ嫌になる人、いる。
別にこれは、その人が怠け者だからではない。
というか、そう考えているのだとしたら、とんだ心得違いである。という話をします。
短期的な報酬がないし、それでもし手に入るものがあるとしたら、それはよく考えたらメチャクチャ人をバカにした、ナメたものだったりする。
短期的な報酬がないし、人をバカにしたものが来るとなると、
「こんな盗人猛々しいナメた話に乗ると思っておられる?
つーか、お前、俺のことを、一等人類の自分より劣った、二等人類だと思ってるだろ?
自分を一等人類だと思える魂胆も、目の前の人間に二等人類だ何だと言って粗略に扱う魂胆も、見苦しい、という感覚がねえのか。
マジでないのか? そういうセンス? ええ? じゃあ言うぞ。見苦しいんだよ。そういうの」
それくらいのことは、当然思われている。
偉そうに鼻の穴を拡げてナメた説教を垂れてくる人、偉いかどうかは知らないが、偉くは見えないだろう。みっともない。
というかこれ、生理的嫌悪感をもたらす人のパターンとして容易に思い浮かぶ、よくあるあれじゃないですか。
「は? このわたくしがそうだと言っておられる? 喧嘩売ってんのか?」
そう言いたいのなら、それは二等人類扱いをやめてから言いなよ。
二等人類扱いするの、いかなる理由も抜きで、外形的にはまず「喧嘩の吹っ掛け」になっちゃいますよ。そりゃあ。
13.2.光学的な外形で、色を塗った割り箸と交尾したがるバッタが釣れると…嬉しい! (果たして本心からそう思えているだろうか?)
話を戻します。
魅力の自己研鑽は、光学的な外形は即効性があるが、それ以外はたいていメチャクチャに時間がかかるものだ。
つまりは、確認できる成果が目の前に与えられないという意味だ。
***
そして、ここから少しアレな話なんですけど。
光学的な外形で魅力的に感じる人の審美眼って、要は色を塗った割り箸と交尾したがるバッタの延長線上に過ぎないんですよ。
なので、「健康な野生動物」の健康さは保証されるが、そのくらいの価値しか認めていない人、ふつうにたくさんいるんですよね。
***
もちろん直ちに
「光学的な外形には光学的な外形を超えた意味や約束事があるのであり、そこを見ているのであり、光学的な外形そのものの良さしか見てないやつはバカ。目利きのないイモ」
と言いたくなるだろう。
***
これ、自戒も込めて書きますが、そんなジャンルのへったくれを知らないし、興味自体がない人には
「そういうところで他人にドヤ顔でイキるオタク、本当にそういうところだぞ(クソデカ溜息)」
と返されても、何一つ文句の言えないところです。
光学的な審美眼について、なんか違いの分かる内輪の論理があったとして、外野にそれは「オタクの特殊専門用語」とか「オタクの思考回路」としか思われないんですね。
外野の目に見えないものを見ている人は、お化けに対する解像度が優れている、「お化けが見える人」扱いされる訳です。そりゃあ生理的嫌悪感や生理的恐怖があるに決まってる。
***
「ちゃんと、相手も自分も見えているものの話をしなければならない。
見えるものの話をしろ。
見えるものの意味や約束事の話をするのをやめろ。
オタクの悪癖に他ならないから」
という話、そんなに理解に苦しむことであろうか?
13.3.得られるバッタもんに対して、ドブに投じたコスト分の労力が釣り合っているとは到底思えなくなって、なおも努力するには、かなり「異常な」動機が要る
そして、相手に通じて、自分でも納得できる、そういう魅力を身に着けていく過程では、しばしば「いのちぼうにふろう」ってくらい消耗することがある。
(ふつうは、やったことのないことを、未だに自分の中で納得が通る前にやるのは、学校で心底理解に苦しむ苦手な授業を50分聞かされる時や、いやだなあと思うことをそのままに放置している時や、いのちぼうにふりたくないのにいのちぼうにふろうと迫られている時くらい、たましいが腐る行為です)
***
しかもこれは、要請した側としては、「命じた後で報いない」と、うまくハマれば何のコストもかけずに、邪魔っけな他人を過労死させられるのだ。
当然、安易にこれをしてしまうのだ。
平たく言って、魅力の自己研鑽という事柄においては、中期的には報酬の不払いが当然の権利として黙認されている。
***
そりゃそうだ。他人に外野からなんやかんや好き勝手に言って、その後自分がすっかり忘れ去ってから、なんか知らんうちに相手がそれを全部果たして、その上で、
「要請は全て成した。直ちに対価をノシつけて払え」
と言ってきたら、怖くて泣いてしまうじゃん?
***
あるいは、
「いや、それをこの人がやったのはともかく、私にとっては評価基準に達してないので」
ということも当然ありうる。
こうなるとますます、払う謂れ、ないじゃん?
***
だが、じゃあ、それまでにやった人が葬って来たリソースは、本当にただ死んだリソースにしかならない。
やった人の身にしてみれば、そりゃあ、「やってられない」だろう。
しかも、言われてやった後で。
言った方が知らんぷりしている訳だ。
まあ、外形的には「そりゃあ、いくら何でも、あんまりじゃない?」というやつだろう。
***
その落とし前は、誰かが付けなければならない。
ふつうは、要請した側が。
それも、達成状況とは独立に。
***
そうでもなければ、労務契約として見た場合は
「は? ざけんな」
という話でしかない。こんなもんは。
***
んで、魅力の自己研鑽という話を
「言われたからやるし、それはもちろんそこになんかメリットがリターンすると想定しているからやるのだ」
という、ラフな形の労務契約と受け止めてしまうと、正に現にこういう事態にしかなっていない訳だ。(当たり前にある話であろう)
そして、リターンはクソナメたものしかない。
たくさん投じたリソースは、湯水に溶けて、二度と帰ってこない。
こうなると、要請された側にとっては、
「自分が射殺されて葬られる時のための墓穴を掘って、射殺されろ、という命令」
と同じ方向性の、おぞましい話にしか見えない。
***
「いや、それをこの人がやったのはともかく、私にとっては評価基準に達してないので」
まあ、わかる。俺だってそういう状況になったらおそらくそう思う。
だが、つまり、俺や、こう思ったことがあり、示しても来た皆さんは。
他人が葬って来たリソースに、何ら落とし前をつけずに、「フン。下らん」と鼻息を吹きかけて、今までこれを平然と押し通して過ごして来た。ということにしかなりえないのではないだろうか。
これが「自分が射殺されて葬られるべき墓を掘れ、という命令」と同じ方を向いている、だいぶ汚らしい振る舞いであることくらい、私にだって分かりますよ。
***
働け。
だが評価しない。
報いない。
基準に達していないと評価・判断します。
契約は不履行ということですね。私だって履行しません。
労力コスト分のリソースは全部持ち出しにして下さい。
今日からもう来なくていいよ。さようなら。
***
こういう、一見有難みの分からない、体力気力を消耗させるだけにしか見えない、損を強いる基準、あるよね。
こんなもん、嫌に決まってるんだよなあ。
14.「報酬を反故にされる可能性の高い、信頼出来ない労務契約」でなく、「報酬などなくて当たり前だが、それを上回る有難みがやってくる可能性の高い、手堅い投資」だから、やる
14.1.そもそも、言う側にとっては、これは約束ではない
で。
今までしてきた話を全部ひっくり返すんだけど、これ、前提が間違っている。
「魅力の自己研鑽は、ふつう「労務契約」ではない」。
そりゃあ、認識と実態が異なるのだから、何をやっても満足しないの、ごく当たり前の話であろう。
これ、「やったら有難みのある約束」と考えちゃ駄目なんだよな。
要請する側は、約束しているつもりがない。
当然、彼らに約束を守るつもりなんかない。
守るべき約束自体を、そもそもしていないんだから。
14.2.だから、聞く側とすれば、言う事を聞く謂れがない
つまり?
聞く側としてみれば、要請、聞く謂れがないんだよな。
***
「何で言う事聞いてくれないの? 何でそんな酷い意地悪が出来るの?」
えー?
合意の上で約束してるんじゃないし、強制力をもって命令されてる訳でもないなら、そりゃあ聞かないよ。
***
命令には責任が伴う。
「服従、謹んでお断りしますし、強いてやらせたいなら、抵抗もあり得ます。まさか嫌とは言うまいね」
という事態がありうるし、そうしたら苦虫を嚙み潰した顔をしながら、これを一瞬でかき消して、何らかの対処をする。ということだ。
***
それすらも負わないのなら、都合の良い事を言いなさんな。
そんな要請を、「聞いてもらえて当然」などと思わない方がいいですね。
「甘えんな。吸血ヒルのように盗人猛々しい」とは率直に思う。
14.3.言う事を聞くとすれば、そこには他に理由があるからだ。具体的には「労務契約」でなく「投資」がそうだ
まあ、別の理由なら、要請を聞いてあげてもいい。ということが、実はある。
つまりは、別のより的確な捉え方がある。
「投資」だ。
魅力の自己研鑽の話、「やってみたら当たり外れの末に有難みがあった行為」としての「投資」と考えた方が、より建設的なんだよな。
14.4.投資が出来る時点で恵まれている。たいていは、薄皮を貼り合わせるように、種火を蓄えていくしかない
え?
「投資が出来る種火となるリソースがある時点で、恵まれているじゃねえか?」
そこはそう。
報酬はしばしば、日々の労務契約で、そもそも得られるとは限らないことがある。
あるいは、よくあることだが、労務に見合うほどの量はない。ニーズと比較した場合、不足している。ということだ。
あるいは、これもあることだが、焼け付くような労務の埋め合わせで湯水の如く使ったら、雀の涙しか残らない。
そんな雀の涙を蓄積して種火にするのは、かなりツライことだ。
これを簡単に貯められるほどには報酬の多い人が、そうでない人に、報酬の量に依存するアドバイスをしたら、まあ心底憎悪を抱かれて当然でしょうね。
***
相手の問題の状況を見ていないし、自分のアドバイスがアドバイスになっていない類いのアドバイスは、これはいわゆるアドバイス罪ってやつだ。
これがもし善意から出たものであるなら、
「善意でやってるが、それ、善行じゃないからな。
倫理道徳って基準は、その後で実践されることで初めて実際に意味があるんだからな。
善行にならなかった善意、実際には無意味だからな。というか、善意の真正性からして、疑われて当然だからな。結果的には言行不一致、嘘を吐いたのと同じことになってるんだから」
くらいは、平然と言われますよ。
14.5.じゃあ、薄皮を貼り合わせるように、種火を蓄えていきましょう
話を戻しましょう。
実はというか何というか、金の種銭ややる気の種火の、そういった貯め方を出来る人は、あまりいない。
だが、だからこそ、ここでちゃんと貯められる人は、社交や処世において、優位性が出て来るのだ。
やっていきましょう。
14.6.そんなこと言われても、蓄える気にならないだろう
もちろん、こうして説明されても、蓄える気にならない人はいるだろう。
俺だって前の職場を辞めた時にこんなこと言われたら、まあ
「お前は今まで焼け付くような鉄火場で馬車馬のように働いていた人に、よくも
『貯めるためには、癒すための金を使うな、血を流しながら金の流れはせき止めろ、ということしか考えられない。
そうしろとは俺の口からはよう言えんが、まあわかるやろ』
などと腐れ果てたことを抜け抜けと言い放てるよな。
言ってない? 自分の言ってることがどういう効果をもたらすか、言った本人が分かっておらぬ???
いずれにせよ、人間のやることじゃないですね」
と憎悪の目しか向けられなかっただろう。
14.7.でも、存在しないから返って来ない約束より、返って来ない事は当然にありうるが、返ってくると期待はしうる、投資の方が、その時点ではるかに建設的ですよ
でも、変な話なんですけど。
そもそも存在していないから返って来ない約束のために種火をドブに放り込んで実質棄てるよりも。
返って来ない事は当然にありうるが、(バクチじゃない、つまりは返ってくる可能性がそこそこ高いと期待はしうる)投資を選択している時点で、はるかに建設的ですよ。
***
まず、
「労務契約の公正取引の観点から言えば、消耗したリソースはノシつけて返って来るべきなのに、あいつは返そうとしない」
という、およそ非現実的な仮定に基づく苦しみはなくなる。
「あいつは返さない。なぜならこれは実際にも何ら労務契約ではないからだ」
という、正しい前提の元では、こうした苦しみは消える。
だって、あいつは返さないし、これは約束でも何でもないんだから。
じゃあ、そもそも、相手が「約束だから返す」と言い出す方がおかしい。
(ナニ? 「返してくれる」と言い出した!?
奇特で酔狂な人である事よ。大した人であるなあ。有難うございます。有難く戴きます。
くらいのことしか言えないし、出来ないし、それでいいのだと思いますね)
***
そして、
「場合によってはリソースが全部無駄になる」
という事に対しては、
「これは投資だ。投資とはそもそもそういうことがありうるし、そんなものは当たり前だ。
そして自分はそこは少なくとも分かっていてやっている。その辺の覚悟はあらかじめ極まっている」
という肚落ちが伴う。
***
しかも、これが投資として話されているということは、
「何らかのメリットが返ってくる可能性はまあまあ高い」
ということだ。
難易度と失敗率は高いが、成功すれば財の生産につながるので、全体としては基本的には儲かるものと期待しうる。
真の確率の世界であるし、しかも財を集めて生産せずに放出するので、胴元が得をした分、その他の参加者は損をする可能性の方が高いという、そのようなバクチの類いという事ではない。
***
これは、投資とバクチの、決定的な差だ。
投資の場合、基本的に場の財は増えるのだ。
バクチの場合、場の財は基本増えていない。
そりゃあ、損をする可能性の方が高くて、当たり前であると言える。
***
いざ儲かった時のレートを考えれば、一見バクチの方が高いかも知れない。
「自分だけが得をすればいい」という話は、自分の事を考えれば、もっともな話だ。
が、全体としては財が増えない、詰んでいる場で、確率のふるいの前で、自分だけが一儲け出来るという可能性はほぼない。
ここはそういうものだ。
***
場における確率の話は、場の数量の話の中で成り立っているものだ。
数量が増えないなら、確率は増えないんだ。低くて当たり前なんだ。
じゃあ、近付かない方がいいですよ。
数量が増える場の方が、いいですよ。
それは、数量が増えない場よりも、期待するに値するし、信じるに値するからだ。
14.8.「本物の種火を蓄えて、投資でいつかリソースを取り返したり、道具をゲットしたりして、自分にとって魅力的なものが手に入って、相手がそれに魅力を感じれば、問題なくハッピーであろう」という指針
場全体を見れば、そもそも成り立っていない無の約束より、全体としては損のバクチより、全体としては得の投資の方が、成果も評価も得られやすいのだ。
そして、その中にいる自分も、そこそこ成果や評価が得られやすくなる。
ここは、そういうものである。
信じて、リソースを投入すればよい。
そこは財を生産しうる、活気のある場なので、損をしてもいつかは得られるし、それで取り返せるからだ。(もちろん一発で得られたらそれに越したことはない)
***
種火は、世間にある本物の労務契約などで、より確実に得られる方法で、着実に得る。
たとえそれがゴミみたいなものであろうとも、蓄えれば投資に注ぐ分として申し分なくなる日がくる。
2~3回挑戦できるだけの種火を蓄えて、2~3回挑戦してみればよいのだ。そのうち得られるようになる。
これに関しては、経験値が増えて、それが効いて来ることがあるので、後になればなるほど有利だ。
1回で得ようとしない。これは投資であって、「1回で得られて当然」という性質のものではない。
それが成らなかったからと言って、心が折れたとしても、「1回で得られて当然」などと思うからメンタルのダメージが破壊的になるのであって、「そういう性質のものではない」と肚落ちしていれば、ショック態勢を取るのはかなり容易くなるだろう。
そして、耐えきって、2~3回目をやるのだ。次は、もっと、上手く。
***
本当に得たい、かけがえのない、失敗したら心が折れる、誰かとの良好な関係のため「ではなく」。
その前段階の、取り返せる、失敗しても凌ぎ切ってもう一度拾いに行ける、嬉しいリソースや儲かる道具「を」、手に入れるために、何度か挑戦する。
それらがいつかは、自分を強く豊かに輝かせて、誰かとの良好な関係を成り立たせやすくしてくれる。
***
そうしたリソースや道具のうち、自分にとっても魅力的なものがあったならば、しめたものだ。
自分にとってもそれは、光り輝く魅力的な何かであって、色を塗ったくそくだらない割り箸ではない訳だ。
そういうものを他人も評価した時に、
「目の前のこいつは、色を塗った割り箸と交尾したがる、アホなただのケダモノだった。ゲンナリ」
とは思わなくなる。
素直に受け入れられる。
問題なくハッピーになれる。
***
そんな自分が、相手にとって、かけがえのない魂の同志で。
魂にとって、必要な存在で。
自分にとっては、相手もそういう、かけがえのない存在である。
必要と仕合う。
***
指針は、だいたい、こういうことです。
そういう路線で、やっていきましょう。
15.相手を大事にするという感受性と、大事に思えるだけの相手の能力や魅力や人徳と、大事にされるだけの自分の能力や魅力や人徳が、整うことを祈ろう。最初と最後は、自分で書き換えることが出来る
相手を大事にするという感受性と、大事に思えるだけの相手の能力や魅力や人徳と、大事にされるだけの自分の能力や魅力や人徳が、整うことを祈ろう。
ある種おぞましい話に聞こえるかも知れないが、最初と最後は、自分で書き換えることが出来る。
(自分を書き換えられたくないだろうが、書き換えるのは自分だ。そこは、ある程度は肚落ちが伴って来るだろう。
「俺が俺の意志でやってるんだ。しかも、適応と社交と処世のためにだ。非常に肯定的な意味合いのことをしている」
と言い張れるから、ここは大きな力だ)
***
個人的な話をすれば。
「相手を大事に思い、大事にする」という感性が、俺の中にちゃんと埋まっているという事を教えてくれた、12歳のおばあちゃんもいたのだ。(既に亡くなっているが)
***
そういうのが、俺の中に未だに埋まっている。
そう、信じたいし、祈りたいところですね。
***
ステラ。
俺、まだ、頑張るよ。
(いじょうです)
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